『イノシシと月』はなぜ円形舞台なのか

8月10〜12日まで開かれていたフェスティバル「こどもえんげき祭inなだ2023」の中の「劇を観て語る会」で、劇団さんぽさんと一緒に作った作品『イノシシと月』に対する質問をいくつかいただいたのですが、その中で「なぜ円形舞台なのか」という質問に、時間内にお答えすることができなかったので、この場を借りてお答えします。

追記:一部手直ししました。(2023年8月14日)

『イノシシと月』(劇団さんぽ)の公演の様子ー鹿児島市内の子ども劇場にてー

「なぜ円形舞台だったんですか?

これが参加者の方から一番多くいただいた質問だったと思います。
理由はいくつかあります。


理由その1、時代の要請
演劇はフィクションですが、そのフィクションはもちろん我々の現実に支えられています。
それは何も物語の内容だけでなく、表現のスタイルそのものにも当てはまります。
今の時代、世の中に氾濫している映像という表現。この国では、ほとんど全ての子ども達が、物心がつくよりも前から映像表現を浴びるほど受けて育っていきます。反対に生身の人間と触れ合う機会はそれと反比例して減少しています。

だとしたら、演じる人と観る人が同じ場所に居合わせることで成立する”舞台芸術”という表現においてはこの「この生身の人間の触れ合い」を大切にするということは、自然な流れではないかと思います。

同じ場所に居合わせる、ということは、身体感覚を同期させることができる、ということですね。
これについて少し考えてみましょう。

例えば呼吸。
我々人間は集まって一緒に歌を歌う動物ですが、それは歌を通して「呼吸を揃えている」とも言えます。
呼吸のリズムは一定ではありません。
その時の体の状態、精神の状態によってどんどん変わります。
ため息の中には感情もこもります。
息は表現なんですね。
人間は息を通して様々な情報を交換し合っているのです。
ということは、子ども達にとっては呼吸も学びの一つ。
そして、生の呼吸が伝わるのは舞台芸術の大きな特徴です。
演者の息が感じられる舞台とそうでない舞台。
観客同士の呼吸を感じられる舞台とそうでない舞台。
今の時代に必要とされているのはどちらだろう。

その中で「円形舞台」という選択肢が浮かび上がってきたのです。

ちなみに「呼吸」だけでなく「目線」や「姿勢」でも同じことが言えます。

こういうと、動物的だと感じる方がいらっしゃると思います。
事実そうで、動物的な情報交換の中に子どもの成長にとってとても大事な要素があるとボクは考えていますが、「目線」はちょっと人間的です。
と言いますのも、白目がこんなに大きいのは他の動物にちょっと無い特徴だからです。
特に同じ類人猿の中で人間の白目は群を抜いて大きい。これは今どこを見ているか、ということを人間は相手に知らせているんですね。
それは生き物として非常に危ういことなんですが、反対に深い共感力を得ることが出来た、と言われています。

ですから目で交流するという体験も子ども達にとってとても重要なことだと思うのです。
演者と目が合う、一緒にいるお母さんお父さん、友達と目が合う。相手の目線を追う。

そんな体験を提供できるのは”生の舞台”の特権ですし、円形舞台はその意味においてスペシャリストなのです。


理由その2、古代の劇も円形舞台

このブログを読んでくださっている方はご存知だと思いますが、2017年頃ボクは古代ギリシャの舞台について色々調べておりました。
演劇の起源を考えたくての勉強だったのですが、その中で学んだことは、時代を遡れば古代ギリシャ劇は円形舞台に辿り着く、ということです。
そして日本の舞台も、歌舞伎→能舞台→舞楽の舞台と同じく時代を遡っていけば、舞台の方が客席の方に迫り出してきて、観衆にぐるっと囲まれるような形になっていきます。
どうやら演じる側と観る側がお互い真正面から向かい合うという舞台の形は、昔からスタンダードというわけではないようなのです。

