首里城火災を受けて〜『ちゃんぷるー』を生んだガイドさんとの出会い〜

「五月二十三日。真っ赤な首里城の屋根の上にはシャチホコの代わりに龍が飾られていて、まるで中国のお城のようでした。でも唐破風(からはふ)と呼ばれる屋根の作りは日本の建築方法を使っているということで、これは琉球王国が日本と中国どちらにも礼を尽くしますが、どちらからも独立した国家ですよという無言のアピールだったという事です。ガイドさんのお話は分かりやすくてとても面白かったです。」

これは『ちゃんぷるー』の第3場で語られる愛梨のセリフです。
このセリフは、鹿児島子ども劇場と行った沖縄修学旅行で首里城を案内してくださったガイドと出会ったことで生まれました。
そのガイドさんにさっき電話しました。首里城火災の寄付金募集いろいろやってるけどどこにすればいいかという相談で。

結局、那覇市のクラウドファンディング「ふるさとチョイス 沖縄のシンボル「首里城」再建支援プロジェクト」を選択しました。
クレジットカード決済可。ログインなしで2、3分で終了。うん。カンタンカンタン。

ガイドさんは実はただのガイドさんではありませんでした。沖縄で放送作家・ラジオパーソナリティとして活躍している賀数仁然さんという方で、琉球沖縄民俗歴史マニアでもあるそうです。
ボクたちが首里城を訪ねた時、「首里城のトイレに当たる場所からキセルや酒器が発掘された」という最新の発掘情報から、「これは女官たちのストレス発散の場であったのではないか」というような想像力溢れる考察を聞かせてくださいましたし、旅の目的を鹿児島子ども劇場の森岡さんが電話で伝えた時に賀数さんは、開口一番「じゃあ島津の琉球侵攻にも触れますけどいいですか?」と言ったらしいのです。本当に只者じゃない!

鹿児島子ども劇場の沖縄修学旅行が超弾丸ツアーだったことは、この記事をご覧の方は結構ご存知だと思いますが、首里城にはたった1時間しかいませんでした。
その中で賀数さんは、島津侵攻からペリーの来訪、琉球の外交戦略から女官達のストレス発散方法という情報まで汗だくになって届けてくれたのです。
圧巻は、首里城の下に今も残る太平洋戦争の戦跡である第32軍司令部跡に案内してくださったことです。(最後の写真)
これは、このあと行ったアブチラガマに結実しました。アブチラガマに運ばれてくる負傷兵達はこの作戦本部を守るために戦った兵士たちだったのです。
作品では賀数さんをめっちゃデフォルメして陽気なおじさんとして描いてしまいましたので賀数さんの良さは作品には反映されてませんが(汗)、この時の旅の流れがそのまま脚本のプロットになりました。
『ちゃんぷるー』は、奇跡のような出会いの中で生まれた作品ですが、賀数さんとの出会いもその中の大切な一つです。

ボクは首里城の復興も応援していますが、首里城を大切にしてきた賀数さん達が元気でいることをまず何より願っています。

沖縄のシンボル「首里城」再建支援プロジェクトはこちら→https://www.furusato-tax.jp/gcf/717

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