誰に頼まれたわけでもないのに「勝手に対談!」ひとみ座松本美里さんとの対談ラスト(パート4)です。
1~3まではこちら。
最後は、西郷竹彦先生のインタビュー記事を読んでお互いが思った事を自由に話しました。
目次
西郷先生のインタビューを読んでみて
西上 では、最後にこのインタビューを読んでみて感じたことを自由に喋ってみましょう。俺はまず・・・西郷さんって95歳なんだよね。
※当時。2017年6月97歳で永眠。
松本 すごい元気だよね。
西上 いや、おれ一番すごいと思ったのは、西郷さんが最初に「風の子の多田徹とは、廃坑が進んだ筑豊を支援しよう一緒に行った仲間なのです」っていう所。ここで生まれたのが多田徹さんの『ボタッコ行進曲』って作品じゃないかと思うんだけど、劇作家・演出家の多田さんと文芸教育の研究家が一緒になって社会のあり方や子どもたちについて語り合い、作品を作ってきてたっていうことがもうショック。だって俺にそんな友だちいない。研究畑の。プロの。人生をかけて、子どもが芝居を観ることはどういうことかって考えている若い友人が。
松本 (笑い)
※その後出会いました! くらしき作陽大学の浅野泰昌さんと。
西上 しかも何十年も先にやられちゃってるっていう。これから自分がさらに面白い仕事をするためにどうしていくべきかってことのハードルを途方もなくあげられた気分です。美里さんはどうだった?
松本 う~ん・・・やっぱりそうだなっていうか。ここ数年話し合ってきたことが、ああ、やっぱりそう思ってるんだなっていうか、それを西郷さんが言葉にしてくれたって。
西上 俺、そこ実は悔しかったことだった。俺がやっと気づいた、俺しか知らない事だと思ってたことが、こんなおじいちゃんが書いてるわけだから。なんだよ。知ってたのかよって。
松本 (笑い)でも、これ、誰かに言われたんじゃ入ってこなかったと思うよ。ずっと思ってたり、漠然と感じてたり、うすうすとでもそのことを考え続けてきたからこそ、そこに実があるっていうか。
西上 まあね。あと、演劇がいいのはそのことを観客の反応と一緒に考えていけることだよね。難しいこといろいろ並べたって答えは本番の観客の反応のその一瞬の中にしかないからね。
松本 でも子どもの前でやれるっていうのはすごく幸せなことだよね。心のバリアーをなくした状態で待ってくれてるからね。楽しもうって思ってるじゃん。
西上 なんで児童劇をやってるのかっていうことをもっと俺たちは考えてみる必要があるって気がする。例えば子どもが好きっていうのがあるけど、そんなの当たり前で、じゃあなんで好きなの? なんで楽しいの? って。そこが入り口でいいけど、なんで児童劇をやってるかをどんどん掘り下げていけば、その中に演劇の本質が隠れてる気がする。
松本 でもそれが今言ってることなのかもね。あおちゃん(姪っ子)可愛いっていうのは、一瞬で共感して繋がれる事っていうか。それが子どもにはある。大人でもそうなる人はいるけど。やっぱり少ない。でも子どもは無心に来るからね。
西上 じゃあやっぱり、演劇の教育性の話だけど教育よりも繋がることが大事なんじゃない? その瞬間でも柔らかくいられるってことが、その人にとってどれだけ大事なことかって。で、それが次の日にどうなるかとか、そこで得たことが来年どうなるかって事は、実は全く関係ないことなんじゃないかなって気がするんです、僕は。そう考えないと僕は、演劇に携わっても人格が更生されない自分をどうにも肯定できない。
松本 (笑い)演劇は食べ物じゃないから、食べておなかが痛くなったり、お肌がつるつるみたいな事じゃないっていうか、種まき。種まいて、水あげて、日が昇って、やっと芽が出て、でもどんな花が咲くか分かりませんっていうようなことに例えたりすることあるけど、でも最早そういう問題でもないのかもね。
