子どもが劇でジッとできないのはナゼ?

お子さんが劇を観ている途中で動き出してしまったり、
挙句の果てには立ち上がってしまったり。
そんな経験はありませんか?

「劇を観に行きたいけど、
うちの子、じっとしていられるかなあ……」

これは多くの親御さんが感じている悩みだと思います。
でも、そもそもどうして子どもは
劇を観るとジッとしていられないのでしょうか。
劇に飽きてしまったから?集中力がないから?

いえ、今日はそれとは別の理由について考えてみたいと思います。

なお、今回の投稿を読んでもお子さんに、
「ジッと劇を観られる力」が備わるわけではありません。

ただ、「ジッとしていられない我が子」への見方が変わるかもしれません…


古い芝居小屋で盛り上がる子どもたち

劇団員時代に、熊本県山鹿市にある八千代座という明治時代末期に建てられた古い芝居小屋で人形劇の上演をしたことがあります。
その日の公演の手応えは最高でした。

最初は、「出演者の調子が良かったのかな」と思っていました。
でも、よくよく考えてみると、その日の公演には
いつもとまったく違う要素があったことに気がついたんです。
それは客席でした。


八千代座の客席はいわゆる「椅子席」ではなく枡席でした。
相撲の枡席のように、木枠で囲われた四角いスペース。
大人なら4人、子どもなら6〜8人ほどがぎゅっと固まって座ることができます。
つまりその日は、子どもたちはみんなでぎゅっとなって、比較的好きな姿勢で人形劇を観ていたのです。
これこそが公演の盛り上がりの秘密だったかも知れないのです。


平土間の力

劇団に戻って、先輩にその話をすると、こんな言葉が返ってきました。

「ああいう芝居は、平土間が合うからねえ」

平土間とは、舞台と客席に高低差がなく、備え付けの椅子もない客席のことです。(体育館や多目的ホールをイメージしてもらうと分かりやすいと思います)

椅子に縛られない自由度の高い客席が子どもたちの観劇体験をよりダイナミックにしてくれたのではないか。
その秘密は子ども達の体にあるのではないか。

その視点で子ども達を観ていると、実にいろんな姿勢で劇を観ていることに気づきました。

・登場人物が片足立ちをすれば→自分も片足を上げてみる
・不安な場面になると→誰かにくっつく
・もっとよく見たい場面では→ちょっと立ってみる

こういうことが数え切れないほど起きていました。
そして、子どもの体が沢山動いた時は、「いい本番」であることが多いのです。
ボクは、「ジッと座って観ましょう」というルールそのものを疑い、それがいつできたのかと考えるようになりました。


椅子席の歴史

そこでボクが調べたのは椅子席の歴史です。
「ジッと座る」という考えは、椅子があるから成立するもの。
だったら椅子席がいつから導入されたのか、を調べれば分かると思ったのです。

調べると、雑誌『芸能』(2005年4月/11号)に塚田瑞穂さんという方が日本における椅子席の歴史について書かれていました。

それによると、
日本の劇場に椅子席が入ったのは明治5年。
その後関東大震災後にできた帝国劇場の座席が全て椅子席になったことで、椅子席が全国に浸透していったそうです。


塚田さんは、「椅子席が観客に与えた影響」について次のように書かれています。

“近代劇場の観客席に座る観客は、
椅子によって姿勢を固定され、
椅子の向きによって視線を固定された”


まさにこれが、子どもの身体感覚を押さえつけている正体だと思いました。


体の動き=心の動き

大人はまだいいのです。
「劇はジッと座って観るもの」
と頭で受け入れルールに合わせることができるので。

でも、子どもは違います。
子どもは劇を体で観ています。
体は正直ですからルール変更が難しい。

だから、「ジッと見ようね」と言われても、
登場人物と同じように動いてしまう。誰かとくっついてしまう。

ですから、子どもが劇をジッと見られない、というのは、
劇がつまらないからではないのです。

むしろ、劇にのめり込むほど体が動いてしまうのです。
子ども達の体の動きは、そのまま心の動きと言えると思います。


ルールは変えられなくても…

このことに気がついてから、ボクは幼児〜小学生くらいの年齢の子ども達に観てもらう劇では、主催者さんと話し合ってなるべく「好きな姿勢で観ていいからね」とお伝えしてもらっています。

