『戯曲はどこに生まれるか』 2018年2月 子ども・おやこ劇場東海連絡会での講演記録

これは、2018220日に愛知県一宮市で開かれた子ども・おやこ劇場東海連絡会さんのイベント、「例会づくり交流会2018」の中で西上が行った講演の記録です。

2018220日。愛知県一宮市スポーツ文化センターにて。
劇場関係者と創造団体で170人近く。最初劇場さんのあそびで心身ともにほぐしたのち着席して始まる。
※収録に際し、一部本人が修正を加えています。

棚上げ

今からお話しさせていただくんですけれど、話を始める前に、僕は今日二つのことを棚上げすることをお許しください。先ず一つは、自分が、目の前の皆さんより未熟であること。そのことを棚上げして、今僕が考えていることを皆さんにどんどんしゃべります。もう一つは、僕、実は今、非常に弱っているんです。今、脚本を書いているんですが、その脚本の締め切りに追われていて、大変弱っているんですが、そのことを棚上げしないと、しゃべれない。そして、棚上げすると迷惑をかける劇団があるんですけれど、この会場にその劇団の方が3名いらしてましてそのことを棚上げさせて下さい!!

今日は、「子どもたちに届ける舞台を創る者として、大切にしていること」というテーマを頂きました。メールで補足も受けていまして、「あなたの人間観、芸術観、子ども観をお話し下さい」と言われたんですけれど、これは重いです。(笑)

なぜ重いかと言いますと、このテーマで話そうとなると私が、子どもに届ける舞台を創る者として大切なことを持っていると・・、それを「答えとして持っている」というふうになっちゃうんですね。それはありますよ。ある。あるけれども、それを話すとなると、この場が「持っている答えを皆さんに伝える場」になってしまうんです。そう考えると重いです。決まっていることを伝えようとすると、「うまく」伝えなくちゃいけなくなってしまう。そうすると重くなるんですね。ですから、この場は「答え」として話すのではなくて「疑問形」で話していきたいと思っています。

僕は演劇を創るということは、何かを伝えたくて行う作業ではないと考えています。伝えたいことを演劇の形にのせたり、脚本に書いたりして皆さんに伝えていくのが演劇ではないと考えているんです。

僕にとって、脚本を書くという作業は、「疑問を持つ」ことなんです。わかんないことを見つける、わかんないことを皆さんと一緒に考えるというのが、僕にとって、脚本を書く作業なので、今日お話しするときも、疑問形でスタートしたいと思います。これです!(「戯曲はどこに生まれるのか?」というスライド)

僕、最近パソコンを買いまして、こういうプレゼンソフトが入っているので、それを使いたくて、今日はこのスタイルでいきます。(笑)

戯曲はどこに生まれるかという視点から話をしていきます。多くの方は、脚本というのは、脚本家が考えると思っていると思うんですよ。脚本家の中にあるものが文字になり、脚本という形になって演出家にわたり、演出家から役者に渡って皆さんのところにいくと思われている方が多いと思うんですが、僕はちょっと違うと思っているんですね。何が違うのか?

これから「ストーリー・セリフ・キャラクター」という戯曲の核となる三要素が、実は僕の中に生まれているのではない・・というお話をします。その中にきっと、僕の考える「人生観・芸術観・子ども観」も、たぶん入っているだろうと思います。入ってなかったら僕はたぶんダメですね。(笑)

ストーリーはどこに生まれるか

では、最初にこちらを・・・

僕の甥っ子と姪っ子です。これは東池袋駅という地下鉄の駅なんですけれど、こっちがお兄ちゃんでこっちが妹です。この時は小学校3年と幼稚園の年中さんでした。何をしているかというと、お兄ちゃんのほうが、お金を拾うことにとても熱中していて、自動販売機があると、その下をすぐ覗くと・・(笑)。それを見た妹が、ぱっと行って邪魔をしてるという絵です。僕がとても気に入っている絵なんですがそれはさておき、これは都内の劇場に向かっている最中のことです。

夏になると、僕が二人を連れて劇を観るというのが恒例になってきて、お母さんは、僕のパートナーのお姉さんですが、僕を信頼して下さっているのか、二日間預かっていたんです。この時は、3本観ました。3人並んで作品を観て、その中で、彼らの反応が本当に面白かった。

最初は、名前は伏せますが、某有名劇場の、演者も20名ぐらい出て、裏方さんも20名ぐらい、大道具さんだけでそれぐらいいて、セリもばーんと上がって、緞帳だけで1000万はするみたいな、すごく立派な劇場で観ました。そして、その次にもう一本観て、最後に、風の子九州さんの『このゆびと~まれ!』を一緒に観たんですよ。この作品をご覧になった方はいっぱいいると思うんですけれど、この作品は、子どもの繊細な気持ちを描いているんですね。お母さんが厳しくて塾にいかされていて、それが理由で他の子に悪いコトを言ってしまう、そして自己嫌悪に陥いるという状況をとても丁寧に描いている作品だったんです。姪っ子がその場面で僕の膝に乗ってきました。小さい子というのは不安になると、触れ合ってくるということが、最近わかってきていたので、「登場人物の不安が伝播したんだな」と思って、そのままにしておいたんですね。やがて楽しい場面になると、また自分の席に戻っていく、ということが続きました。「ああ、すごく劇と同期して観ているんだな」と思ったんです。

