『オイディプス王』を読む。6/6 (演劇史考14)

『オイディプス王』を読むシリーズも最終章、舞台はいよいよエクソドス(終章)へ。前回取り上げた物語の中盤では、設定のややこしさに置いて行かれたワタクシですが、ラストは無事ついていくことは出来るのでしょうか。

プロロゴス(序章)
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目次

前回までのあらすじ

テバイの王オイディプスは、国にはびこる疫病の元凶を突き止めるため神託によって示された先王殺害の下手人を探す。しかし、その下手人こそ自分自身であった。自らが殺害した先王とは実父、いま妻としているイオカステは実母である事を知ったオイディプスは絶望して宮殿に消える。

コロスの力

さて、オイディプスが退場した後はコロスによる旋舞歌です。これまで各場面ごとに挿入された旋舞歌は、おおむね『オイディプス王』の物語そのものにふれるというよりは、ゼウスやアポロン、エルメスなどギリシャ神話の神々を讃えるようなモノでした。しかしこの場面では、オイディプスに焦点を絞って歌い上げています。1967年の訳(藤沢令夫訳)なので、古い言葉使いですが大方の意味は分かると思いますので、ここに全文引用します。

(正歌)
ああ人の子の 無きに似たそのいのち。
仕合わせを 得しとおもえど
はかなくて やがてまた
消えていく そのまぼろし。
いたましや オイディプス王、
おんみを見ては、
汝が運命みては、人の子を
ゆめさちありと われは思わじ。

(対歌)
ひいでし術(わざ)に
的を射て 欠くるなき
幸得し人。謎うたう
曲爪の スフィンクスを討ち、(注1)
わが郷に 寄せくる死を
ふせぎ立ちし テバイの砦。
君その日より
王にしあれば 崇められ、
栄えあるテバイを 治(しろ)してありしを。

(正歌)
されどいま 誰(た)が身の上を君にくらべん、
むごき呪いと渦の中に
いたましく 運命(さだめ)は変りて。
おお 名もたかきオイディプス!
同じ一人の花嫁が
子をまた父を
安らげて来し広き港―。
父の蒔(ま)きし
たらちねの母の畝土(うねつち)、
いかなればかくも久しく
ああ黙(もだ)しては
君を忍びて堪ええしや?

(対歌)
全能の「時」の裁きは 君図らざるに、
生まれし子がまた生む父たりし
いまわしき 縁をあばきぬ。
おお ライオスの嫡子(よつぎご)よ、
いっそ君をばこの世にて
見ざりしならば!
君を嘆こう悲しみの
わが歌は
死者悼む挽歌とひびきて、
君ゆえに生命(いのち)すくわれ
君ゆえにいま
目閉ざし絶ゆるこの身かな。

これは、つまりこれまでのあらすじを「説明」しているわけですね。現代劇だったらこんな事しませんよ。語り手が出て来て、今まであった事をわざわざ語り直しますか? しませんよね。そんなことしたら「説明過剰」として観客は怒ります。しかし、僕はこのコロスの歌に怒りは覚えません。むしろ、引き込まれていく。それは何故か? コロスがただの語り手ではなく、15人の演者による壮大な歌と踊りの場面であるという事もあります。さっきまで情報処理のためにさんざん左脳を使わされたので、ぼんやり見てるだけでいいコロスの場面はハッキリ言ってラクです。
しかし、それよりもこの場面が舞台を説明したものではなく、実はその逆である事を知っているからです。逆なんです。「コロスが舞台を説明している」のではなく、「役者がコロスの中に入ってきている」のです。元々ギリシャ悲劇の中に俳優はいませんでした。集団が神の物語を歌い踊るというだけのものでした。ディテュラムボス(dithyrambos)です。(注2)そこに一人の俳優が立ち上がり「我は神なり」と名乗りを上げてしまった。物語が三人称から一人称へ。過去形から現在形に生まれ変わった瞬間です。その瞬間が今やって来ました。父を殺し、母と通じていた事を知ったその瞬間のオイディプスが登場するのです。コロスの旋舞歌が口寄せとなり、神話の最も劇的な場面が現在形として蘇ります。