西上 俺は、演劇っていうのはある余裕があって、それで摂取するものだと思ってたわけ。でも掃除しないと部屋はホコリがたまるでしょ。それと同じで、人間の精神の状態を健康に保っておくためには、脳みそのある部分を動かしておく必要があって、それが人との繋がり、共有とか。演劇はそこに位置していて。食べることが大事なことのように、人が人であるための必要な行動のひとつなんじゃないかって気すらしてきたの。実は、内容とか、テーマじゃないんだって。一瞬の共有だけでいいんだって。
松本 でもそこに行くまでがさ。やっぱりなんにも面白くなかったら共有できない。
西上 そうそうそう。
松本 (笑い)
西上 だから組み立てもいるし、ストーリー展開ももちろんいるし、俺だっていろんなこと言うけど結局は、次観客にどんなカードを切って驚かせるかとか、計算しますよ。でも、やっぱりそこなんじゃないかなって。そういうと、すごい難しいことやってんなって思うんだよね。だって分析してなんとか分かるようになってきたものが、実はその分析なんて何の意味もないことなんだってなると、もうわけがわかんないみたいな。
松本 でも柔らかいものにあったら、柔らかくなる気がするじゃん。あおちゃんとか。
西上 うん。
松本 それと同じで、子どもの前でやるのは、やっぱり楽しいんだろうね。
西上 そうですね。本当にそうですね。
松本 素直な反応が。声に出すとか出さないとかじゃなくて。返ってくるから。
西上 逆に言うと、その場に身を置けば自分は素直になれるっていうのが、この仕事をする一番の理由かもしれない。○○さんは、普段あんなにめんどくさい人なのに、舞台の上で何であんな素晴らしいのかってことも。それは、○○さんはその場に行けばそうなれる人なんだよね。
松本 そうだね。確実にそうだね。
西上 それがどれだけ素晴らしいことだろうって思うし、どれだけその事を応援しようって思うし、自分もそこに関わって一緒に何かを作っていきたいって思うし、なんか、そういうことを思いますね。ま、今日はこの辺でいいですかね。
松本 話はまとまったんですか? これは。
西上 まとまんなくていいんです。課題さえ残れば。今日はありがとうございました。
松本 ありがとうございました。
西郷竹彦さんのインタビューを読んで 西上寛樹×松本美里 2016/12/30
対談はここまでです。日付にありますように、この対談は昨年末行われたものです。それから約半年後の2017年6月12日に西郷竹彦先生はお亡くなりになられました。直接お会いしてお話を伺ったわけではありませんが、福岡子ども劇場50周年記念誌に収められた西郷竹彦先生のお言葉は、僕たちにこれから先、何をすべきか大きな課題を与えてくださいました。
それから
今年の夏に古代ギリシャ演劇について調べてみようと思ったのも、今考えてみれば西郷さんの影響です。また、5月の南アフリカアシテジ世界大会で豊かな観劇体験が出来たのも西郷さんとの出会いが大きいです。実際の作品作りでも影響を受けています。『ズッコケ時間漂流記』では「体」という視点を持って稽古直しに当たる事がてきました。俳優(人形)と観客(子どもたち)は、体を通して繋がっているのではないか、その瞬間の登場人物の体の状態を探り当てる事が、「役を演じるということではないか」という新たな仮説が立ったのです。それにともない脚本も書き直しました。呼吸の動かないセリフ、体の状態の変化しない対話は「演劇でない」とカットカット。今、僕は脚本を書く時は、喋ったり演じたりしながら書いています。(誰にも見せられませんが)
そして現在、美里さんたちと製作中のひとみ座新作『はれときどきぶた』では、脚本すらもいったん取っ払って、稽古場で実験を重ねながら作っています。
『はれときどきぶた』製作風景
西郷さんは、児童演劇をより具体的な言葉で指し示してくれました。でも知れば知るほど、児童演劇が不思議なものに思えてくるのは何故でしょう。それはきっと児童演劇が、子どもたちと一緒に人間の不思議に挑戦する芸術だからだと思います。