洋の東西を問わず、舞台の原型が「演者を囲む」という形で共通していたことは、ボクにとって大変興味深いことでした。
そして共通点は”言葉”にもあったのです。

日本で劇を指す言葉に「芝居」がありますが、これは「芝に居る」つまり、客席のことを指しています。
そして英語では劇場のことを「theater(シアター)」と言いますが、この語源はギリシャ語の「theatron(テアトロン)」。これは古代ギリシャの舞台の客席を指す名称から来ているのです。
つまり、日本でもギリシャでも演劇の中で「観客」の存在がどれほど重要であったか、ということを言葉そのものが示しているのです。

にもかかわらず、
にもかかわらずですよ。
現代では観客という存在は、実はあまり大切にされていません。
チケット代を払う「お客様」としては大切にされているのですが、フィクションを共に作り上げる「協力者」とは考えられていないようなのです。

舞台は舞台上で完成されており、観客は暗い観客席の中で息を潜めじっとそれを観察し、舞台上から発せられるメッセージを読み解く。自分の存在をアピールできるのは笑いと最後の拍手くらい。そんな受け身の存在として規定されていることが多いのです。

だから劇を観ている時に喋ると怒られます。席を立っても怒られます。
そういうわけで、劇を観る前に子ども達がそんなことをしないように「立たない。喋らない。」といった”約束”を交わします。

でもわざわざ約束をしてそれを制するということは、子ども達は放っておくと劇中喋ってしまうし、立ったり動いたりする、ということでもあります。

それは一体なぜでしょう。
ボクはそれをいけないことと頭から決めつけるのではなく、子ども達は、なぜそんなことをするのかと考えてみました。

まずどんなことを喋っているか。
劇中の子どもの発言はほとんどの場合舞台と関係しています。
登場人物への呼びかけだったり、連想の呟きだったり、一緒に観ている親や友達との共有だったりします。
つまり、コミュニケーションや表現なのです。
これを規制する必要がどこにあるのでしょうか。

これを考える時にボクは歌舞伎の「大向(おおむ)こう」の人達を思い出します。
歌舞伎座の3階席や幕見席の後ろから「中村屋!」「待ってました!」「たっぷりと!」などと声をかける人達ですね。
どうやら歌舞伎は観客も一緒に芝居を作り上げるように出来ていて、観客にも発言権がある。
「劇中は喋ってはいけない」というのは明治時代になってからできた比較的新しいお約束であることが、このことから分かるのです。

加えて、この大向こうの方々は掛け声のタイミングや声のトーンなどを練習しているようですね。
ここぞというタイミングで声をかけることで舞台を邪魔せず、より盛り上げる工夫をしているのです。

では子どもたちの場合はどうでしょう。
当然、子ども達の発言は大向こうの人達のように練習したものではありません。
その子のタイミングで自由に発せられるものです。
それでも劇中自然発生的に飛んでくる子ども達の発言は、タイミングは完璧、そして声もよく通ります。
多くの場合は笑いを誘いますが、「笑いが起こる」というよりも「風が吹く」という表現の方がしっくり来ます。
邪魔になるなんてとんでもない。
むしろ、劇というフィクションはこの瞬間のためにあるのではないか、とすら思える朗らかなものなのです。

では、子ども達は一体どうしてこういうことを誰からも習わずにできるのでしょう?

ボクはこのことの中に、演劇のなんたるかを考える、重要な手がかりが隠されていると思っています。


「立ち上がる」ということも、頭ごなしに規制していては、その本質をつかむことはできません。

まず子どもはもっとよく見たいから立つのです。
それは能動的な行為であり、自主・自立の芽のようなものです。
その芽を刈り取る必要がどこにあるのでしょうか?