で、この舞台の特徴は、回り舞台なんですよ。風の子九州の仮屋さんが舞台を作ったそうなんですが、回り舞台を演者が自分たちで回す仕組みなんですね。そうすると舞台がウーーーっと回って転換する。回ると言ってもこれくらいです。(手を伸ばす)その転換の時に甥っ子と姪っ子が、「うわああ!」と言うんです。「??イヤイヤ、ちょっと待て!」と。昨日オレがチケットを買って見せた劇は、「バン!バアアン!だぞ!」と。その時おまえらは、反応しなかったくせに、ここは「おおお!」なのか?と思ったんですよね。これね、照明にかけてる費用も、風の子九州さんには申し訳ないけれど、たぶん桁が違います。でも、甥っ子と姪っ子にはこっちが「おおおおお!」なんですよ。これは僕にとっては、ものすごく大きな出来事なんですよ。つまり、彼らには、舞台上で起こっている刺激の大きさは問題ではない。それより、そこにいる人物と自分がつながるかどうか・・・。で、つながっていればそこで起こっている小さなこと、小さな転換が大きく膨らんでいって、声まで出てしまう。そして僕を見るんです、チラッとね。そしたら僕も目で「オレの友達が作った。知り合い知り合い!」(笑)。そういうことがあって、その日の夜に、まだお母さんも来ていないし、僕のパートナーも仕事でいなかったので、僕が二人と2日間一緒に寝ていたんです。

やまねの話

ええと、僕の妻の実家の話をしてもしょうがないんですが、実家はお寺なんです。つまりちょっと怖いんです。で、一緒に寝るときに、お風呂に入って、一緒に布団に入って電気を消して、なんか、どっちから言ったかは覚えていないんですけれど「話して。」みたいな空気になったんです。僕は、「え?話なんか特にないし、どうしようかな?」なんて言ってたんですが、「してして!」と。そこで僕は「分かった。じゃあやまねの話、しようか」って言ったんですよ。でも実は「やまねの話」なんてないんです。何となく、ポッと口に出しちゃえば、物語が始まるんじゃないかって思っただけなんです。その時に、たまたま頭に浮かんだのがやまねさんという知人だったので名字を借りました。それで二人に「やまねの話しよっか」と語りかけると、ゾワっとなって「誰それ?」みたいになる。大事なのは、3人が電気を消した部屋の中で、一緒の布団に入ってる雰囲気ですね。僕の声もトーンが違ってます。ちょっと小さい声で・・・、すると向こうも「え?こわいはなし?」みたいになって、きゅっと寄ってくる。きゅっと寄ってきたから、僕もちょっといたずら心が出て来るんですね。で、「やまねってさ、中学校の時ずっと自転車で通っていたじゃん?」とか言って。いやそもそもそんな人いないし、何で疑問形なのかもわかんないんですが。(笑)

「自転車で、トンネル走ったことある?」と聞くと「ない」。「トンネル知ってる?」と聞くと、「トンネルは知ってる」と。「トンネルの中を自転車で走ったらねえ車の音、すっごいよ。」なんて感じで結局、この話はどういう話かって言うと、何でもないんです。自転車で走っていくと、向こうからヘッドライトがバーッと、カーブで明かりがきたら、それが車じゃなかったっていう、そこがクライマックス。それでも姪っ子は「ワアアア」となって、甥っ子は「静かにしろ!」みたいな。姪っ子は限界に来ていたので「それは、ブーーンと車と思わせた豚だった」っていうオチで。何で豚になったかっていうと、僕は当時『はれときどきぶた』という新作の事を考えていて、それで「ぶー」が「豚」になっただけなんですよね。(笑)でも、車が豚になった瞬間に、二人がどっと笑ってくれて・・。「つぎつぎ!」となりました。いや、次なんてないんですが「じゃあ、やまねが体育館に行ったときの話、しよっか。」なんて言って。「やまねが体育館で、バレーボールの壁打ちを一人でしてたのね。バレー部だったんだけど、レギュラーがとれなくて、放課後残って練習してたら、壁打ちって音が響くでしょう?『バーン』『トントントン』