ただ、世の中は「ジッと見ようね」というルールで動いていますから、自分の関わっていない作品では、ルールを変えるわけにはいきません。

それでも大人として今のルール内でできることはあると思っています。

それはやっぱり子どもの反応を受け止めること。

子どもは劇を楽しめば楽しむほど体が動いてしまう。

まずはそのことを念頭において、その子の体の反応を受け止めてあげる。
それが少しくらい周りに影響することでも実はそんなに気にしなくても大丈夫です。子どもは自然に反応しただけなので、周りにも自然と受け入れられることが多いのです。
逆に大人が慌てて子どもを押さえつけようとしてしまいますと、それは不自然ですから周りの邪魔になってしまいます。
そして自分の反応を外に出せず押さえつけられた子どもにも不満が溜まります。これが一番もったいない状態なのですが、それを避けるのが「まず受け止める」ことなのだと思います。

そしてこれがうまくいったらもう本当に幸せです。

ただ、その子の反応が劇への反応ではなく、「ここにいたくない」というものなら話は違ってきます。そういう時は思い切って一度外に出て、落ち着くまで待ってあげるのが良いと思います。

今はお子さんの反応の事ばかり書きましたが、もちろん大人の方も沢山反応してOKです。楽しかったらお母さんが先に笑ったり、とかですね。

そしたらお子さんはどうなると思いますか?
きっとびっくりして振り返りますよ。
そしてずりずりと動いてくっついて来るかもしれません。
それこそが本物の「劇」なのだと思います。

劇は家族の共感タイム。
みなさん、劇を観にいきませんか?


この記事は、Podcast
「アマノジャクな劇作家の『げき×子ども』の発見ラジオ」Ep3
の内容を書き起こし・再構成したものです。
音声で楽しみたい方は、こちらをどうぞ。
(毎週金曜朝7時配信)

※本記事は公式ブログにも掲載しています

「シーッ!」と叱る前に。劇を観て、子どもがおしゃべりを始めるのはなぜ?

※この記事は、
Podcast「アマノジャクな劇作家の『げき×子ども』の発見ラジオ」
第2回の内容を書き起こし・再構成したものです。
音声ではなく、文章として読んでみたい方へ向けて公開します。


「寝ちゃダメ、寝ちゃダメ〜」

劇の途中、客席からそんな小さな声が聞こえてきました。

上演していたのは、矢玉四郎さん原作・人形劇団ひとみ座の『はれときどきぶた』。主人公の男の子が、「明日の日記」を書き終えて眠りにつこうとする場面です。劇はここから非日常の場面に入ります。

きっと、その子なりに嫌な予感がしたのでしょう。だから精一杯止めようとした。

その言葉に客席から笑いが起こりました。でも、その笑いは劇を邪魔するものではありませんでした。むしろ、笑ってみんなの呼吸が揃うことで客席に一体感が生まれました。そして、舞台上で起こる次の出来事にさらなる緊張感を生んでくれたのです。

禁止されているはずの「おしゃべり」が、劇を盛り上げた。そんな瞬間でした。


子どものおしゃべりに、親はヒヤッとする

劇を観ていると、子どもがおしゃべりを始めることがあります。

感じたことを、隣の大人や友だちと共有しようとするおしゃべり。あるいは、登場人物への掛け声。

劇場では「おしゃべりしません」という観劇マナーがありますから、親としてヒヤッとした経験をお持ちの方もいらっしゃると思います。

でも、作り手の立場からすると、劇中のおしゃべりは決して邪魔なものではありません。むしろ、どんな一言が飛んでくるのか、こちらとしては楽しみにしているところがあります。

それなのに、おしゃべりはマナー違反ということになっています。どうしてそんな勿体無いルールがあるんだろう……。いつしかそんな疑問を持つようになりました。


おしゃべりを練習する大人たち

そんな時、ボクは劇を盛り上げるために大声を張り上げる大人たちに出会いました。

歌舞伎の「大向こう」の方々です。

「たっぷりと!」や「なっかむら屋!」と声をかける方達ですね。面白いのは、大向こうの方達は、あの掛け声を練習されているそうですね。タイミング、トーン、間。それらを練習して声をかけているそうです。

『お祭り』という演目では、「待ってました!」という掛け声に対して、演者が「待っていたとはありがてえ」とセリフで返す場面まで用意されています。

ここから分かるのは、江戸時代まではおしゃべりが禁止されていなかった、ということですね。では、一体いつからおしゃべりが禁止されてしまったのでしょうか。


「おしゃべり禁止」の歴史

それは明治時代だそうですね。おしゃべり禁止も、飲食禁止も、静かに座って観ましょうというルールも、西洋から輸入された比較的新しいルールのようなのです。

それ以降観客は「劇を一緒に作る存在」から「静かに見守る存在」へと変わっていきました。

でも子どもは違います。子どもは劇を観ていたら自然とおしゃべりを始めてしまいます。最初に話した子は、歌舞伎の大向こうの方々のように掛け声の練習をしていたわけではないんです。でも完璧な間、トーン、そして言葉を選んで掛け声をかけました。

