俳優誕生の瞬間 テスピスについて 演劇史考8

ギリシャ悲劇においてこの人間、即ち俳優なる芸術家が生まれたのは、テスピスの時に始まる ※資料1

10日間ブログをさぼってしまいました。いや、さぼったというよりは、新作の稽古(というか実験)を行ったりしておりました。それが本業ですのでお許しください。このブログは、基本的に「インプット」の作業を綴っていきたいと思っておりますので稽古の事については触れませんでした。というより、その余裕がありませんでした。いつか、稽古場で考えた事を言葉にしていきたいと思っています。ここで学んだ「姪っ子甥っ子」や「演劇史」のあれこれが、作品作りに大きな影響を与えてくれているからです。稽古のスタイルも脚本の書き方もどんどん変わってきています。稽古というよりは実験へ。構成から即興へ。言葉から体感へ。5年前にひとみ座で脚本勉強会を主催していた時とは逆の事を言っているかも知れません。南アフリカでベイビードラマを観た事も大きかったかな。

ひとみ座戯曲研究会時代のレポートはこちら
『戯曲におけるストーリーとキャラクターの関係について』 ~映画「スタンド バイ ミー」を通して考える~

南アフリカのレポートはこちら
『アシテジ世界大会観劇日誌7 ~初めてのベイビードラマ観劇体験~』

はい。余談でした。
では今日は、俳優の始祖と呼ばれるテスピスについて勉強します。
今日の資料はこちら。

  1. ギリシャ・ローマ演劇史 第1巻 新関良三 著 東京堂 1958年
  2.  ギリシャ・ローマの演劇  新関良三著 東京堂 1960年
  3. 世界演劇史 カール・マンツィウス 著 飯塚友一郎 訳 本の友社 2000年(原本は平凡社1925年)
  4. アリストテレース 詩学・ホラーティウス 詩論  松本 仁助・岡 道男 訳 ワイド版岩波文庫 2012年(原本はそれぞれ紀元前四世紀・前一世紀)

テスピスとは、「最初の俳優」といわれている人物です。生没年は記されていませんが、アテーナイ(アテネ)のディオニューシア大祭の悲劇俳優競演の初代優勝者として『パロス大理石年代記碑文』に名前が刻まれているのが、紀元前534年のことらしいので、紀元前六世紀に活躍した人間だと思えばいいでしょう。
逆をいうと、それまでギリシャ演劇において「俳優」は存在していませんでした。演劇はコロス(合唱隊)によるものでした。それは、ディテュラムボス(dithyrambos)と呼ばれるもので、酒と演劇の神ディオュソスを賛美して円形舞台の中で踊り歌う円舞だったようです。
下記画像出典…Oscar G.Brockett「Making the Scene』より


この円舞を大成させたのが、アリオン(Arion 紀元前628-585年)という人だそうです。このアリオンがディテュランボスの合唱歌の人数を50人に定めたとのこと。円形舞台の中で、50人のコロス達が歌い踊り、神についての詩を物語ったのでしょう。神にささげる円舞と聞くと、ゆるやかな動きを想像する人もあるかも知れませんが、僕は、この踊りは相当激しかったのではないかと想像しています。この図の舞台にはありませんが、円形舞台の中には、トラペヅアと呼ばれる卓があり、そこには神に捧げられた山羊などの生贄が置かれたようです。祀る神ディオュソスは酒の神です。コロスも観衆も当時貴重であった酒を飲み、興奮状態の中でその山羊をこの場で殺したのではないでしょうか。または、山羊を殺すところからこのイベントが始まったのではないでしょうか。僕は、映画『地獄の黙示録』の中で描かれたカンボジアの原住民たちの祭りの様子を思い出しています。集団で狂乱状態になった男達が牛を引きずり出し、刀で牛の首を落ち落とすあの場面です。
50人の男たちが神について物語り、歌い踊り入り乱れる中で一人の天才がトラペヅアに立ち上がって言います。「私が神だ」と。その天才こそがテスピス。俳優誕生の瞬間です。