後ろの人が見えなくなる?
大丈夫。後ろの人が見えないと思えば、子どもは自然と座るものです。言葉など介さずともそれくらいのやり取りは難なくできます。それが人間なんですから。
むしろ、そういうお互いの要求の調整を肌感覚で学ぶ機会が必要なのではないでしょうか。

そしてもう一つ立ち上がる理由があります。
自分の好きな人の場所に移動したい、という欲求です。

安心できる相手にくっつきたくなる時があるんですね。

それは怖い時はもちろん、心がザワザワした時にも生じます。
子ども達は自分の中に生じたアンバランスを体の安定で乗り切ろうとします。だからくっつくのです。


劇を観ている時に子どもにくっつかれた経験はありますか?
あれほど幸せな時間はありません。
くっついたり目を合わせたり。子ども達はここでも体をフルに使って情報を交換し合っているのです。

ボクはこれも劇の大きな作用であると考えています。
いややっぱりここも、くっついたり目を合わせたりするために劇が生まれたのではないか、と考えています。

だって、これも子ども達は習わずにできることなんですからね。
習わずにできる、ということは、本能レベルで人間に備わっている能力、それは100年200年では出来ません。きっと何万年何十万年という長い時間をかけて育んできた人間の本質に関わる能力だと思うのです。

しかし、それを禁止してしまってはその能力を発揮することができません。
それでは本質的な学びのプロセスを奪ってしまうことになりかねません。

ボクは、子ども達に生まれながらに備わっている能力を思う存分発揮して、のびのび成長していって欲しいと考えています。

太古の昔、演者をぐるっと囲んでいた観衆は、おそらく色々な音を出しつつ自由な姿勢で客席同士交流しながらフィクションを共に立ち上げていたと思うのです。
そんな古(いにしえ)の劇の形である円形舞台を現代に復活させることは、映像が氾濫して身体言語の交換が少なくなっている今の時代において、とても大切なことだと思うのです。


理由その3、遊びは輪になることから始まる

また、大昔においては、「人が集まること」=「輪になること」だったのではないか、とも考えています。

というのは、子どもは集まる時に輪になるからです。
遊びは輪になることからスタートすることが多い。
輪には序列がありません。
そして遊びにも序列はありません。
この2つは親和性が高いのです。

一方で、「前」という概念には序列があります。
「前を見なさい」という言葉には、「リーダーのいう事を聞きなさい」という意味がありますから、「前」という言葉そのものが権力なくては成立しない言葉だと思うんですね。

権力の起源は農耕の始まりと関わってきますから、「前」という概念や集まり方は、古くともここ1万年くらいの歴史しかないと思います。

対して「輪」は、人類史をチンパンジーと共通の祖先と別れた時点から捉えれば700万年という歴史になりますし、今のホモ・サピエンスになってからと捉えても20万年になります。
「輪」は「前」よりも古い概念であり、集まり方だと思うのです。

そして子どもと親和性が高いと思うのです。

というような理由から、小さな子ども達に観てもらいたいと作った『イノシシと月』には、円形舞台がぴったりだと思ったのです。


理由その4、やってみたかったから

最後は、単純に挑戦してみたかったという作り手としての欲です。

作り手なんですから、理由はこれだけでもよかったかもしれません。
でも、円形舞台は皆さんにも想像していただけると思うのですが、芝居の作り方がとても難しい。対面型の演技術や演出の多くは、そのままでは通じないのです。


「円形やってみたい!」


くらいの軽いノリで作り始めたらすぐに技術的な難しさに直面して、その挑戦は頓挫することが容易に想像できます。

ボクの場合は、この作品に着手していた2020年頃は、上記のようにいくつかの理由が絡み合って「円形舞台だ!」と確信していたので迷いはありませんでした。

結果的に相撲の場面との親和性も高く(というよりも相撲という行事が円形舞台の一つだとも言えますが)、その他にもセット転換や照明変化、音響設備、衣装替えを一切用いずに、シーンの移り変わり、役の切り替わり、登退場など全てを表現したい、というプランとも融合して、結果的に子ども達の想像力を総動員して楽しんでもらえる劇になったと思っています。

これらの手法の一つ一つにも、ボクと演者、そして振付・音楽を担当してくれた西村りなさんの挑戦があります。思想や信念は内容やセリフではなく、スタイルや技法そのものに込めることができるのです。