あの子だけではありません。子ども達の掛け声は不思議なことに誰だって、いつだって完璧なんです。だから自然と受け入れられる。どうしてそんなことができるのでしょうか。


子どもは劇を体で見ている

それはおそらく、子どもたちも自然に話しかけているからでしょうね。自然で作為性がないから聞く方も自然に聞くことができます。だから劇の邪魔にならない。

ここからはボクの想像なのですが、おそらくこういった劇における演者と観客の相互作用というものは、我々の遺伝子の中に組み込まれているのではないでしょうか。劇の歴史は古く、文献で辿るだけでも数千年、劇の解釈を広げて「人の前で人が何かを演じ語り歌い踊るもの」と考えれば、おそらく数万年単位まで遡ることができるでしょうか。子どもの体にはその劇の遺伝子が残っているのだと思います。だから体が動くし掛け声がうまい。子ども達はこんなことを考えているのではないでしょうか。劇をただ黙って観るなんて、もったいない。一緒に作りたい。登場人物とお友達になりたい!

それが「寝ちゃダメ寝ちゃダメ〜」だったのだと思うのです。


大人の役目は「板挟み」になること

ですから、劇を観ていて子どもがおしゃべりを始めた時、「行儀の悪い子」と決めつけたり、「シーッ」と押さえつける前にまず、「お、体が反応してるな〜」と一旦受け止めてあげてほしいと思います。

もちろん、劇場によってはルールが厳しい場所もあります。もしかしたら叱られてしまうかもしれません。その時が大人の出番です。その子の素直な反応と、その場のルールの間に立ってしっかり板挟みになってあげましょう。(笑)

でもその子のおしゃべりより、大人の「シー」の方が気になることも多いんですけどね。それもまた作為性の所以かもしれません。


劇を観ている「子どもの姿」を楽しむ

ボク自身は作り手として、子どもの素直な反応を思う存分発揮してもらえるような劇づくりを心がけていますし、観劇マナーそのものを捉え直す活動も、始めています。

ですが、それは時間をかけて皆さんとの了解を取り合いながら進めていくことだと思っています。先ほど明治から続くルールを「新しいルール」と言いましたが、それは演劇の起こりと比較したからで、我々の生活レベルで浸透しているルールであることに変わりはありませんからね。

ですからまずは、「劇を観ている子どもたちの自然な反応」を楽しめる大人が、一人でも増えてくれたらいいなと願っています。

劇を観ている時の子ども達は本当に面白くて可愛いいですからね。

もし、あなたにも「忘れられない子どもの一言」があったら、ぜひコメント欄で教えてください。

この記事は、Podcast「アマノジャクな劇作家の『げき×子ども』の発見ラジオ」Ep2の内容を書き起こし・再構成したものです。音声で楽しみたい方は、こちらをどうぞ。(毎週金曜朝7時配信)

※本記事はnoteにも掲載しています

子どもがスマホだと固まるのに、劇だと目が合って笑い合えるのはなぜ?

※この記事は、
Podcast「アマノジャクな劇作家の『げき×子ども』の発見ラジオ」
第1回の内容を書き起こし・再構成したものです。
音声ではなく、文章として読んでみたい方へ向けて公開します。


劇を観ている時の、子どもの体の動き

これはボクが甥っ子姪っ子と劇を見に行った時の話です。
当時甥っ子が9歳、姪っ子が6歳くらいでした。3人で並んで劇を見ているんですけど、劇で笑った時に2人ともボクの方をみるんですね。
そしてボクも何となくそれに応えるように2人を見る。
そしてまた劇を観る。笑う。顔を見る。
こういうリズムが自然と生まれました。

また、劇では楽しい場面だけではなく不安な場面も出てきます。
その時は主人公が万引きの容疑をかけられる、という場面がありました。
その時に姪っ子が椅子を立って、ボクの膝の上に乗ったんです。そしてボクの手をシートベルトみたいにして、自分を抱かせるようにして劇を見始めました。
おそらく不安が伝播したんでしょう。ボクはそのままにしていました。
しばらくすると落ち着いた姪っ子は自分から椅子に戻りました。

この顔を見合わせたり、くっついたりするのがボクには楽しかったんですね。でもそれがなぜ楽しいか、ということまでは考えていませんでした。

そして次の日、ボクは洗い物をしていたんですが、姪っ子達はリビングでアニメを観ていたんです。ふと見ると、その時2人が固まってるように見えたんですね。
ですからボクは「おーい」と手を振りました。でも全然気づいてくれません。回り込んで手を振った時にやっと「あれ?いたの?」みたいな薄いリアクションだけ。
なんだかボクがそこにいないみたいな感じでした。
その時に、劇を観ている時とアニメを観ている時で甥っ子姪っ子の首の状態が全然違うことに気がついたんです。