俳優誕生の瞬間とは、「人が他者に成り代わる瞬間」そして「セリフが語られる瞬間」でした。新関氏は、この瞬間を指して、演劇が儀式から芸術への第一歩を踏み出した瞬間、と言及しています。
テスピスは、舞台(トラペヅア)と、俳優、セリフを発明しました。その他にもうあと二つ発明したと言われています。それは「舞台衣装」と「仮面」です。

というのも、テスピスの時代、役を演じる人間はまだ自分一人しかいません。しかし、詩の中には他にも登場人物が出てきます。そこで一人数役こなすために衣装を着替え、仮面を付け替えたのだそうです。
しかしながら、僕はこの説には懐疑的です。それは仮面劇を観たり、自分で仮面をつけて鏡を見てみると分かると思います。仮面というものは恐ろしいものです。自分が自分でなくなる。そういう危うさがあります。世界中の民族が儀式のときに仮面を用います。そして、「人非ざる者」を呼び起こしトランス状態に入っていきます。仮面の登場は、役を演じ分ける、というような実務によるものではなく、人が神を見た瞬間にあると考えた方が自然だと思います。テスピスは確かにギリシャ演劇に置いて仮面を創作したのかもしれませんが、それは「演じ分けるために必要なアイテムであった」と、とらえるより、「神になるために必要なアイテムであった」と、捉えた方が感覚としてしっくり来ます。テスピスは「自分と神との間」を行き来しました。それは「意識と無意識との間」という言葉で捉え直すことが出来るかも知れません。テスピスが初めて壇上に立ちあがった時、「神を演じるぞ!」と意識的に壇上に立ったのか、それともコロスの中で一緒に物語っている内に「つい」神になってしまったのか。つまり、無意識的に壇上に昇ってしまったのではないか。俳優を真の俳優たらしめるのは、この無意識の介在なのではないか、と考えてしまいます。

それはさておき、テスピスさんは一つの役を終えると、別の役に成り代わらなくてはなりません。その着替え&仮面置き場としてスケネー(楽屋)が作られます。そしてやがてその楽屋自身が舞台として使われるようになり、トラペヅア(卓)に立っていた俳優は、スケネーに作られたプロスケニオンに立つようになります。※演劇史考5を参照。

テスピスは、戯曲も手がけました。しかしテスピスが演じたであろう悲劇のテキストは残っていないようです。新関氏は、著作の中でその理由を、

テスピスの作品は一つも残っていない。恐らく、彼はまだ脚本を書く事をせず、即興的な言句をもって演ずる事が多かったのであろう。

と述べられています。最初の俳優が、劇作家を兼ねていた。またその戯曲は即興であった、ということも面白いですね。現在日本演劇界の第一線で活躍される人の中に自分で作・出演もこなしている方は沢山いますが、これはギリシャ時代からの伝統なのですね。そして、昨今のインプロ(即興)ブームも実は原点回帰なのかも知れません。

テスピスの時代、俳優はまだ「一人」だけでしたが、それが時代が下り、舞台がこのように立派に形作られる頃には、
出典…Oscar G.Brockett「Making the Scene』より

第二俳優、第三俳優が発明されていったようです。その功績は、のちのアイスキュロスやソポクレスに譲らなくてはなりません。次回は、第二俳優、第三俳優の誕生と、当時の俳優トレーニング術を見ていくことにしましょう。


ちなみにこの像は、「悲劇俳優の扮装」題されるものです。出典…『世界演劇史』 カール・マンツィウス
あと、演劇祭の賞品は山羊だったそうですよ。

追伸: ウィキペディアでテスピスと検索するとこんな写真が出てきます。

馬車に乗ったテスピス像です。テスピスは、「馬車で登場した」ということがホラーティウスの『詩論』※資料4で語られていることを引用したのでしょう。
しかし、新関良三氏によると、この節はすでに多くの学者によって否定されたということでした※資料2

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