「勝手に対談! 松本美里×西上寛樹3」 ~福岡子ども劇場50周年記念誌の西郷竹彦先生へのインタビューを読んで~

誰に頼まれたわけでもないのに「勝手に対談!」ひとみ座松本美里さんとの対談第三弾です。

前回の記事をまだお読みでない方はまずこちらからどうぞ。

「勝手に対談! 松本美里×西上寛樹1」

「勝手に対談! 松本美里×西上寛樹2」

この対談は、今年6月に亡くなられた文芸学者西郷竹彦先生のインタビュー記事(福岡子ども劇場50周年記念誌)を読んで行われたものです。

目次

同化体験と異化体験

西郷「どこに演劇の教育性があるかって言うと、俳優が舞台の上でやっている事を、観客席にいて観ていますね。俳優が舞台の上でやっている事をその人物の気持ちになって観ている。(同化)。それから、同時にその人物を外から批判的に見ている。(異化)。この全く種類の違う二つの体験を同時にしていくんです。その同化と異化とが全く相反する場合に、そこに劇的体験が生まれるわけなのです。」

 

西上     「同化体験」「異化体験」という言葉が出てきたけど、ここで何か連想したことある?

松本     人形劇は、子どもたちが人形の存在を自分よりも少し下に見ているところがあると思うの。ズッコケ3人組は6年生だけど、客席に座っている1年生の子どもたちにとって、3人組を自分よりお兄さんとはたぶん思ってない。むしろ自分より少し下に位置づけて見ている。それが親しみやすさにもなるんだけど、とにかく客観的な見方だよね。でも見続けていくうちに人形の表情が見えてきて、気持ちが分かってくる。すると感情移入がおこって、今度は主観的な見方にシフトしていく。だから、どっちの見方もしてるんじゃないかな。

演劇の教育性

西郷「舞台の上で演じられているテーマに教育性があると普通は考えますよね。それももちろんですけど、劇の進行全体が教育性を持っているのです。(中略)その人物の気持ちになったり、はたで見る者の気持ちになったり、その相反する二つの体験を同時にしていくっていう事で、結局自分で自分を訓練していくことになります。

 

西上     演劇に教育性ってあるのかね? いや、俺、芝居結構観てるけど、俺の人格はちっとも育たない。

松本     それは知りません。(笑い)

西上     それを考えると・・・いや、これは、そもそも教育って何なのかってとこから考えてみないと駄目だな。

松本     演劇教室を授業の代わりの勉強って考えると違うと思う。いや、そもそも授業って何? って事になってくるんだけど。私が受けた教育は特別だったかもしれないから話せば長くなるんですけど。つまり、子どもはつまんなかったらやんないわけ。私が受けた教育は、「つまんなかったらこなくていいよ」っていうものだったから。それは先生の責任になるの。「なんで来ないの?」って聞かれて、「つまんないから」って言うと、「ごめんね。何がやりたい?」って聞いてくる。それは先生の方にのもすごい勉強が必要で、子どもを惹きつける。勉強が楽しいって思ったらどんどん勉強するわけでしょ。
※松本美里さんは、埼玉県飯能の自由の森学園で中学・高校を過ごす。西上は愛媛県の公立校出身。

西上     うん。

松本     教育って「教える・育てる」じゃなくて「教わる・育つ」なのかなって気がするわけ。「教える・育てる」って一方的に上から何かで押さえつけるみたいな気がするの。おこがましいっていうか。それは、姪っ子甥っ子が出来てからそういうことよく思うんだけど、教わるし育っていくんだよなって思うんだよね、こどもって。自分はまだ親じゃないけど、親じゃないから感情的にならない分、そういうこと考えるのかもしれない。

※甥っ子姪っ子。自動販売機の下のお金を探す兄を妹が邪魔している。

西郷「いい演劇っていうのは、切実な異化体験、切実な同化体験ができるようになっているんです。それで、つまり訓練しているわけですよ。その事が積み重なっていって、子ども達が思いやりのある子になったり、自分を外の目で見る事が出来る人間になったりするわけです。お説教で育つわけじゃないんです。」

 

松本 演劇が教育と結びついているなら、それはまず楽しくないといけないし、内容もいわゆる「教育的」というところから離れた方がかえって教育的なのかもしれない。

西上     でもおれはやっぱり自分のこと棚上げできないなあ。演劇を沢山観ても人格は形成されないかもって。

松本     それは、子どもの時の話じゃない?

西上     え?

松本     だって演劇沢山観るようになったのは、大人になってからでしょ?

西上     うん。子どもの時は、ほとんど観なかった。

松本     だからじゃない。大人になってからはもう人格変わんないでしょ?

西上     え? じゃあ、俺は遅かったって事か!