劇を観ている時は首が軽かったんです。くるくる動いてボクと目がよく合う。
反対にアニメを観ている時は、固まっていて動かなかった。

この差は何だろう……。

そんなことを考えるようになりました。
そんな時に、ボクは「劇」の名前の由来を知ることになったんです。

芝居の語源が「観客」を指していた話

劇には芝居という呼び名もありますね。
この語源が「芝に居る」。
つまり観客のことを指した言葉だったんです。

中世の日本では、劇場という建物はまだなく、芝居は基本的に寺社の境内などの野外で行われていました。
その時に観客はゴザやムシロを持ってきて芝の上に座って劇を観た。
これが芝居の語源です。
それまで芝居というと、どちらかというと「舞台上の演技」という意味で捉えていたんですが、本当は逆だったんですね。舞台ではなく観客席の方だった。

一方、古代ギリシャ劇について調べていた時に同じようなことがありました。
それは「劇場」の名前です。
英語で劇場のことを「theater(シアター)」と言いますが、この語源はギリシャ語の「theatron(テアトロン)」です。
そしてこのテアトロンは、古代ギリシャの劇場では「観客席」の名前だったんです。それが転じて劇場全体を指すようになった。
つまり洋の東西を問わず、演劇において観客の存在がどれだけ重要か、ということを言葉そのものが示していたんです。

これが劇を観ている時の甥っ子姪っ子の反応と繋がり、ボクの中にある仮説が立ちました。

劇は共感の営みなのではないか

劇は人と人が関わるために生まれてきた「共感の営み」なのではないか、という考えです。
甥っ子も姪っ子も劇を観ていて、自然と顔を見合わせたり、体の触れ合いを持ったりと関わり合いを持ってきたんです。それも誰かに教えられてそうしたわけではなく、自然とそうしていた。ボク自身もその自然な流れの中で緩やかな幸福感を感じていた。
このように誰にも習わずに出来ることや、気に留めなければ流れていくけれど、ふと考えれば幸せを感じていた、というようなことは人間にとって深い遺伝子レベルの記憶があるのではないか、それが劇の起源なのではないか、そんな考えが起こってきたんです。

それまでボクは、劇は舞台上の表現活動だと思っていたんです。
でもそうではなくて、観客席で起こる反応までを含めて「劇」だった。

そう考えると、「劇は子どもの心を育てる」という言い方も違う気がしてきたんです。
本当に心を育てているのは劇ではなく、「劇を通した人と人の繋がり」じゃないかと思えてきたんです。

これに対して映像は、他者をシャットアウトして自分の世界に入り込む「没入タイム」だと思いました。
ですから劇と映像は、どちらも鑑賞体験として似た者同士のように語られるわけですが、実は全くの別体験なのではないか、と今は考えています。

劇は他者と繋がる体験…
映像は自分に潜る体験…

スマホ時代の劇の役割

そう考えた時に大切なのはバランスだなあ、とも思いました。

ただ、今は赤ちゃんからスマホを見る時代ですよね。
それは「没入タイム」が増えすぎた時代とも言えるわけです。
でも日常生活にスマホが入ってきた以上、映像を隔離するということはなかなか難しいでしょう。

そんな今こそ劇の出番ではないか。
人との関わりを取り戻すために劇本来の力が機能する。
劇を通して誰かとくっついたり、目を合わせたりする「共感タイム」としての役割が求められているではないか、と考えるようになりました。

しかし、劇を観に行くのは簡単なことではありません。
そんな時は、ご家庭での読み聞かせでもいいと思います。
読み聞かせをすると、お子さんはきっと絵本だけじゃなくて読み手の顔を見ると思うんです。読み聞かせも突き詰めれば劇体験。共感の営みの方に位置するのでしょう。

ですので、スマホ時代の今だからこそ、劇や読み聞かせで人と関わる「共感タイム」を楽しんでみませんか?
それがきっと家族のかけがえのない時間になると思います。


※この記事の内容は、Podcastでもお聴きいただけます。
音声で楽しみたい方はこちらからどうぞ。
(毎週金曜日朝7時配信)

※この記事は、noteにも同内容を掲載しています。

小学校3年生の時に学校から帰った話〜エッセイ

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『イノシシと月』はなぜ円形舞台なのか

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追記:一部手直ししました。(2023年8月14日)

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