『オイディプス王』を読む。3~5/6 (演劇史考13)

ええっと、タイトルの分数がおかしなことになっています。今回の記事では第二エペイソディオンを詳らかに読み解こうと思っていたのですが、第四エペイソディオンまで一気に読むことにしました。それは何故か… はい。「つまらなかったから!」です。どうにもツギハギに足される設定が多くて観客が振り回された印象。これは一気読みした方が「なぜつまらなくなったのか」を考える事が出来そうです。ソフォクレスさんには申し訳ありませんが、歯に衣着せぬ物言いで進めさせていただきます。

  1. プロロゴス(序章)  ←前〃回の記事
  2. 第一エペイソディオン ←前回の記事
  3. 第二エペイソディオン ←今日はここから
  4. 第三エペイソディオン ←   ↓
  5. 第四エペイソディオン ← ここまで
  6. エクソドス(終章)

三年前の感想

実は、三年前に『オイディプス王』を読んでいましてその時の感想メモに、
「抗えない預言に対して一度はその呪縛から解き放たれたかに見えるが、すぐに別の情報が明るみに出て最悪の状況を迎える。このトリックが僕にはかなり強引に思われ劇に入りこめなかった。」と、書いています。
三年経った今、当時に比べてギリシャ演劇についての知識は増えたと思うのですが、この中盤の印象は全くと言っていいほど変わりませんでした。とにかくついていけない。何についていけないかというと、オイディプスの一喜一憂にです。主人公の感情の変化についていくことが出来なかったら、やはりその芝居を楽しむ事は難しいですよね。では何故ついていけないかというと、三年前の感想にも書いてあるように「一度はその呪縛から解き放されたかに見えるが、すぐに別の情報が明るみに出て最悪の状況を迎える」という所です。ソフォクレスさんはこの展開をやたら繰り返すのです。その度に「新しい登場人物」が「新しい設定」を持ち込み、継ぎ足すように展開するものですから、観客としては、受け身にならざるを得ないのです。

プロット

序章から第二エペイソディオンまでをプロットにまとめてみました。そこに筆者の感想も書き込んでいます。「ワクワク」とか「ポカーン」とか、ギリシャ演劇を語るには、あまりに幼稚な言葉遣いですが、僕は感想とは本来こういったものだと考えておりますのでお許しください。色々と書いていますが、観ていただきたいのは「ワクワク」から「ポカーン」へと変わる筆者の感想の変化です。

肩透かし

最初の「ワクワク」が途切れるのは、オイディプスとクレオンが議論している場面にイオカステが登場する場面です。前回の記事で筆者は「いよいよ三人対話の場面です。」と書きました。「そして第一役者トレポレモスの登場」と持ち上げました。
しかしながら蓋を開けてみると、三人は一堂に会したものの対話は二人ずつ行われます。「オイディプスとクレオン」→「オイディプスとイオカステ」といった形です。これでは三人による複雑な対話の流れを楽しむことは出来ません。俳優の数を二人から三人に増やした意味をあまり感じられないのです。三人が対話するという事は、三人が別々の言い分を持っているという事。三人の言い分がぶつかり合い、ジャンケンのように拮抗する時、思いもよらない化学反応が生まれたはずだと演劇史の転機を「ワクワク」しながら見守っていたのですが、なんだか「肩透かし」を食らった気分。
また残念なのは、クレオンが引き下がった後イオカステが諍いの原因を聞きなおす事です。「いや、それ俺ら知ってるし!」というのが観客である僕の感想。「そこはイオカステが陰で一部始終聞いていた設定にして話を前に進めようよ」と、思ってしまうのです。説明だと「対話」になりません。「対話」にならない会話では役者の空気は変わりません。空気が変わらない芝居は観ていて何にも面白くない。第一役者トレポレモスと、主役に大抜擢された第二役者である若きアドニスの芝居を楽しみに客席についていた僕としては、いささかがっかりです。(注1)

新設定のオンパレード

そしてそこからも「対話」というよりは延々と「説明」が続きます。イオカステの口からは、

  • 実は、先王には「我が子に殺される」という神託が下っていたこと。
  • しかし、その子は生まれてすぐに捨て殺したから神託は当たらなかったこと。(その赤ちゃんはくるぶしに留め具を突き刺して捨てた)

オイディプスの口からは、

  • 実は、自分はコリントス(別国)の王族に生まれたと思っていたが、本当は血のつながりはなく、その真偽を確かめるため神託を仰いだら「父を殺し母と通じる」という恐ろしい言葉を受けたので流浪の民となったこと。
  • その時にある場所で先王(ライオス)と思われる人物を殺害したこと。

