演劇史を知ることでこれからの児童演劇に何か新しい発見があるかもしれない。
看板は立派に、内実はお気楽に進んでいく演劇史シリーズ第4弾です。
前回、ギリシャ・アルゴリス地方にあるエピダウロス劇場を特集しますと、言ってしまいましたが、早速後悔しています。なぜかというと、本を読んでも
「いつ・どこで・なにが・どうなったか」が分かりづらい!!
そりゃあそうです。なんせ2千年数百年以上昔。キリスト誕生前の話なんですから。
手元に四冊資料を置いて睨めっこをしています。
- 『劇場 ー建築・文化史』S・ティドワース著 白川宣力・石川敏男訳/早稲田大学出版部1986年
- 『ギリシャ演劇大全』山形治江著/論創社2010年
- 『古代ギリシア・ローマ演劇』ピエール・グリマル著 小苅米晛訳 /白水社1979年
- 『古代芸術と祭式』ジェーン・E・ハリソン著 佐々木理訳/筑摩書房1964年
どれもたぶん素晴らしい資料だと思うのですが、紀元前6世紀の記述だったかと思うと、数行後には紀元前3世紀の記述に飛んだりします。劇場名・舞台機構・装置などの説明があってもそれが数百年単位で「ピョンピョン」飛びながら記述されていくものですから、「え? 今のは何時・何処の話?」となってしまいます。物事の流れを正確にとらえるのが難しいのです。エピダウロス劇場に関する記述か別の劇場に関する記述かボクでは判断が出来ない!! というわけで腹を決めました。
ざっくりいきます。学者じゃないし。
とにかく当時の観客像を浮かび上がることが出来たら何かが分かる!
というわけで具体的な所から見ていきましょう。(以下出典に関しては上記資料ナンバーを割り振ります)
- 劇場平面図 (出典 資料1 八ページ)
これは、エピダウロス劇場の劇場平面図※前350年頃のものです。
半円形の劇場であることが特徴ですが、もう一つ大きな特徴は、
圧倒的に舞台が小さい事
横幅も小さいですが、奥行きが全くありません。これがどうやらギリシャ演劇を考える時に大切な要素になるようです。用語をみていきましょう。
Orchestra(オルケストラ)…合唱団(コロス)のいる場所。
Skene(スケーネー)…背景を構成する建物。※エピダウロス劇場では、現存しない
Proskenion(プロスケニオン)…舞台
今日、演劇を観に行くことを「舞台を観に行く」というように、劇場において「舞台」が最重要視されますが、この舞台図で面白いのは、劇場の中心であるはずの「舞台」が貧相であることですね。それはなぜか? 「舞台」は後になってできたモノだからですね。
ギリシア最古の劇場は、≪オルケーストラ≫と観客が集まる場所しか備えていない。そこにはどんな特別席も演台も、俳優にあたえられる一段高い場所のようなものも存在しなかった。そうなるのはながい進歩の流れのずっと後代になってからのことである。俳優と合唱隊のメンバーは≪オルケーストラ≫のなかでごっちゃに立っていた。彼らの衣装が区別の目印になったし、底の厚い履物、底高靴(コトルノス)をはいた俳優が合唱者より高く見えたことでもそれと知れたのである。-出典 資料3 十五ページー
ギリシャの原始的な劇場には「舞台」が、なかったのです。
演者と観客と少しの背景さえあれば良かった。まさにピーターブルックのいう「何もない空間」ですね。
そして、上記資料には記述がありませんが、観客席の名称はTheatron(テアトロン)と呼ばれていました。英語のTheaterの語源ですね。現在では劇場を意味する言葉が元々は、客席を指す言葉であったことは何を意味するのでしょうか。それは「舞台を観に行く」という言い方とは、全く逆の発想。
演劇は、客席において完成する
という原理を示すものではないでしょうか。
しかし、面白いのは客席も完全な円形ではないことです。半円形になっていてスケーネー(背景)分の隙間がある。このスケーネーの後ろには、神殿や神殿の境内、が広がっていたそうです。つまり神の領域、パワースポットがあったわけです。スケーネー分の隙間は、神様に割り当てられた隙間だったのかも知れません。
しかし、時代が下るとギリシャ演劇においてもスケーネーは、どんどん派手になっていきます。テントから木造、そして石造りと姿を変え、壁のように高くなっていきます。同時に装飾が施され、そこに張り出しの舞台(プロスケニオン)が登場します。舞台には、ペリアクトイと呼ばれる小道具が置かれ、演劇史における最初の舞台転換も行われます。神様用に空けておいた隙間は閉じられ、劇場が「より劇場らしく」なるためのスタートが切られたのです。
※シチリア島セジェスタの劇場(再建図)前100年のローマ式になる途中のギリシャ劇場(出典 資料1 二〇ページ)
演劇はこうして少しずつ神様の手から離れていきます。それはもしかしたら、演劇の中心だった観客(テアトロン)が「想像」という特権を少し手放した瞬間だったのかもしれません。
少し主観が強すぎました。
次回は、このあたりの舞台機構の変化を見ていくことにしましょう。
ちなみに底高靴(コトルノス)をはいた俳優とは、こんな感じ。