松本     さあ。(笑い)人格っていつ形成されるんだろうね。

西上     ・・・次行きましょう。

 

テーマについて

西郷「それともう一つ大事なことは(中略)テーマを持って生きてるっていうことです。大事なのですが、まず、あまりないんですね。(中略)私達はえてしてテーマを持たずに、行き当たりばったりの人生やっています。(中略)観劇っていうのは、少なくとも一つのテーマで首尾一貫していますから、テーマで首尾一貫してある時間を体験する、それを積み重ねるってことは、非常に大事なことです。単に知識を得まって言うだけじゃなくって、そういう体験の仕方が大事です。特に芝居っていうのは2時間という時間の中でそれこそ劇的に展開しますから、非常に強く働くのですよ。目の前で人物が生き生きと活動しますからね。文学よりはやっぱりその効果が強いです。」

 

西上     西郷さんはテーマを持って生きることの重要性を説いています。そして、一つのテーマで貫かれた作品を観ることが人生にテーマを持つことのトレーニングになるって。でもこれってテーマという言葉のとらえ方を間違えちゃいけないと思う。「この作品の持つテーマは何?」って言われる時、その時のテーマっていう言葉が「作者の伝えたいこと」っていう意味で使われている事がある。でもそれは、違うと思う。テーマっていうのは、「作者の用意した問題」なんだと思う。井上美奈子さんも最後にチェーホフの言葉を引用して、「科学は問題を解決する。しかし、文芸は問題を提示する」って書いてるけど。

松本     こないだ読んだ本の中にもあった。(メモを出して)「演劇とは、いつも民衆の問題になっていること、社会問題や人間関係などを舞台に取り上げて、それを演じる方と観る方が一緒になって、一番よい答えを発見していくということです。」

西上     誰の言葉?

松本     山本安英。

西上     うん。「発見していく」というのがいいね。僕も「作者が用意した問題」のとらえ方として作者はその問題の答えを知らなくていい。いや、むしろ知らない方がいいっていう考え方です。でもその考えがいま揺らいでる。今は、実は「問題定義」すらもいらないんじゃないのかとすら思ってきた。つまり、芝居には観客と舞台の同期「つながり」があるだけでいいんじゃないかって。

松本     でもつながるにはなんか一個の問題定義が必要なんじゃないの?

西上     そうそう。入り口はね。でもそれは目的じゃない。本当の目的は、「繋がる」という状態そのものの中にあるんじゃないだろうかって。人と人が繋がる時には、その人は自意識から解放されてとても柔らかい状態になってる。その柔らかい状態そのものに価値があるんじゃないかって。この辺は、僕自身まだよく分かってないんだけど。でも、こないだ仲間の「森は生きている」の稽古場にお邪魔させてもらって思ったの。俺、その時、十二の月のたき火がありありと見えたから。稽古場の蛍光灯の下でも高く燃え上がる火の粉が見えた。それはもちろん、歌とかダンスとかも大事な要素だけど、自分にそこまで錯覚を与えてくれたのは、十二の月のみなしごに対する優しさや、みなしごの慎ましさだったりしたんだと思う。でもたき火のシーンを介して、稽古場で俺は確かに舞台っていうか役者と繋がった。一気に役の気持ちが全部飛び込んできたような気がした。その時の俺は、すごく柔らかくなっていたんだと思うの。そうすると、たき火は俺の頭の中でまだ燃えている。不思議なのは、このたき火の火が、本番だとちょっと違って見えたことです。(※本番では実際に小道具として焚火の火があった。)「あれ? これ?」みたいになった。おかしい。もっと火の粉は高く飛んでたはずだって。稽古場の蛍光灯の下で見たたき火の方が煌々と燃えているような気がした。不思議です。人のイメージは。でもまあとにかく、その状態こそが、実は演劇に置いて一番大事なことで、「『森は生きている』はあなたに何を教えてくれましたか?」ってもし聞かれても答えようがない。言葉にしたら、「たき火がすごかった」とか「十二の月が優しかった」とか「みなしごも優しかった」とか、子どものような感想になる。そう。子どもってこういう状態で舞台を観てるのかもしれないね。

劇場が脚本と関わることについて

矢野「私たちが「これから」を考えていくには、テーマを持って生きる、テーマを持って考える、何か一つの本質を見極めていくという姿勢が大事なんですね。(中略)」
西郷「そもそものテーマが一貫しているかという、そのテーマの現代性、今の時代のテーマをどれだけアピールするかという、これはもう劇団任せにせず自分たちでやる事ですよね。脚本を何人かで検討したり、場合によっちゃ意見もつけて改作、ちょっと手直ししてもらうという事もあるでしょうしね。だから、観客側から要求するっていうことも必要ですよ。

 

西上     西郷さんは、ここで子ども劇場の人たちに「脚本の段階で読むべきだ」って提案しています。これ、アーティスト側としてどう思いますか?

松本     いいと思います!

西上     美里さんは、役者の立場から脚本にズカズカと踏み込んでくるタイプの人ですけど。

松本     そうですね。(笑い)

ハチベエと美里さん

西上     得意なんですか?

松本     いや、得意じゃないです。読んで素晴らしいと思う脚本(ホン)もあるけど、「これじゃ戦えん!」という脚本もあるから。そうなると、異議申し立てをしますね。

西上     それは脚本の段階からいわないとしようがないっていうこと?