やっぱ、音だなあって思って。向こうが求めているのは音だと思って、音でせめたんです。

「バーン」「トントントン」「ぶっ!」。「バーン」「トントントン」「ぶっ!」

姪っ子がここで「こわーーーい」ってなるんですが「え?怖くないだろう。」って思うんだけど・・・(笑)。なんかねえ、雰囲気なんだねえ。まあ、結局、体育館の下の板が一個外れて、開けると、下に豚がいたっていう。(笑)私は普段、そういう脚本は書かないので誤解して頂きたくないんですが、その時はそうなっちゃった。その時に、なんかねえ、すごく楽しかったんですよ。それで、「やまね」っていうのが定番になって、次の日も「やまねの話して」ってなって・・・。ただ、次の日は、家にパートナーがいたんですよ。仕事が終わって戻ってきていて、「僕たちの時間を邪魔しないで!」って僕は思ったんですけれど。その日は、パートナーもいて、一緒に4人で寝ていたんですね。だから、やまねの話をしながら、隣でパートナーが聴いているんですよ。僕のパートナーは、演劇人なんですよ。業界人だから、「お!ちょっと待てよ。このストーリーはやっぱないだろう」って。これは脚本家としてまずいだろうって思うと、全然思いつかないんです。つまり、「これ、話したらおもしろいかな?おもしろくないよね?」っていう客観性が自分の中に生まれると、次が思いつかないんですよ。「この話意味ないじゃん」って思っちゃうんです。そうすると止まっちゃうんです。これが、僕、すごくびっくりしました。つまり、ストーリーというのは、僕が持っていたんじゃないんですよ。

やまねの話に限っていうとですね、三人で布団の中に入って、夜、電気を消している。二人のお母さんはここにいない、という特別な日なんです。この状況が、やまねの話のストーリーを決定づけているんです。そして、それを僕のパートナーがぶち壊したんです。でも、ほんとうに壊したのは僕のパートナーじゃなくて、パートナーが聴いているということで、客観視してしまった僕なんです。・・・っていうことに気がついた、2017年の夏休み。

 

実はこの話には後日談がありまして・・・。この話は夏だったんですが。この間、姪っ子から手紙が来たんですよ。彼女が初めて書いた手紙、宛先は僕です。字が反転しちゃうんですよね。僕は西上なので、ひとみ座時代は「ガミ」って言われていて、それがなまっていて、姪っ子は僕のことを「ガム」って言うんですけれど・・。「ガムくんへ」の「く」が反転して「つ」みたいになっていたんですけれど、最後に「おきなわにきて、やまねのはなししてね」って・・。もう、やまね、スターですよ。今度会ったら、やまねの話をしたいなと思うんだけれど、あの、準備したらダメだなって思って・・。その時のその状況・・・、さっきの遊び(講演の前に参加者で遊んだことを指す)もそうだと思うんですけれど、遊びとかも、遊ぶ内容が大事というよりも、たぶん、その場に没入して楽しんでいれば、遊びは続いていて、で、これはいつも子どもたちがやっていることですよね。これが答えだったんです。【ストーリーはどこに生まれるのか?】ということに対しての。お互いの没入感の中に生まれるんですね。脚本家の中に生まれるんじゃない。

セリフはどこに生まれるか

次はセリフです。セリフはどこに生まれるんだろう?・・・これから私は、アカデミックな話をします。(笑)

写真  悲劇俳優の像

これは、ギリシャの悲劇の、悲劇俳優の像と呼ばれるもので、『世界演劇史』という、カール・マンツイゥスという方が書かれた本の中に出てくる写真です。

顔の所は、面を被っています。紀元前2500年くらいの、ギリシャにおける演劇のスタイルです。足元は高下駄を履いています。これが特徴です。次はこういう文章を紹介いたします。

あるとき、酒に酔った村人たちが、歌い踊っていると、その中心に立って音頭を取っていたリーダー格の男が、群衆から離脱した。

彼は、集団的熱狂の中で、自ら神と同化した。集団に対峙した彼に向かって、歌い踊る人々は問いかけた。

「おまえは誰だ?」

「私は神だ」

これが演劇誕生の瞬間である

これは『ギリシャ演劇大全』という、山形治江さんという方が書かれた本からの抜粋です。山形さんというのは、蜷川幸雄がギリシャ悲劇を上演した時の翻訳者です。これを読んだときに、僕はとても驚きました。

つまり、演劇誕生の瞬間というのは、セリフが生まれた瞬間なんです。「おまえは誰だ?」「私は神だ」。これが最初のセリフと言われている。誰も、2500年前のことをはっきりさせることは難しいんですけれど、そう言われていると。じゃあ、それまで何をしていたかというと、みんなの語り物だったんですよ。つまり、さっき皆さんが円の中で輪になっていたようなあの中で、みんなで神話を語っていくと。そしてそれは三人称で語るわけです。「昔神様がいて、こういう状況でこういうことが起こりました」というように語っていくんですね。で、語るだけじゃなくて、躍るんですけれど、それがコロスの原型と言われるディテュランボスと言われています。