というようなことが語られます。物語もここからいよいよ佳境へという段で、実は、実は、の新設定のオンパレードなのです。その度に登場人物たちは「ギョッ!」とするのですが、こちらは「ギョッ!」とはなりません。「え? そうなの? そうだったの?」と情報処理に躍起になり、やがてどんどん提示される新設定を処理しきれないまま、舞台上で繰り広げられる人物のやり取りに対して「ポカーン」と、口を開けたまま受け身の状態に陥ってしまったというわけです。いやあ、ちょっとご都合過ぎじゃないか、とも思いますよ。正直。

ブーイングの予感

その後も基本的に同じ状態、つまり「ポカーン」状態で観劇せざるを得ません。
第三エペイソディオンでは、噂の羊飼いはまだ登場せず、コリントス(オイディプスの出身地)からの使者がやって来て、

  • オイディプスの父(コリントス)が亡くなったこと
  • オイディプスはコリントス王の実の子ではないこと
  • オイディプスを赤子の時に、コリントス王に渡したのは自分であること
  • その証拠に自分はオイディプスのくるぶしの腫れ(オイディプスは「腫れ足」の意味らしい)について知っていること

が語られます。
これを聞いてオイディプスは「おお、なぜこの古傷のことを知っているのだ。」というのですが、「いやいやいやいやいやいやいや、それさっきあなたの奥さんが言ってたじゃないですか。いまさんざん自分の運命を突き詰めようとしている人がなんでその時は反応しないで、今突然反応するんですか。っていうか、奥さんもなんで旦那の古傷と自分の赤ちゃんにつけた傷が全く同じところにあることを今まで疑問に思わなかったんですか!」と突っ込まないわけにはいられなくなりました。
観客だっていつまでも受け身ではありません。「この劇なんかおかしいぞ!」と思ったらガンガン突っ込んでいきます。それがさらに進めばブーイングです。当時の観客のブーイングはよほどひどかったらしいので、このままだとこの芝居は台無しになってしまうのではないか。僕はそう思ってヒヤヒヤしてきましたが、当時の観客はどうだったのでしょう。

オイディプスは絶望の淵に沈んだが…

劇はやがて第四エペイソディオンに入ります。これまでと同じで各エペイソディオンの間にはコロスたちの旋舞歌が入り、芝居を盛り上げますが、何よりも主筋についていけなくなった僕には仲間たちの歌も踊りも入って来ません。
第四エペイソディオンでは、ついに羊飼いが登場し、オイディプスの過去をすべて話します。それは最も恐れていた事、オイディプスは現妻であるイオカステの息子であり、ライオス殺しの下手人でした。すべてを悟ったオイディプスは絶望の淵に引きずり込まれ

オイディプス ああ、思いきや!すべては紛うかたなく、果たされた。おお光よ、おんみを目にするのも、もはやこれまで。生まれるべからざる人から生まれ、交わるべからざる人とまじわり、殺すべからざる人を殺したと知れた、ひとりの男が! 1187行

と言い残して宮殿に退場します。劇はいよいよ終章エクソドスに入ります。楽隊の音楽もコロスの踊りもいよいよ激しくなるでしょう。しかし、観客の反応は果たしてどうだったのか…
筆者は今回勝手気ままに『オイディプス王』をコケおろしてしまいました。この演劇史考シリーズの目的は批評ではなく当時の演劇を知ることによって、これからの演劇に何かしらのヒントを得よう、というものなので趣旨とは外れた言動だったかも知れません。
第四エペイソディオンが終わった時点で、当時の観客がこの芝居をどのように楽しんでいたのか想像することが難しい状況に陥ってしまいました。この年、ソフォクレスは優勝を逃して二位になっています。筆者はその原因を「神(運命)への挑戦の物語」を描いてしまったからだと睨んでいましたが、もしかしたらもっと単純に内容の問題だったのかも知れません。しかし、ギリシャ市民たちはこの芝居を他の『オイディプス』物語と分けて『オイディプス王』と呼びました。それは史実です。私が現代の感覚から『オイディプス王』をコケおろすのは自由だと思いますが、それと同時にこの作品が『王』の冠をつけてギリシャ人に語り継がれた理由を探さなくてはなりません。終章エクソドスの中にそのヒントは隠されているでしょうか。次回はいよいよ演劇史考ギリシャシリーズ最後の記事になります。今回も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

注意書き

  1. この配役は筆者の勝手な想像です。トレポレモスは実在した役者ですが、アドニスは想像上の人物です。

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