『イノシシと月』創作ノート2−「きょう山行くの?」4歳の子を魅了した山の秘密を考える−

福岡県須恵町の劇団さんぽさんと幼保向け作品の新作を作っていて気がついたことを綴っています。前回は「なぜ山に入ったか」。今回は「山で何を発見したか」。コロナで創作は中断せざるを得なかったけど、振り返ることで発酵させるぞ〜

では早速行ってみましょう。
当時のことをボクはこんな風に書いていました。

10時過ぎから皿山に入る。美幸さんの末男りょうくん(4歳)も一緒に。
まず現れたのは、孔雀やカモ、キジ。次にコイ。監視役の鳥。門番の猫。
蔓を引きずって、枝で猪をぶっ叩く練習をして山歩き。岩の亀裂をつかんだり、枝をパキパキ踏みつけたり、用水路を潜り抜けたりの2時間半。りょう氏、途中帰りたがったが、結局どんどん元気になって行った。山にあるものはみんなタダだ。

『イノシシと月』製作日誌/2020年1月11日

皿山とは皿山公園のことで、須恵町にあるちょっとしたハイキングコースです。
美幸さんは、この作品のプロデューサーである藤井美幸さん。美幸さんには4歳、6歳、8歳のお子さんがいらっしゃって、りょうくんはその末っ子。ボクとはこの時初めまして。
皿山の麓には、孔雀やキジを飼育している小屋があり、その先のため池には、コイが生息していました。ここでりょうくんは「コイ」という言葉を覚えます。監査役の鳥とは、ため池の止まり木で微動だにしなかった大きな鳥(サギ?)のことで、門番の猫は、登山道の入り口で脇道の高いところにある切り株の上に座ってこちらを見下ろしてゴーゴー鳴いていた顔つきの悪い猫のこと。
ちなみに山歩きメンバーは、ボクとりょうくんと、今回の作品の出演者である篠原弘一くん、辻和花子ちゃん、金堀千春ちゃんの3名、そして音楽と振り付けを担当してくれることになった劇団アフリカのRINAさん(リナさん)です。
日誌に書いた通りボク達は2時間半ほど山で過ごしました。途中りょうくんは「お腹空いた」「帰りたい」となりましたが、木の棒を拾ったり、6メートルはあるであろう蔦を引きずったり、用水路のトンネルを潜り抜けたりしていると俄然元気になっていきました。そしてこれ以降、会う度に「きょう山行くの?」と聞いてくるようになったのです。一体山でりょうくんに何があったのか、そしてボク達大人は山で何を発見したのか、3つのポイントに絞って考えていきます。

1、人間は物を拾う動物である
2、立ち止まる場所は水のある所
3、しのっちを見つけるのは難しい

ポイント1、人間は物を拾う動物である

山を歩きながら、ボク達は様々な物を拾っていたことに気がつきました。
面白いので、次の日「何を拾ったの?」「どうして拾ったの?」と尋ねてみました。

三人の拾った物

しのっちこと篠原弘一

しのっちの拾った物…木の枝
拾った理由…鹿の角みたいに見えたから

若ちゃんこと辻和花子

若ちゃんの拾った物…木の枝
拾った理由…ナナフシみたいだったから

千春ちゃんこと金堀千春

千春ちゃんの拾った物…帽子付きのどんぐり
拾った理由…帽子付きは珍しかったから

理由を聞くまでは、「なんでそんな物拾ってきたのかなー」と思う物がなかったわけではありません。事実、ボクはしのっちが拾ってきた枝をゴミだと思って車から捨てようとしていました。(汗)

でも、こうして話を聞くとその人がそのものを拾うときに「あっ」という発見があったことが分かります。発見には瞬間のきらめきのようなものもあれば、深いため息のようなものもあります。拾ったという行為には、必ず何かしらの理由があるのです。他人にとってそれがゴミにしか見えないのは、その人の「発見」を共有できなかったから。ということは、逆に「発見」が共有できれば、その物を通してその人がその物を拾った時の心のきらめきやため息を見た人も追体験できる、という魔法のようなことが可能になるのかも知れません。ひょっとしてこれが造形や絵画の起こりなのでは? そんなことも頭をチラチラし始めます。
かくいうボクが拾った物はこちら。

6メートル以上ある木のツタ

これは、地面から木の枝に向かって伸びていた物を全体重をかけて引っこ抜いたので、厳密にいうと拾ったのではありません。そしてそれにはパワーを要したので、写真ではちょっと自慢げです。(笑)

りょうくんは何を拾ったか

次にボク達は「じゃありょうくんは何を拾ったか」ということを思い出してみました。

まず木の棒。これは、イノシシをやっつけるためです。というのも、皿山公園の入り口に「イノシシが出ます」という看板が立っていたので、ボクの中に悪い心が芽生えてきて、ついりょうくんの不安を煽ったんですね。