セリフの誕生によって、それまで三人称だった過去の物語が、一人称で現在進行形の物語になったんです。

ある時、酒に酔った村人たちが歌い踊っているというのは、僕たちが企画会議か何かの打ち上げでいい感じになっているというのではなくて、儀式の中で酒を飲んでいる。お祭りには、お酒というのは欠かせないですね。日本でもそうです。お酒の前には山羊とかも殺していたようですけれど・・とにかく、お祭りを意識した方がいいかと思います。お祭りの時にワーッとお酒を飲んで、わぁっと神様の物語を三人称で語っている時に、一人が離脱していって、みんなの真ん中に立っちゃった。みんなは、「え!?」と、なった。多分その立ち方が決まっていたんでしょうね。決まっていたから、みんながピタッとなっちゃって、それで、「おまえは誰だ?」って聞いちゃったんだと思うんです。そしたら、「私は神だ」と一人称で答えちゃった。セリフが生まれた瞬間です。僕はこれを読んだとき、「ワアア!!」っとなりました。なぜって、僕の仕事はセリフを書くことですからね。「じゃあ、このとき、舞台はどうなっていたんだろう?」「舞台の形はどうなっていたんだろう?」って疑問が溢れてきてどんどん調べていきました。

舞台の形

写真  エピタウロス劇場

これ、ギリシャのエピダウロスという劇場で、紀元前にできたものです。1万人ぐらい入るようなんですけれど、この劇場の特徴はサークルがあって、後ろに跡がありますね、遺跡みたいな・・・

これだけではよく分からないので、他の資料を見ていくと、絵ですけど、これはこういう形をしていたと言われています。

写真 4 出典不明

つまりさっきの客席がこうでサークルがこうで、ここで演じていたわけですね。これはプロスケニオンって言うんですけれど、プロセニアムの前身となるものですね。で、特徴的なのは、この「サークル」なんです。さっき皆さんがサークルになっていたのと同じですね。これは「オルケストラ」と呼びます。オーケストラピットですね。今の「オーケストラピット」は、バレエやオペラを観に行くと、舞台前の少し下がった所にあって、そこには演奏者たちがいますけれど、一番最初は、ここに語り手たちがいたんですよ。つまりさっきの集団が。で、上のプロスケニオンで演者が演じていたんですよ。でも、さきほど読みましたセリフ誕生の瞬間には、まだ舞台なんかあるわけがないので、この劇場も比較的新しいスタイルなんですね。

もっと時代を遡るとこうなります。

写真  Oscar G.Brockett 『Making  the Scene』より

舞台がものすごく簡素化されました。上にあるのは舞台じゃないです、舞台はこれです。後ろにあるのは、英語で書いてあるんですけれど、

TEMPUL deonisosu」って書いてあるんです。ディオニソスっていうのは神様の名前なので、「神様の神殿」ということです。舞台はものすごく簡素化されています。

さらに遡るとこうなります。

写真 『ギリシャ・ローマの演劇』新関良三より
もうあまりよく見えません。紀元前2600年ぐらいまで昔に行っちゃったんで、もう目もぼやけてくるんで(笑)

これ、さっき見てた絵と見る角度が違うだけで、客席はこっちで、ここに客席があるんですよ。で、これ!これが舞台じゃなくて、楽屋なんです。

ここ、中に入れるようになっているじゃないですか?なんでこうなっているかというと、昔、役者は一人何役もやっていて、最初の役者は一人。それが二人になって三人になって、結局三人というのが定着するんです。三人対オルケストラのコロスたちというのがギリシャ悲劇の定型に落ち着きます。役者自体は三人しかいないので、仮面を変えながら役をいくつも演じ分けます。その時にこの楽屋に入って仮面をとっかえて出てくる。

仮面はセリフが響くようにできてたみたいで、それで生声でも届く。下の石畳も、現代の音響の人が研究すると、すごくよくできていたようですね。石畳の効果とすり鉢状に上がって行く客席の作りによって非常によく聞こえたみたいです。僕はギリシャに行ったことがないんですけれど、劇団鳥獣戯画のユニコちゃんは行ったことがあるみたいで、さっきのエピダウロス劇場で、サークルはすごく遠いんですけれど、一番後ろにいて、声が聞こえたと、言っていました。

さあ、時代をさらに遡ります。

写真 同上

もうサークルしかないんです。ここでさっきの「おまえは誰だ?」「私は神だ」というのが行われたんじゃないかと、ぼくは考えているんです。この絵には書かれてないんですが、サークルの真ん中に、「トラペッサ」という卓があり、殺したヤギをお供えするところだったようです。でも一人の役者がそこに立っちゃった。ここに立つことは非常にアブノーマルなことだったんじゃないかなと思いますが、立った人があまりに決まっていたから、神々しく見えたんでしょう。そのまま続けちゃったんですね、やまねの話みたいに・・。「おまえは誰だ?」「私は神だ」と。

大事なのは、観客はどこにいたのか?ということです。舞台はサークルなので多分観客はその周りを囲んでいたんだと思うんですよね。最初の俳優はテスピスという人だったと言われているんですが、テスピスが初めて一人称でセリフを語った瞬間には、観客はテスピスを囲んでいるという構造があった。つまりテスピスは周りから見られている。俗っぽい言い方をすると、お調子に乗っちゃったんですよね。究極のお調子ですよ、神様になっちゃったんですから。そのお調子は、「観られている状況」の中で行われた。セリフは、「そこで」生まれたんです。