ただ今回は話が逸れるのでそこには触れません。

とにかく円形舞台を選んだ理由としてはおよそこのようなことがあったわけです。


他作品からの影響

最後に「語る会」の中でも少し出てきた「円形といえば劇団風の子」など、他作品からの影響についても触れておきたいと思います。

児童演劇界において関矢幸雄さんの存在は半ば伝説のようになっています。
その代表に円形舞台というスタイルがあります。

ただ、ボクが昔所属していた人形劇団ひとみ座の中では関矢さんの影響はそれほど大きくなく、というよりもむしろほとんどなく、ボクは劇団を退団してフリーになるまでは関矢さんの名前すら知らずにいたくらいです。

その後、フリーになり交友関係が広がる中で関矢さんのお名前を聞くようになりました。
同時にボク自身、演劇の起源について考え始めたことで円形舞台に興味を持ち始めていました。

最初に円形に近い形に挑戦できたのは、劇団仲間さんと作った『ガクモンの神様』でした。
この舞台は完全な円形ではありませんが、270度まで客席の角度を広げられ、観客同士がお互いを見合えるような環境を作ることが出来ました。
その創作の過程では意識して関矢さんの演出作品について調べないように注意を払っていました。
影響を受けたくなかったからです。

その後、関矢幸雄さんの資料に当たり、ボクなりに関矢幸雄さんの仕事について考えたことがありますが、その前に円形舞台について自分の考えを確立できていたので、おそらく『イノシシと月』の円形舞台には、関矢幸雄さんからの直接的な影響は少ないと思います。
むしろ、『陽気なハンス』の頃の全盛期の関矢さんに観られても、自分が演出として一歩も引かずに対峙できるか、なんて空想はよくしていましたが。

でも他の作品の影響を全く受けていないわけではありません。
円形舞台としては、2015年に民族芸能アンサンブル若駒さんの『ズッコケ狂言』を拝見していました。
舞台の向こうに知り合いの顔がある、というのが新鮮な体験で、演出の松本則子さんにそのことを伝えると、「お客さんの存在が演出なんや」と言われて「へ〜」と思った記憶があります。
今考えれば、松本則子さんは、関矢演出の影響を受けていないことはないと思いますので、巡り巡って『イノシシと月』にも関矢さんの影響はやっぱり合ったかもしれませんね。笑

とまあ、ここでは、児童演劇史に紐づける形での『イノシシと月』の立ち位置に触れました。
本当は批評家がこういうことをやってくれたらいいのですが、児童演劇界には批評家がいませんので自分でしました。


『ちゃんぷるー』との関係

あと、”生の体験”について話していると時々『ちゃんぷるー』の舞台の形について触れられる方がいらっしゃいます。あの作品は「360度周りが舞台」といって客席をぐるっと囲む形で舞台を作った逆円形舞台のようなスタイルでしたからね。

しかし、あの舞台の形はボクではなく演出の大澗さんが考案したものです。

これはボクの想像ですが、大澗さんは風の子の劇団員ですから大澗さんは大澗さんで当時「関矢演出からの脱却」を考えていて、円形舞台の反対の形を試してみたかったのではないでしょうか。

ここはまた少し難しくて、”生の体験”と”創造の儀式”のバランスの問題があると思うのですが、今は関係が薄いので触れません。


以上、昨日の「語る会」で話せなかったことの補足でした。

ちなみにここに書いたことは、150名程度までの観客数を前提にしたことで、1000人の観客だと全く違うことになります。1000人の人間が一同に会するようになったのは農耕以後のことですから、100人のお客さんを対象にした劇と、1000人のお客さんを対象にした劇は、実は全く別の目的を持ったイベントなのです。この点ご注意ください。

他に、方言についての質問も出ていたと思いますが、円形舞台の説明が長くなってしまったので今日はここまでとさせていただきます。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。

こどもえんげき祭inなだ2023にはのべ134名のお客さんが集まってくれました。

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