死体は見せない

と、思ったら最初に出てきたのは、報せの男でした。コロスたち(市民の長老たち)に、「今自分が宮殿の中で見たものを伝えなければならない」と言い出します。「いや、お前じゃないだろ。オイディプスだろ。」とは、僕の突っ込み。今からやっとこの悲劇の核である「コロスによるオイディプスへの問いかけ」が始まるのに、君がコロスと喋ったらまた左脳使わなきゃいけないだろ!
しかし、作家ソフォクレスはイオカステの最後を描かなくてはいけません。叙事詩『オデュッセイア』で、

イピカステは苦しみに堪えず、高い棟木(むなぎ)に高く綱をかけて、
力つよく門を守るハデス(冥界の王)の館へと去って逝ったー(注3)

と、うたわれた場面ですね。
ただ、当時のギリシャ演劇では「死体は見せない」というお約束があったようです。

ギリシャ悲劇は、「やたらに人が死ぬ流血劇」というイメージがある。確かに、現存する悲劇32本中、24本で死人が出る。だが、舞台上で死ぬものはほとんどいない。
(数少ない例外を除き)全員の死が報告者から語られる。
『ギリシャ演劇大全』 山形治江 著 論創社 2010年より

この伝統は、シェイクスピアにも引き継がれていますね。マクベス夫人の死の場面は、報告者によって伝えられます。たしかチェーホフも死の取り扱いについては「舞台外で…」としていたと思いますが、本音を言えば今の僕にはそんな事どうだっていい。もう説明台詞は聞きたくないのです。
にもかかわらず、報せの男は途中コロスの質問に答えながら69行もの長ゼリフを語りあげます。「いや、聞きたいのは君のセリフじゃない。オイディプスのセリフなんだ。」という僕の愚痴に隣席のおじいさんも同調してくれたはずです。「最近の作者は伝統を軽んじる」って。
しかしこの事は、いうなればこの時が演劇の過渡期だったというわけですね。登場人物(俳優)が生まれ、対話が生まれ、三人俳優制が生まれ、新しい可能性が模索されつつあるギリシャ演劇の最盛期に『オイディプス王』は発表されています。伝統的な「コロス」と現代的な「対話」のさじ加減… ソフォクレスがこの時、伝統におもねることなく積極的に「対話」を試みたことによって、演劇史が次なる段階に進んだことは理解しています。しかし、観客としての僕には,報せの男の言葉よりオイディプスの言葉を聞きたかった。減点1。
さあ、そんな事をうだうだ考えている内にオイディプスが姿を現しましたよ。

盲目となり、血にまみれたオイディプス、従者に手を引かれて館の中よりよろめきつつ現れる。

と、いうト書きです。ここで、当時の演劇のお約束を今一度確認しなければなりません。

血のり

「血まみれ」については、古代ギリシャ人はかなり無神経だった。アリストテレスも、殺人・自殺・自傷などは見せない方がいいといっているが、血まみれを見せることは「悲劇本来の演出ではない」とは言っていない。そして恐らく、古代の演出においては死体を見せることより、「血の色を」を見せることが重要だったと思われる。
たとえば、(中略)オイディプスが両眼から鮮血をダラダラと流しながら現れる。彼は生者であるが、血色を通してそれぞれの死と破滅が視覚化されている。
また、舞台上に運び込まれる死体は、多くの場合、血まみれである。死体を見せるより、死体についた血色を見せる方が、死を認識する衝撃度は大きい。残酷表現としてずっと効果的だ。
中世宗教劇では、各職人組合(ギルド)が様々な裏方を担当したが、イエスが流す血のりは肉屋の担当であった。古代ギリシャも恐らく本物の(獣の)血を使っていたに違いない。本物の血のりの迫力は現代の舞台の比ではなかっただろう。
『ギリシャ演劇大全』 山形治江 著 論創社 2010年より

というようにオイディプスの目には本物の獣の血が使われていたようです。この事は、本編とまったく関係ないわけではない、というのが僕の意見なので、ちょっと頭の隅に置いておいて下さい。