もう一つ大切なのは、最初のセリフは「即興」だったということです。それはそうですよね。テスピスさんはお調子に乗ってアドリブをしたわけですから。

演劇において最も大切な要素だと言っても過言ではない「セリフ」は、最初の最初は即興だったわけなんです。これは記録として残っているんですよ。テスピスさんが初代悲劇大会の優勝者なんですけれど、それは紀元前534年、キリストより前の話です。すごいですよね。その記録が残っていて、優勝賞金は山羊だったそうです。記録は残っているんですが、その時の台本は残っていないんです。なんでかっていうと、台本自体がなかったから。即興だったんです。

テスピスの次にアイスキュロスという天才が出てきます。この人は、二人目の俳優を作りました。「私は神だ」と言った俳優に対してもう一人俳優をぶつけた。多分もう一人の俳優は「私も神だ」って言ったんしょうね。(笑)これが「対話の誕生」の瞬間です。「戯曲は対話」と今でも言われていますから、この辺りで演劇の基本が作られたということですね。

で、そのアイスキュロスも俳優だったんですよ。俳優のアイスキュロスが最初即興でやってたのが、優勝したことで記念に脚本を残すようになったんじゃないだろうかこれは僕の推測です。あんまり勝手なことを言ってはいけないんですが。

次にソフォクレスが出てきて三人目の俳優を誕生させます。かの有名な「オイディプス王」を書いた人ですね。ご存知の方もいらっしゃるでしょう。そのソフォクレスさんは、元俳優だったんですが、才能がなかったために作家になったと言われています。

ですから、当時は俳優が作家を兼ねていたんですね。そして多分に即興性の強いものだった。これは非常に大事なことだと思っています。今インプロ(即興)が流行っています。それは、演劇史の中で見つめると新しいことでもなんでもなく原点回帰なんですね。脚本家が机の前でウンウン唸りながらセリフをひねり出すというのは、演劇本来の形ではないわけです。となると劇作家の僕は、自分の職業について考え直さないと大変なことになるわけですね。というわけで、僕は今ちょっと大変なんです。(笑)

ここでちょっと寄り道をします。

客席の形

この間、むすび座さんと韓国に行ってきました。そこで、「農楽」という韓国の伝統芸能を拝見しました。

写真 農楽

李氏朝鮮の頃からある伝統芸能でこれも舞台は円形なんです。

次に、日本の舞台はいったいどうなっているんだろうと思うと、これは「舞楽」と言います。(写真)「雅楽」の時代ですね。能・狂言の一個前。これは宮内庁の中にこういう舞台があるみたいです。ここで演じられるんですけれど。ほんとうは、奥に神社とかがあって、通路があって、ここから登場して来るというのが、昔の本来のスタイルだったらしいんですが、ここで僕が気になったのは、観客がここまで(舞台脇まで)いるっていうことなんです。

(舞楽以降は、当日スライドで用いた資料はネット資料なのでこちらには掲載しません。各キーワードで検索してみてください)

次に、能楽に行きます。(写真)これは能楽堂の舞台ですけれど、正面とワキとワキ正面とありますね。能楽堂にいくと、お客さんがこっちからもあっちからも見ている。これもたぶん大切なのは、観客のお互いの顔が見えているということだと思うんです。

次、歌舞伎です。(図)歌舞伎座です。歌舞伎座になると、基本的に舞台と客席はこういうふうに分かれるんですが、花道というものがあります。この間、歌舞伎座に行ってきたんですけれど、花道でいっぱい芝居をします。ここのところで止まって見得を切ったりしますが、ここで芝居をしているときには、こっちの人はこう見るのでこの人たちが全部見える。やっぱり観客同士のお互いの顔が見えているんです。それに、歌舞伎はほとんど観客席の照明は落とさないんですね。ちょっと暗くしますけれど、明るいです。見えているんです。だんだん僕の言いたいことがお分かりになってきたと思うんですが、もう一つだけ

シェイクスピアです。演劇を語るときには外せませんね。じゃあ、シェイクスピアの時代に、どういう形の舞台だったのか?と言いますと、(写真)これがイギリスのグローブ座、復刻されたグローブ座なんですけれど。見て下さい。ここまで観客がいるんです。せり出したところでやっているので、舞楽と似ているんですけれど、やっぱりお互いが見えているんですね。ここで大事なのは、「この舞台には屋根がない」ということです。当時は昼芝居をしますから日の光が入ります。つまり、舞台はおろか客席も明るいんですね。観客の顔がずっと見えている。つまりギリシャ悲劇の時代から韓国の農楽、イギリスのシェイクスピア、日本の舞楽・能楽・歌舞伎に到るまで「観客の顔が見えなかったことはない」ということです。これは、舞台芸術の基本と考えていいんじゃないでしょうか? そこにセリフが生まれている。