松本     だってもうできたやつに何言っても変えられないぞ。一稿から言わせてもらわないと。

西上     一稿から?

松本     いや、プロット(※)からかな。

西上     プロットからだよね。

 

※劇作家が脚本執筆前に書く構成表。写真は『ちゃんぷるー』のプロット四稿。

松本     でもそれ(プロットから話し合う)は、普通役者は無理だからね。だから、出来てきたものをああだこうだ言ってやるしかない。実際には稽古の最後の方でタイムを削らなきゃってなった時に、そこで初めて思ってたことを伝えられる時が来たみたいな。「こうしたらどうですか?」って。

西上     脚本の段階で役者が話し合いに呼んでもらえることはあんまりないからね。

松本     ないね。本当は良くないことかもしれないし。わかんないけど。

西上     でもそこに観客側の子ども劇場が入ってくるのはいいっていうこと?

松本     まず子ども劇場が観客なのかって事だよね。上演で呼んでもらって分かったけど、共同創造者って思ったから。だから、子ども劇場でやるなら、子ども劇場の人たちと一緒に作るのは自然なことなのかなって思ったっていう。

西上     俺は『ちゃんぷるー』の時、実際そうでした。何十人の感想を聞いたかわかんない。結局五稿まで書いたからね。でも鹿児島の人たちの感想は素直に聞けたかも。それは、相手の脚本への関わり方も関係してくるかな。もし「ここ変えろ!」ってこられた時に、こちらの意図してることを読み取ってくれていない状態での提案だったら「え? ちゃんと読んでくれた?」ってなる。だいたい感想を聞くのって書き終わってすぐ。その時は、神経過敏になってるからね。でも感覚的な感想ももちろん大事で、鹿児島の人からは「一回しか読んでないので感想言うのはあれなんですけど」っていわれたこともあったけど、「いやいや一回でいいんです。それがお客さんの反応にもっとも近いから」って。あ、あとはじめて脚本を読む人たちには、セリフとト書きだけで書かれた本から出来上がりの舞台を想像するのはちょっと難しそうな印象は受けたな。

 

※『ちゃんぷるー』第一稿の感想会。通称「まな板の鯉会議」。下写真の椅子の上にあるのは、西上の顔写真を貼った鯉のぼり。子ども達(大人も)は、この鯉を包丁で切りながら『ちゃんぷるー』の感想を言ってもらった。西上は離れた所で隠れるように聞いていた。

松本     私が自分の出演する作品の脚本に意見するのは、責任は自分が負うってことがあるからだよね。自分が主役の時に、作品に一番責任を持たなきゃいけないのは自分だって。お客さんはそう思うわけで。脚本家の責任ってお客さんが思うわけがないんだから。やっぱり、みんな、連帯責任っていうか。

西上     でも脚本に対してみんな陰ではいろいろ言う。それを表だって伝えに行くっていうことは、美里さんは自分の意見に自信があるんだよな。

松本     そうね。確信はあるよね。

西上     何で?

松本     だって読んだら分かるじゃん。

西上     それはいつ頃から分かるようになったわけ?

松本     え~それはそんなにたってないね。最初はたぶん漠然とした感覚。「なんか原作の方が良くない?」みたいな。でも「ズッコケ時間漂流記」を作る時にプロットから話し合った事とか、戯曲研究会(※)で勉強した時に役の相関図とか、時間軸で物語を捉えていく方法を勉強してみて感覚的に分かってたことが明確になってきたっていうか。
※西上がひとみ座時代主催した戯曲を読み解くための勉強会

西上     もし、子ども劇場の人たちが脚本の段階から話し合いに参加するとしたら、その時は、子ども劇場の人たちは脚本の構造について基礎的なことを勉強した方がいいと思う? それとも勉強しないで感覚的な感想を言ってもらった方がいいと思う? 相当観てる人たちだから勘も経験もすごいと思うけど。

松本     う~ん・・・勉強したい人はすればいいんじゃないかなあ。

西上     そうだね。

松本     でも、興味を持つ人は多そうだけどね。西上君がいましばいの大学でやってる「戯曲を読み解く」みたいな授業(※)をして、そこから一緒に作品を作っていくっていうことがあっても面白そうだよね。

西上     子ども劇場と一緒に勉強できたらそれは面白いぞ。

松本     でも自分は役者としてそれをやったことはすごいいい経験だった。今までいろんな勉強したけど戯曲を読み解く勉強が一番勉強になったと思う。自分の役が担っている要素を捉えられるようになった。劇の本質と照らし合わせて。それまでは、役を割り当てられると、その役の事だけを考えてたから。でもその作品がどこに向かっているか捉えられなかったら自分の台詞を言えないだろうって。でもそれが分かったら、自分の台詞の音がもう分かる。まあ、最終的にはお客さんと決めることなんだけど。

西上     だから美里さんは脚本を読むのが楽しいわけね。

松本     うん。

 

本日は以上です。次回は、西郷さんの言葉を受けて西上と松本が「演劇を観る意味」について話し合います。次回で対談はラストです。本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

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