従者

オイディプスが「従者に手を引かれて」というところに「え?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。これまでさんざん「俳優は三人」「コロスは舞台上(プロスケニオン)には上がらない」と書いてきたのに、それに矛盾する人物がト書きの中にいるわけですから。これは多分少年役者(見習い)の役目だったのだと思います。実は第一エペイソディオンを盛り上げた預言者テイレシアスも「少年に手を引かれて登場」と書かれていました。当時の俳優が世襲制度を敷いていたのかどうかは、明確に述べた文献を見つける事が出来なかったので確かな事は言えませんが、少なくともソフォクレスの孫は悲劇作家だったようですから、「親が子に伝える」雰囲気はあったのでしょう。なにより、俳優が頭を覆い隠すような大きな仮面をつけ、一万人を超える聴衆に生で台詞を届け、かつ歌い踊る事が出来る「体」を手に入れるためには、子どもの時からの訓練が必要だったと考える方が自然な気がします。この従者は子役。後のヒポクリテスでしょう。(注4)

終演

話を舞台に戻します。いよいよオイディプスが登場の場面になって、やりとりは「コンモス」という「嘆きの歌」と称される形式となりました。コロスの問いかけもそれに対するオイディプスの返答もすべて歌の形で進みます。たぶん歌といっても歌いあげると言うよりは、エネルギーをグッとへその下で支えるような節回しがあったのではないでしょうか。嘆きのセリフの中にもある種の静けさが漂います。アリストテレスのいう悲劇の浄化、カタルシスですね。
神(運命)に破れ、自らの目を潰し光を捨てたオイディプスは、クレオンに国を預け、流浪の民としてテバイを後にします。その姿をコロスが斉唱をもって送り出して終演の運びとなりました。

二位の結果

では、いよいよ審査です。すでに申し上げた通りこの『オイディプス王』は優勝を逃して二位だったという記録が残っています。なぜ『オイディプス王』は、優勝できなかったのでしょう? 私の考える敗因は以下です。(注5)

  • 運命(神)に挑戦するという構図が神官たちを怒らせた。
  • 三人対話の試みは新しいが、活かしきれなかった。
  • 設定がややこしかった。
  • 若き王と年上の妻(実は母)という設定を生かすため第一俳優トレボレモスをオイディプス役ではなくイオカステ訳にしてしまった。(注6)

これは、ソフォクレスが時代の一歩先を行こうとしていたことの現れでもありますから二位という結果は何も不名誉なことではないでしょう。それよりも最後に考えたいのは優勝を逃した『オイディプス』がギリシャ市民の間で支持されて、他の『オイディプス』物語と区別するために『王』の冠をつけて特別に『オイディプス王』と呼ばれた事についてです。

『王』の称号

これは敗因の裏返しでもあるでしょう。ソフォクレスが「運命(神)への挑戦」を描いたという事は当時のギリシャ人の中に「個」が芽生え始め、神に定められた生き方ではなく、自らの人生は、切り開いていていけるのだという事に気がつき始めていた事を表しているとは言えないでしょうか。観客は観劇中こそ気がつきませんでしたが、オイディプス伝説を人間賛歌の現代劇(当時)に仕立て上げたソフォクレスの先見性に後日改めて喝采を贈るようになったのかも知れません。
当時蔓延していた疫病の事を題材にしてくれた、という思いもあると思います。ウィルスが発見されるまで、疫病という呪いに対しては儀式で対抗するしかなかったわけですから。
そして最後は、近親相姦の問題です。今でこそ近親相姦は人の最も忌み嫌う行動の一つですが、人類がその事に気がつき始めたのはいつからでしょうか。我々は社会慣習として近親相姦を憎悪するのか、生まれながらに憎悪するのかという事ですね。生まれながらにと答えたいのは山々ですが、近年まで日本の農村部ではいとこ位の親類まで婚姻関係を結んでいた事実を考えると、どうもそうは思えません。歴史を遡れば遡るほど近親婚の例は数多く見つかるでしょう。サルからヒト・原始人から現代人という進化の中でいつ「近親相姦は生物として危うい行為」であることに気がつき、禁じたのか。また忌み嫌うべき蛮行としての共通認識を作り上げたのか。何の本で読んだのかちょっと思い出せないのですが、近親婚について日本が鈍い(いとこ同士の結婚を認めてしまう)のは、農耕民族だったからという意見があります。牧畜の文化圏に比べて近親交配による生物学的な経験値が圧倒的に少なかったという意見です。ではギリシャではどうでしょう。『オイディプス王』の中のキーパーソンは羊飼いです。登場人物として羊飼いが出てくることは、当時のギリシャでは牧畜・遊牧の文化があったわけですね。この芝居を演じるためには、血のりが必要ですが、血のりに使った動物は野生動物だと思いますか? 僕は家畜だったと思います。当時のギリシャは、家畜の品種改良が先端技術の一つだったという時代だと思うのです。そういった中で近親相姦のタブーが出来上がった。タブーが出来上がるという事は、「実際にはまだあった」ということです。その事を芝居にする。近親相姦によって生まれた子を主人公とするのは、今の我々が想像するよりもはるかにセンセーショナルな意味を持つ設定だったと考えるべきだと思います。