舞台芸術が力を失った理由

現在、生の舞台芸術が力を失っているという現状があります。・・・ここにお集まりの皆さんは、生の舞台芸術はすごい力を持っていることを知っているわけですが、それは世の中の一般論ではありません。テレビだったり、アニメだったり、今だったらYouTubeだったり、映画だったり、それらの表現媒体に比べたら、圧倒的に普及していないんです。舞台芸術は大衆から離れてしまった。それはなぜか?理由はいろいろ考えられますが、僕が考えたのは、「観客席の明かりを落としちゃったから」ということです。先ほどお話しましたようにセリフは元々観客の前で即興によって創られました。観客に支えられてこその舞台芸術なんです。それなのにパートナーである観客席の明かりを消してしまった。そして「静かに観ててください」「覗いていて下さい」とやっちゃった。それが、舞台芸術が大衆から離れてしまった一番の理由だと僕はいま考えているんです。このことに気がついたときに、「すごいことに気がついちゃった」と思ったんですよ。「わかっちゃったよ!」と。でもその後こういう文を読みました。

ドラマというのは、舞台の中にあるんじゃなくて、舞台と観客席との関係の中にあるということです。ドラマとは「矛盾」「葛藤」です。では、どこにドラマが成立するかということです。皆さん、ドラマって言うのは、舞台の中の、たとえば男と女の関係、その中の矛盾葛藤、つまりドラマがあるのだと、ずっと考えておられると思うのです。でも、そうじゃないんですよ。ドラマっていうのは、舞台の上と客席の関係の中に生まれるのです。ドラマを舞台の中に限って、その中でドラマが演じられている、その密室をのぞき見しているというような考え方、それがヨーロッパの演劇理論です。これを「第4の壁理論」というのです。これは間違えなんですよ

これは、西郷竹彦さんという文芸学者。岡山県にお住まいで、昨年97歳で亡くなられてしまったんですけれど、その方のインタビュー記事の抜粋です。掲載されていたのは、福岡の劇場さんが作った『みんな主役、子どもと文化。作り続けて、福岡で生まれて50年』という冊子。北九州の方が「ここにおもしろい文章が載っているから、読んでみて」と、送って下さったんですね。西郷さんは、風の子さんと一緒に、『ボタッコ行進曲』を創った大先輩の方です。

これを読んだときに井の中の蛙とはこういうことかと思いました。大先輩はとっくに知っていて、人生をかけて実践されていたんですね。もう一人、こういう話をすると、思い出すのは、ふじたあさやさんです。あさやさんは、「新劇がいかに、演劇の大筋、ダイナミズムを失ってしまったか?そこも含めて、もう一回、新劇を捉え直していこう」というようなことをおっしゃられています。ですから僕は発見したというより、その意味がやっと分かってきた、というのが正しい言い方かも知れません。悔しいですね。(笑)

キャラクターはどこに生まれるか

最後はキャラクターです。ストーリーもセリフも、聴衆との間に生まれていることがわかりました。では、キャラクターはどうでしょうか。最後くらいは劇作家の中で生まれてくれと思うのですが

『ちゃんぷるー』という作品があります。この物語の主人公は女の子です。「麻生華蓮14才。中2」。主人公ですが、これを考えたのは僕じゃなくて、鹿児島子ども劇場の、当時中学2年生だった女の子です。まあ、「キャラクターから一緒に作る」という企画だったので、今言いたいのはそのことではありません。今触れたいのは、もう一人のキャラクターのことです。「新垣キク」といいます。主人公の麻生華蓮に対して、演劇用語で「アンタゴニスト」に位置します。もっとわかりやすい言葉でいうと、「敵役」=「敵対者」ですね。この二人がぶつかり合うことで、ちゃんぷるーというドラマは創られていくんですけれども・・。新垣キクという子は、ひめゆり学徒隊なんです。ひめゆり学徒隊で亡くなった女の子が、現代を生きる14才の麻生華蓮という女の子の体の中に入っちゃうというのが『ちゃんぷるー』の核なんですね。ちょっと筋を説明します。

華蓮は修学旅行で沖縄に来たんですが、最悪なんです。全然楽しくない。何で楽しくないかっていうと、班決めで失敗しちゃったから。班決めで友達から「華蓮ちゃんって、笑顔微妙じゃない?」「私たちといても楽しくないんでしょ?」ってハブられた。だから華蓮は、笑顔の練習をしている・・・というのが、主人公の設定です。対して新垣キクは、ひめゆり学徒隊として太平洋戦争で命を落としてしまっています。このキクの霊が修学旅行中の華蓮の中に入ってきます。平和で食べ物もあり、着る服もあり、白い靴下をはいているのに笑えない、という女の子と、地上戦が行われている沖縄のガマの中でひめゆり学徒隊として、泥だらけになりながら働いているけれども、信頼できる友人がいて、よく笑っているというこの二人が一つの体の中で交錯する、という物語です。

キクは幽霊なんですね。今お話ししたいのはここなんです。幽霊という設定は観客と合意しなくちゃいけないですよね。観客が「何でひめゆり学徒隊の幽霊が出てくるの?そんなわけないじゃん」と思ったら物語は成立しません。