ボク「イノシシ出るって。やばっ」
りょうくん「イノシシって何?」
ボク「やばい奴よ。イノシシ出てきたらりょうくん頼むね。」
りょうくん「?」
ボク「ほら。木の棒拾って、叩く練習して。鼻が弱点だから鼻狙って。ピンポイントで。」

そしてりょうくんは、これ以降手ごろな木の棒を拾ってそこかしこをぶっ叩きながら山を歩き始めました。ちなみにこの時はまだ作品の内容をどうするかということは一切決まっていません。まさかイノシシが出てくる物語になるとは、ボク自身これっぽっちも思ってませんから「こりゃ新作のタイトルは『イノシシをぶったたく』だな!」とか言って笑ってました。

でも千春ちゃんはりょうくんがどんな枝を選んでいたかをよく見ていて、それは、一本棒で先が枝分かれした物のなかで自分が扱える限りなるべく大きな枝。それを振り回して折れたら捨ててまた拾う、ということを繰り返していたとのこと。

ボクの悪魔のささやきによってりょうくんは、完全にハンターと化したのですが、彼はなぜそんなに一所懸命このことに打ち込んだのでしょう? 何が彼を魅了していたのか、ボク達は話し合いました。

危機に立ち向かう冒険心?
幼児の中にある破壊衝動?

それもあるかも知れません。そしてこのことだけを見ると大人としては悪いことを教えたようで冷や冷やしてしまいます。ボク自身悪魔の心を発動させておいて、あとで美幸さんがどう思うかな〜と、気兼ねがなかったといえば嘘になります。
でも、りょうくんの体験をもう少し解像度を上げて見てみるとどうでしょう。そのことが何を意味していたかを先に考えるよりもまず、りょうくんが何を体験したかということを考えてみる。

りょうくんは、今木の棒を握りしめてそこかしこをぶっ叩いています。草を叩き、地面を叩き、木の幹を打つ。それら対象物によって起こる反応が違います。草ならりょうくんでも十分に薙ぎ払える。地面を叩くのと石を叩くのと木の幹を叩くのではかえってくる音も感触も全く違う。そして何より、思いっきり打ち込んだことで、そのパワーが自分の手の平にビリビリと跳ね返ってくる。この感触。ちゃんと掴んでなければ木の棒を落としてしまう。つまり、りょうくんは「叩く」ということを通して逆に「掴む」ということをダイナミックに体験していたと言えるのではないでしょうか。
ボク達は類人猿です。我々の祖先は木の上で生活していました。だから我々の手は物を掴むことに長けた作りになっています。生まれたばかりの赤ちゃんも大人が指を差し出せば本能的に掴む。りょうくんは、今木の棒を振りかざしてぶっ叩くことでこの「掴む」ということをよりダイナミックに体験することができました。自分の体の機能をフルに使うことは喜びに満ちています。だからどんどんぶっ叩く。すると枝の方が力に耐えられず折れてしまう。りょうくんは、躊躇なく次の枝を拾います。それもさっきより丈夫そうな物を。誰に教えられることなくトライ&エラーを繰り返しながら自分の頭で考えて。いや、考えるより先に感じてそれが出来ちゃう。
この日、シェアタイムのあとボク達は竹を切りに行ったのですが、りょうくんはそこでも進んでついてきました。ボクは製作日誌にこんなことを書いています。

その間ボクはもう一本竹を切りに行く。りょうくんに「一緒に行く?」と聞くと進んでついてきた。山を好きになったのだ。子どもは竹を切るのも運ぶのも大好きだ。その体験の中で自分の五感をフル稼働させられるからだろう。
この貴重な体験にお金はかからない。でも世の中はわざわざ金を使って、子どもが本来求めていないことを、さも楽しいことのように宣伝し、価値観を作り上げてしまう。ディズニーランドなんて行かなくていいのだ。山に行けばいいし、竹を切りに行けばいい。

『イノシシと月』製作日誌/2020年1月12日

ちょっと長くなってしまったので、「ポイント2立ち止まる場所は水のある所」「ポイント3、しのっちを見つけるのは難しい」は、記事を分けます。ここにも大きな発見がありましたよー

最後になりましたが、新作が『イノシシと月』に決まり、稽古がスタートしてからりょうくんとこんなやりとりがありました。

りょうくん「にしがみさん、山行こう。イノシシやっつけよう」
ボク「ごめん無理」
りょうくん「なんで?」
ボク「だってオレ、イノシシ弟のこと書いちゃったから」
りょうくん「?」
ボク「だってイノシシがりょうくんと同い年くらいで、優しい奴だったらどうする? 叩ける?」
りょうくん「(少し考えて)よしよしして乗る!」

どうやらりょうくんの祖先は騎馬民族だったようです。

りょうくん

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