古典の意味

「対話」や「三人俳優体制」「背景の使用」(←この事には触れられませんでした)など、演劇の技術的な進歩にソフォクレスがどれだけ大きく貢献したかは、これまで見てきたとおりです。「展開がちょっとなあ」という言葉もソフォクレスの挑戦がなければ先に進まなかったことですから、後世の僕が文句を言うのはおかしな話ですね。そしてソフォクレスの偉大さは、やはり当時の社会問題を神話の中に溶かし込んだことでしょう。今日の我々の価値観は2500年前のギリシャから連綿と繋がっています。技術も価値観もそこから派生している。これこそ「古典」と呼ばれる作品の本当の意味ですね。

ギリシャ演劇史終了のお知らせ

現代児童演劇を作るヒントをいただこうと始めたこのシリーズ。当初はサクサク時代を進めながら、西洋・東洋と横断的に勉強するつもりでしたが、気がつけばギリシャ演劇にずいぶん時間を割いてしまいました。これでやっとギリシャ演劇の入り口に立った位だと思います。いや入り口にも立っていないか。だってギリシャ演劇にはあと喜劇とサテュロス劇があるわけですから。それがローマ演劇に引き継がれて、宗教劇の時代に入り…と先が全く見えません!
というわけで演劇史考シリーズ~ギリシャ悲劇編~はここまでとしたいと思います。では、続きはギリシャ喜劇に行くかというと…ちょっと考え中。今回勉強していて一番楽しかったのは「俳優誕生の瞬間」だったのですが、では「人形劇誕生の瞬間」はどうだっただろうという事も気になり始めていますので。
ただ、「ギリシャ編」は、長々と続けてしまったので、一度「簡単なまとめ」を出そうと思っています。自分でもどこに何をどこに書いたかわけがわからなくなってしまっていますので…それをupしたところで演劇史考シリーズは、少しの間おやすみをいただきます。(新作『はれときどきぶた』の脚本締め切りが近づいてきていまして…)
なにはともあれ、演劇史考~ギリシャ編~の本編はここでおしまい。
このマニアックでやたら長いブログに最後までお付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございました。みなさんのご感想・ご質問が力となってここまで続けることが出来ました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2017年10月6日 西上寛樹

注意書き

  1. オイディプスはスフィンクスの謎をときテバイを解放した事で王の座についた。
  2. ディテュラムボスについては、こちらの記事をご覧ください。
    俳優誕生の瞬間 テスピスについて 演劇史考8
  3. 『オデュッセイア』の中では、イオカステはイピカステとなっている。
  4. ヒポクリテスについては、こちらの記事をご覧ください。
    古代ギリシャの職業俳優「ヒポクリテス」について 演劇史考10
  5. 当時の審査は、悲劇3本+サテュロス劇(演劇神ディオニュソスを祀った猥雑な笑劇)1本の総合得点で競われたそうですが、この年に競演にかけられた作品は『オイディプス王』以外は現存していないので想像のしようがない。ゆえに『オイディプス王』だけで敗因を考えました。
  6. 筆者の想像です。

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