『ちゃんぷるー』は、「よかったよ」という声を頂いたり、「おもしろくなかった」という意見も頂き、作品ですからいろんな声を頂いています。でも「何で幽霊が出て来たの?」とは言われなかった。あっ、沖縄でやったときに、香港の人には言われました。「あれ、どういうこと?」って。ありゃまあ、お国が違うと、そこはダメなんですねと思いましたけど、少なくとも、日本の中では伝わっている。で、その時はあまり考えなかったんですけれど、今考えると、それはすごいことだと。つまり、「何でみんなは幽霊を信じたんだろう?」って。ひめゆり学徒隊の女の子が、72年後の今に幽霊として出てくると言うことに対しては何で突っ込まなかったんだろう?って考えたんです。ちょっと思い当たる節もあったんです。僕、幽霊を書くとき、ひめゆり学徒隊を霊として書くとき、二つのことを参考にしました。

一つ目は、1950年代、1960年代に、沖縄の井原第三外科壕の近くで、幽霊の目撃情報がものすごく多かったということです。その時に不思議だったのは、「何で、1945年じゃないんだろう?」ということです。そこで人が亡くなったのは1945年のことなんですよ。でも目撃情報が増えてくるのは、195060年代なんです。これ、考えれば分かること。終戦の時は、一気にアメリカになっちゃったわけだから、それどころではない。家族とも離ればなれで、どうやって再会するか?今日、何を食べるか?ってことばっかり考えている状態。それが時間が経って、住む場所も落ち着いて、生活が安定してきた時に、ふっとガマのことを思い出す。そんな時に幽霊の目撃情報が出てくる。

二つ目は、『呼び覚まされる霊性の震災学』という2014年に出版された本がありまして、宮城県や岩手県で、タクシーの運転手が幽霊を目撃しているという声がいっぱい上がってきていて、それについて、東北学院大学の教授が、「調べるべきことだ」と言って、学生と一緒に調べ、学生がレポートを書き、一冊の本にまとめられたんです。その中で読んだのですが、タクシーの運転手は実際に幽霊を乗せてメーターを切っているんですよ。証拠があるんです。少なくとも、タクシーのメーター上は、幽霊が乗ったことになっている。そのタクシーの運転手たちはどういう思いでいるか?どういう思いで幽霊を乗せていたのか?ということがレポートされています。

興味深かったのは、タクシー運転手さんたちは、そのことを大切にしているんですね。だから幽霊ということばを嫌がる。それで「霊性」という言葉になっているんですけれど。僕が思ったのは、沖縄の目撃体験と同じで、「自分は生き残っている、生き残っちゃっている」と。でも、周りでは理不尽に死んでいった人たちがいる。この負い目というのが、その人たちに何事かを見させた。これが幽霊なんじゃないかと考えたんです。

ですからキクちゃんという女の子がそこに存在できるのは、客席に、72年前にそうやって亡くなっていった人たちがいるにも関わらず、自分たちはその人たちの思いを、受け継がずに今ここにいて、日本の平和を享受している。見てみないふりをしているという負い目が、新垣キクという幽霊を呼び起こすことができた一番の理由なんじゃないかな?と思うんです。幽霊というフィクションは「観客が担保」したんです。

幽霊でなくともそうです。麻生華蓮は、「笑うのが苦手」という現代の中高生の閉塞感を代弁していたんですね。キクが笑えば笑うほど、華蓮が「何故生きてなくちゃいけないのか?」という疑問が浮かび上がるんです。これがアンタゴニストのほんとうの意味です。主人公をより深める・物語を深淵にするキャラクター。ただ邪魔をするのではなく、二人で一つのことを表と裏になって浮かび上がらせる。『ちゃんぷるー』の場合は、「生きるってなんだ」ってことを浮かび上がらせた。

少し話が逸れましたが、じゃあ、キャラクターも作家が生んだとは言えなくなってくるんですね。つまり、客席に座っている人たちの、言葉にならない思いとか怒りとか不満とか、そういうものが代弁されてキャラクターが生まれる、ということなんですから。

こう考えると、勝手に書けなくなる。セリフも勝手に書けない。ストーリーも勝手に書けない。キャラも勝手に書けない、だから僕は、今、締め切りが来ても書けないでいるわけです。(笑)

なので、最初の質問【戯曲はどこに生まれるか?】この問いについては「演者と観客の間に生まれる」と、今はこう思っています。でも、これはこの会場の皆さんはすごくよく知っていることだと思うんです。劇場さんや劇団の人たちは。

ただ、去年の夏の東海の企画会議の時、僕は初めて参加して、二日目に質問コーナーがあったとき、その中で劇場さんから、「作品の中で伝えたいことはなんですか?」という質問が飛びました。アーティストの側は、「伝えたいということだけでやっているのではないから、その質問には答えづらい」と答えた。このやりとりってどこでも見かけます。でも、劇場さんは、「作り手の伝えたいことをいかに受け取るか」ということではなく「そこで生まれたことをみんなでシェアしていくことが観劇体験だ」ということはよく知っているはずなんです。分かっているけれども、質問コーナーになると、ついパッケージ化された質問が出てきちゃうんです。で、これは僕らもそうなんです。

