※この記事は、
Podcast「アマノジャクな劇作家の『げき×子ども』の発見ラジオ」
第1回の内容を書き起こし・再構成したものです。
音声ではなく、文章として読んでみたい方へ向けて公開します。
劇を観ている時の、子どもの体の動き
これはボクが甥っ子姪っ子と劇を見に行った時の話です。
当時甥っ子が9歳、姪っ子が6歳くらいでした。3人で並んで劇を見ているんですけど、劇で笑った時に2人ともボクの方をみるんですね。
そしてボクも何となくそれに応えるように2人を見る。
そしてまた劇を観る。笑う。顔を見る。
こういうリズムが自然と生まれました。
また、劇では楽しい場面だけではなく不安な場面も出てきます。
その時は主人公が万引きの容疑をかけられる、という場面がありました。
その時に姪っ子が椅子を立って、ボクの膝の上に乗ったんです。そしてボクの手をシートベルトみたいにして、自分を抱かせるようにして劇を見始めました。
おそらく不安が伝播したんでしょう。ボクはそのままにしていました。
しばらくすると落ち着いた姪っ子は自分から椅子に戻りました。
この顔を見合わせたり、くっついたりするのがボクには楽しかったんですね。でもそれがなぜ楽しいか、ということまでは考えていませんでした。
そして次の日、ボクは洗い物をしていたんですが、姪っ子達はリビングでアニメを観ていたんです。ふと見ると、その時2人が固まってるように見えたんですね。
ですからボクは「おーい」と手を振りました。でも全然気づいてくれません。回り込んで手を振った時にやっと「あれ?いたの?」みたいな薄いリアクションだけ。
なんだかボクがそこにいないみたいな感じでした。
その時に、劇を観ている時とアニメを観ている時で甥っ子姪っ子の首の状態が全然違うことに気がついたんです。
劇を観ている時は首が軽かったんです。くるくる動いてボクと目がよく合う。
反対にアニメを観ている時は、固まっていて動かなかった。
この差は何だろう……。
そんなことを考えるようになりました。
そんな時に、ボクは「劇」の名前の由来を知ることになったんです。
芝居の語源が「観客」を指していた話
劇には芝居という呼び名もありますね。
この語源が「芝に居る」。
つまり観客のことを指した言葉だったんです。
中世の日本では、劇場という建物はまだなく、芝居は基本的に寺社の境内などの野外で行われていました。
その時に観客はゴザやムシロを持ってきて芝の上に座って劇を観た。
これが芝居の語源です。
それまで芝居というと、どちらかというと「舞台上の演技」という意味で捉えていたんですが、本当は逆だったんですね。舞台ではなく観客席の方だった。
一方、古代ギリシャ劇について調べていた時に同じようなことがありました。
それは「劇場」の名前です。
英語で劇場のことを「theater(シアター)」と言いますが、この語源はギリシャ語の「theatron(テアトロン)」です。
そしてこのテアトロンは、古代ギリシャの劇場では「観客席」の名前だったんです。それが転じて劇場全体を指すようになった。
つまり洋の東西を問わず、演劇において観客の存在がどれだけ重要か、ということを言葉そのものが示していたんです。
これが劇を観ている時の甥っ子姪っ子の反応と繋がり、ボクの中にある仮説が立ちました。
劇は共感の営みなのではないか
劇は人と人が関わるために生まれてきた「共感の営み」なのではないか、という考えです。
甥っ子も姪っ子も劇を観ていて、自然と顔を見合わせたり、体の触れ合いを持ったりと関わり合いを持ってきたんです。それも誰かに教えられてそうしたわけではなく、自然とそうしていた。ボク自身もその自然な流れの中で緩やかな幸福感を感じていた。
このように誰にも習わずに出来ることや、気に留めなければ流れていくけれど、ふと考えれば幸せを感じていた、というようなことは人間にとって深い遺伝子レベルの記憶があるのではないか、それが劇の起源なのではないか、そんな考えが起こってきたんです。
それまでボクは、劇は舞台上の表現活動だと思っていたんです。
でもそうではなくて、観客席で起こる反応までを含めて「劇」だった。
そう考えると、「劇は子どもの心を育てる」という言い方も違う気がしてきたんです。
本当に心を育てているのは劇ではなく、「劇を通した人と人の繋がり」じゃないかと思えてきたんです。
これに対して映像は、他者をシャットアウトして自分の世界に入り込む「没入タイム」だと思いました。
ですから劇と映像は、どちらも鑑賞体験として似た者同士のように語られるわけですが、実は全くの別体験なのではないか、と今は考えています。
劇は他者と繋がる体験…
映像は自分に潜る体験…
スマホ時代の劇の役割
そう考えた時に大切なのはバランスだなあ、とも思いました。
ただ、今は赤ちゃんからスマホを見る時代ですよね。
それは「没入タイム」が増えすぎた時代とも言えるわけです。
でも日常生活にスマホが入ってきた以上、映像を隔離するということはなかなか難しいでしょう。
そんな今こそ劇の出番ではないか。
人との関わりを取り戻すために劇本来の力が機能する。
劇を通して誰かとくっついたり、目を合わせたりする「共感タイム」としての役割が求められているではないか、と考えるようになりました。
しかし、劇を観に行くのは簡単なことではありません。
そんな時は、ご家庭での読み聞かせでもいいと思います。
読み聞かせをすると、お子さんはきっと絵本だけじゃなくて読み手の顔を見ると思うんです。読み聞かせも突き詰めれば劇体験。共感の営みの方に位置するのでしょう。
ですので、スマホ時代の今だからこそ、劇や読み聞かせで人と関わる「共感タイム」を楽しんでみませんか?
それがきっと家族のかけがえのない時間になると思います。
※この記事の内容は、Podcastでもお聴きいただけます。
音声で楽しみたい方はこちらからどうぞ。
(毎週金曜日朝7時配信)
※この記事は、noteにも同内容を掲載しています。
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