「戯曲」という言葉になぜ「曲」が入っているか

先日の「戯曲研究Vol.1 ー戯曲とはー」で、受講生からこんな質問を受けました。

「なんで戯曲は音楽じゃないのに『曲』という字を使うんですか?」

また、ある女優さんからは、こんな質問を受けました。

「西上さんは『戯曲』という言葉と『脚本や台本』という言葉をどう使い分けていますか?」

どちらも即答できず…
とりあえず「曲」の字については、「謡曲」の存在や、音楽と演劇との関わりについて話しました。「使い分け」については、稽古場で使われているものを「脚本」や「台本」、書店に並ぶ読み物としての脚本を「戯曲」というように使い分けていることと、映画やテレビのシナリオと区別する時に「戯曲」という言葉を用いることを話しましたが、自分でも納得が行かず…

オレ「戯曲」の語源知らない!!

ということで、今日は「戯曲」の語源について国会図書館で調べてきました。

目次

日本大百科全書(ニッポニカ)より

一般には脚本、台本とほぼ同じ意味で使われるが、それが直接上演を目ざした、舞台に直結した作品をいうのに対し、戯曲は作者(劇作家)の書いた作品の思想性を重視し、文学作品としても鑑賞できるような芸術性を保った作品をさしていう場合が多い。

戯曲… 藤木宏幸より

戯曲が読み物としての文学性を重視するのに対して、脚本は上演効果としての演劇性に力点を置いたことばといえよう。たとえばシェークスピアの作品は優れた古典戯曲であると同時に、特上の演劇台本(脚本)である。

脚本…大島勉より

というわけで、「使い分け」については、ボクの返答もあながち外れてはいなかったわけですが、気になるのは「語源」です。

この語は、中国で宋(そう)・元の時代から用いられ、もとは雑劇や雑戯(歌が中心で庶民に好まれた大衆的な芸能)の歌曲を意味していた。日本の歌舞伎(かぶき)では台帳、正本(しょうほん)などとよばれていたが、明治初年にヨーロッパのドラマdramaの訳語として戯曲の文字があてられ、明治末以降演劇の劇的内容を文字で記し活字にした劇作品を広く戯曲と呼び習わすようになった。

戯曲… 藤木宏幸より

なるほど。「歌曲を意味していた」のところが「曲」の字を当てた理由でしょうか。そして、歌舞伎では呼び名が違ったことも面白い。そこでこんな表を作ってみました。

日本の伝統芸能での戯曲(脚本)の呼び名

参考…日本大百科全書(ニッポニカ)、世界大百科事典、新版 能・狂言事典、「芝居から演劇へ」東晴美著

※狂言はよく分からなかったので「?」としました。これは、狂言が口伝を基本としていたために台本そのものがなく「ちょっと『あれ』取って」ということがなかったためでしょう。『狂言記」という江戸時代に出版された狂言台本集があったそうですが、これが名詞なのか固有名詞なのか判断できなかったので省略しました。
※歌舞伎の「台帳」という呼び方は、江戸での呼び方であり、上方では「根本(ねほん)」と読んだそうです。

と、まあこのような呼び名があった日本の明治初期において、文明開化とともに西洋から「drama」が輸入され、そこに「戯曲」の字が当てられたとのこと。

戯曲の語源は中国語

で、その語源になったのが「英華字典」1883年と言われています。これは、国会図書館のデジタルコレクションでご覧いただけます。その中から「Drama」を引くと…

ありました! 「Drama,A play,戯曲,梨園戯」とあります。

この字典を作った人は、ウィルヘルム・ロブ(プ)シャイド。ドイツ人宣教師で中国名は、羅存徳。この人のことを調べると、

日本の明治初期の翻訳漢語に大きな影響を与えたといわれる
(日本国語大辞典)

と、ありますので、それらを加味すると、当時中国で活動していた宣教師が「Dramaってこの国ではなんて言うの?」と聞いたら「戯曲だな」と返ってきたんでしょう。そして、その言葉が巡り巡って日本に輸入された。では、中国でなぜ演劇を指す言葉に「戯曲」という字を当てたのか…

これについては、『演劇百科大事典第2巻』(平凡社 1960年)に詳しく書かれています。

宋時代に生まれた「戯曲」の語

戯曲の語は、中国の宋代に作られたもので、『轍耕録』には「唐有伝奇、宋有戯曲、金有院本雑劇、其実皆一也」とある。戯曲とはすなわち「雑戯の歌曲」の意で、「雑戯」は『文献通考』に見えるが、それはまた『唐書百官志』中の「雑劇」とほぼ同義である。当時の中国では、劇的表現の三要素たる科(しぐさ)「動作」・白(せりふ)「説話」・曲「歌唱」のうち、歌曲を最も重んじたため、「戯曲」は一般に劇的内容をさすに至り、後代に歌曲の部分が減じて散文的なせりふが主体となり、あるいは全く音曲的要素を欠くいわゆる話劇を生じるようになってもなお戯曲の語が慣用されている。

河竹登志夫

演劇はミュージカル前提?

中国では、元々演劇はミュージカルだったんですね。日本においても狂言はセリフ劇ですが、そのほかの能、人形浄瑠璃、歌舞伎は音楽なしでは成立しないものです。
明治初期に、ある歌舞伎役者が西洋の芝居のセリフを聞いて「糸に乗らねえ台詞なんて聞いていられねえ」と言ったそうですが、そのことがよく物語っています。元々は、日本もミュージカルが主流だった。ただそのミュージカルとは、メロディやリズムに乗った西洋的なミュージカルではなく、自分たちの文化の中で育んで来たミュージカルだった。

タモリさんが「ミュージカルは恥ずかしくて見てられない。何で突然歌うのか自分には分かんない」と言ったのは有名ですが、それはタモリさん個人がミュージカルを嫌っているということではなく、日本の演劇文化が明治時代に一度過去と大きく断絶してしまい、その時のひずみが今なお、違和感や恥ずかしさとして残っているだけなのかもしれません。

「なんで戯曲は音楽じゃないのに『曲』という字を使うんですか?」

と言う質問に私が即答できなかったことも、実は深いところに問題があるのかもしれない…

いつか、本当の意味での「戯曲」を書くことができるか…

そんなことをぼんやり考え始めました。

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