2400年前の宙乗り「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」について演劇史考6

前回の「ペリアクトイ」に続いて、今回はギリシャ演劇のもう一つの舞台装置「メーカネー」を見ていきます。

ギリシャ演劇においては、最後に神様が登場し、すべてを解決する、という定型があったそうです。

山形治江氏(蜷川演出『メディア』の翻訳者)は、『ギリシャ演劇大全』/論創社2010年 の中で、「悪名高いデウス・エクス・マキナとは」というコラムを書かれています。コラムの中で、この手法を使った作品は計9本あること、またその内の8本は、エウリピデスという作家によるものであることが紹介されています。この劇作法には当時から批判があったそうで、かの有名なソクラテスは、

 

「ちょうど悲劇作家達が何かで行き詰まった時に神を舞台上に出現させる逃避的手段に訴えるように・・・」

 

という言い回しを使っていたこと、そしてアリストテレスも

 

「不自然なのであまり使うべきではない」

 

と、コメントしていた事も併せて紹介されています。

批判はとにかく、実際どんな舞台装置を使っていたか見ていきましょう。

これがメーカネーです。
出典 『Making the Scene』Oscaar G Brockett 2010

こんな大掛かりな装置が今から2400年も前にすでにあったんですね。
ボクは二枚目のメーカネーの資料を見て、2011年に新橋演舞場で観た市川猿之助(当時・亀治郎)さんの『通し狂言 當世流小栗判官』の白馬に乗った宙乗りを思い出しました。
しかし、新橋演舞場の三階に退場する宙乗りと違って、メーカネーの方は、舞台袖(パラスケニオン)から棒を張り出して支えています。これでは、高さが数メートルしか確保できませんよね。対して劇場はこちらです。
ここで宙乗りをしてもほとんどの観客に「見降ろされてしまった」のではないでしょうか。
僕の想像も市川猿之助さんの『小栗判官』から十八代目中村勘三郎さんが『法界坊』で勤めた「世界一低い宙乗り」の方に変わってしまいました。

いや、悪い意味ではありません。「観客の見方が違っていたんじゃないか」ということです。つまり、神様を演じている俳優を客観視して楽しんでいたのではないか、ということです。
この「演劇史考」シリーズの2で、当時ギリシャでは演劇のフェスティバルがあり、そこでは劇作家や俳優のコンテストが開かれていた事を紹介しました。悲劇俳優コンテストが始まったのは紀元前449年の事だそうです。対して劇作家エウリピデスが作品の中で、この「機械仕掛けの神」を使ったのは、紀元前450年~408年であるとのこと。丸被りしています。ひょっとして、この宙乗りは「神をいかに降臨させるか」という宗教的な必然性の元に生まれた技術ではなく、「人気俳優をいかに印象的に登場させるか」というショーとしての要求に応じて生まれたテクニックだったのではないでしょうか。
「役者の中に神を見る」時代から、「神を演じる役者を見る」時代へ。
演劇が宗教儀式から別れて一個の独立した表現方法になるのも、ギリシャのこの時代に始まった事かも知れませんね。

前々回からギリシャ演劇の「舞台」「装置」に注目して見てきました。次回は、「観客」に焦点を移して見て行きます。
開演時間は?
チケット代は?
客層は?
こんなことを調べていこうと思っています。気になることがございましたらコメント欄で質問してください。可能な限り調べてみます。

最後になりましたが、今回の記事を書くにあたっては上記資料の他に、舞台美術家であり舞台美術研究工房「六尺堂」のディレクターでもある杉山至さんのブログを参照させていただきました。杉山さんは、メーカネーについて考えるために実際に木材と平台で実物を作り検証されています。とても面白い研究ですのでお時間のある方はぜひご覧になってみてください。→http://itarusugiyama.blogspot.jp/2017/03/5.html

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