第二、第三俳優の誕生 演劇史考9

お待たせいたしました。久々の演劇史考シリーズの更新です。今回は「第二俳優」、「第三俳優」の誕生について見ていきます。
この「俳優三人体制」の確立によって、ギリシャ悲劇は完成し、黄金期を迎えたと言われています。それは一体どんなものだったのでしょうか。今日は、ギリシャ悲劇黄金期を支えた「俳優三人体制」のシステムについて勉強していきます。

第二俳優の誕生

第二俳優を生み出したのは、作家アイスキュロス(紀元前525-456年)です。

アイスキュロスの像

テスピスはただ一人の俳優を発明したに過ぎなかった。それを二人に増して、その俳優同士の間に充分な対話を行わしむるに至った事は、演劇の中心的生命を真に溌剌たらしめる所以であり、これは演劇発達上画期的の仕事であらねばならない。『ギリシャ・ローマ演劇史 第1巻』 新関良三 著 東京堂 1958年 110p

二人目の俳優が生まれた事により「対話」が生まれました。では、第二俳優が誕生する前の、第一俳優(テスピス)と、コロスとの間では、どのようなやりとりがされていたのでしょうか。コロスは合唱隊ですが、リーダーの指揮者は、一人で台詞を語ります。それは「対話」ではなかったのでしょうか。この疑問については、前回のテスピス特集の記事で申し上げたように、テキストが残されていないので、正確には分かりません。ただ、山形治江氏は、『ギリシャ演劇大全』( 論創社 2010年) の中で一人俳優時代のギリシャ悲劇は、日本の複式夢幻能の形に近かったのではないかと言及されています。ワキが聞き役になる事で、死んだはずのシテが在りし日の記憶について語り出す、というあの形です。ワキがコロス、シテが第一俳優ですね。しかし、ワキが聞き役に徹していれば物語はうねりません。新関氏の言葉を借りれば、「俳優同士の間に充分な対話がなければ、演劇の中心的生命を真に溌溂たらしめたとは言えない」のです。
ええっと…ここ、非常に微妙な所です。これを「ドラマの本質」と、言い切ってしまえば、能はドラマチックでない、ということになってしまいます。決してそうではありませんね。近年日本でも普及しつつあるベイビードラマも対立構造は取っていませんが、「これをドラマと呼ばずにして何をドラマと呼ぶべきか!」という位ドラマチックです。(詳しくはこちら→「はじめてのベイビードラマ観劇体験」)
そういうこともあり、僕は現在、ドラマの本質を「演者と観客のつながりそのもの」の中に見出すようになっていますが、その「つながり」を生むための方法としては「対立構造」が、ものすごく効果的である、という事には、まったくもって異論はございません。異論があるどころか、現在世の中に出回っている演劇、映画、漫画、テレビドラマのほとんどすべてがこの「対立構造」を取っています。もちろんそれは「主人公VS敵対者」という形だけではなく「主人公VS主人公の内なる声」というように変形することもありますが、どちらにしても「対立構造」であることに変わりはありません。これはものすごい事です。どれだけすごい事かを、みなさんと共有するためには、漫才コンビナイツの塙さんの話をしなければなりません。

2500年もののハード

テレビ朝日の番組で『林修先生の今やる! ハイスクール』という番組がありますね。その番組に漫才コンビ ナイツの塙(はなわ)さんが登場し、「漫才の作り方講座」を開いてくれた回がありました。その中で塙さんは、

漫才は、ボケから考えても煮詰まるんですよ。例えばゲームで言えば、ファミコン本体が大発明だったわけじゃないですか。ハードですよね、要するに。このハードを作るのがネタ作り

と、おっしゃいました。ナイツの場合そのハードとは、塙さんの「ヤホーで調べました。」から始まる「言い間違いの連続というボケ」だったそうです。ハードとしてのボケさえ決まれば、後は中に入るソフトのボケを考えていくだけでいいので、いくらでも応用が利くのだそうです。
さあ、これをアイスキュロスに当てはめてください。「人物と人物が対立する」というハードを作り上げたのがこの人なのです。このハードを使って古今東西の劇作家達が数え切れないだけのソフトを作って来ました。シェイクスピアもハリウッドもドラゴンボールも、みんな「対立構造」じゃないですか。アイスキュロスは、2500年持ちこたえる超強固なハードを生み出したのです。これこそが「第二俳優誕生」の真の意味です。

アイスキュロスも俳優

その意味において、アイスキュロス以降の我々全人類ほとんどすべての人が、彼の発明の恩恵にあずかっているわけですが、この事をことさら騒ぎ立てる人はいません。それは何故でしょう?
僕は、ここにアイスキュロスその人も俳優であった、という経歴が関係しているように思えてなりません。つまり、劇作家アイスキュロスが家でウンウン唸りながら「対立構造」を発明したというよりは、若き日の俳優アイスキュロスが、一コロスとして第一俳優の言い分を聞かされていた時に、「いや、それは違う!」と、つい舞台の上に躍り出て反論してしまったのではないかと思うのです。そうするとえらく盛り上がった。で、「じゃあ、これで行こう!」となった。俳優誕生の瞬間のテスピスの時と同じで、そこには「つい…」という感じがあったのではないでしょうか。つまりきっかけは、インプロだった!? いや、もしそうだとしてもそれを後日テキストの形にまとめて来たアイスキュロスは偉大なんですよ。でも、きっかけは一人の天才の思考の結晶と考えるより、人と人が集まる事で起きた化学反応とした方がずっと演劇の本質に近いような気がするのです。

第三俳優の誕生

そしてそれから数十年後、ソフォクレス(紀元前496-406)が第三俳優を生み出しました。ソフォクレスは、かの有名な『オイディプス王』の作者ですね。こうして三人目の俳優が誕生し、ギリシャ悲劇は完成します。「え? それ以上増えなかったの?」って? その答えはこちら。

ソフォクレスが第三俳優trigonistを加えたが、その後の増員はなかった。劇中人物が何人登場しても、すべての役を3俳優でこなさなければならず、また一場面で発言出来る人物も3人までに限られたのである。だが、この厳しい制約があればこそ、かえって詩人たちは比類なく凝縮度の高い劇を創造できたともいえよう。『日本大百科全書(ニッポニカ)』ギリシア演劇で検索 文 細井雄介

ということです。ちなみに、喜劇の場合は話は別で4人システム、6人システムというものがあったようです。
ともあれ、これで俳優の数は三人に落ち着きました。二人で作られた対立構造に別の角度からもう一人他者が加わってくれると、物語を掻きま回してくれて無限に発展しそうですよね。じゃんけんのような関係が作られてギリシャ演劇は完成をみたのかな? と思うと、どうやらそうでもないようです。三人の俳優は決して対等な関係ではなく、第一俳優、第二俳優、第三俳優とランク分けされたものだったようなのです。この俳優たちの事をコロスと分けて「ヒポクリテス」と呼びました。次回は、この「ヒポクリテス」についてみていくことにしましょう。

ソフォクレスも俳優だった

ちなみに、悲劇の大御所作家のソフォクレスさんも最初ヒポクリテスをやっていたそうですが、声が細くてやめちゃったようです。こんな2500年前の裏エピソードが、どの資料にも出てくるものですから、ソフォクレスさんに対して、ちょっと親近感すら覚えてしまいました。今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

ソフォクレスの像

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