いざ書く段になると、テレビとかアニメとかが全部パッケージとして自分の中に入っちゃっていて、そういうものに縛られているんですよ。そこからいかに自由になり、演劇本来の力「ここに集まった人たちと時間と体と空間を共有することで何事かが浮かび上がる」というようなことに迫るのは、すごく難しいんです。

しかも難しいのは、観客がいつも違うからなんです。演者は基本いつも一緒ですよ。でも、観客は違う。しかも、もし同じ観客が集まっても、時間によって違い、その人が今日何をしてここに座ったのかによっても違う。実はこれ、演者の方でも違うんです。自分もいつも違う。観客も違う。違う者どうしがその時だけ、1時間なり2時間なりを一緒にいる。そこで何かが生まれる。それが演劇なんです。今回のこの交流会のテーマで、「気持ち、考えは流動的だからおもしろい」って書かれていたと思うんですが、まさに演劇とは、流動的なものなんです。答えはない。答えがないということは皆さんがよく知っていることなんです。答えは一個じゃない。答えはそれぞれにある。でも、大事なのは、自分の中にある答えそれすらも、動き続けてるっていうことなんです。

僕は今、しゃべっているじゃないですか。いちおうスライドは準備してきた。スライドは動かないです。これは決まっている。でも、僕がこれをぱっと出したときに、僕がなにをしゃべるかっていうのは決まってないんですよ。今決まるんです。なので、たぶん、子どもたちに元気がなくなったり、大人たちにも元気がなくなっていくとか、窮屈になっていく閉塞感の正体は、答えというものを、一個正解があると限定してしまったこと、それがまず最初の大きな原因で、その点には、みんながだんだん気づいてきた。次は、そのそれぞれの答えすらも、瞬間瞬間に動き続けている、止まることはないものだということを明らかにする必要がある。そうなると、もう何でもありなんです。でも、この何でもありの中に何事かの奇跡があり、やまねの話になって、僕の姪っ子の中では生き続けているんです。で、姪っ子は、僕がやまねの話をしたことは、忘れる時期が来るかもしれない。僕は忘れないかな毎日思い出してるから。でも姪っ子は忘れるでしょう。忘れるでしょ?そりゃあ、だって、今6才ですから。忘れていいんだと思います。でも、その話をした時、僕たちがつながっていたということだけは残っているんです。これって一体どういうことなんだろう。

記憶はどこにあるのか

記憶ってあるじゃないですか。僕、祖母が死んだんですよ、二年前に。僕は、自分の身内が死ぬっていうことに対して、経験が全くなかったんです。だから、お葬式に行くときに、仕事をキャンセルして、飛行機に乗って、慣れない礼服とかを着て行くんですけど。その時に、葬式に全然感動も何もしないわけなんですよ。で、この辺に立っている司会者の人が、「節子さんは、お花が大好きで・・」と、言い方もなんか変だし、「イヤ、花好きじゃなかったし・・。」と思って、「それ、どこで仕入れた情報なの?」って思いながら、自分の中で突っ込みながら聴いていたんです。心の中で、「イヤ、全然泣けないわ。」って思って。で、最後にお花を入れる段になって、棺桶の中に順番に花を入れる。その中で、「おばあちゃん(化粧で)キレイにしてもらっていてよかったな」と思いながら、花を入れるときに、蓋をすると、そのまま火葬場に行くじゃないですか?でも、それが僕はイヤだったので、おばあちゃんのほっぺをなでたんですよ。なでた瞬間に、涙が止めどなく流れてきて、それはその瞬間に僕、「ラムネ」のことを思いだしたんです。

僕、おばあちゃんちが隣だったんです。だから、行くと毎日お菓子を買ってくれてあるんです。で、それは台所のちょっと高いところの、藤でできた中に入っていて、一日一個取っていいってルールで、僕がラムネを好きだってことを知ったから、おばあちゃんはラムネばっかり買うんです。その「ラムネちょうだい」って言う、そのことを思いだしたんです。すると、涙がものすごく出てきて、声も、自分こんな声出すんだっていうような声・・。そして親戚がいて、自分がものすごい声を出しながら、「オレ、すごいへんな声出してんな。」っていう客観的な自分もいるんですよ。でも止まらないんですよ。止めなくてもいいとも思っている。

「記憶はどこにあるのか?」僕が小学3年生の時はまだ柔らかい部分が僕の中にもあったんですよ。今は結構構えちゃいましたからね。でも、小学校3年生の時の、おばあちゃんと接しているときの、「ラムネをくれ」と言っているときの僕は、そのままなんです。そのまま、無垢なまま、ラムネをもらいに行ってるんです。柔らかかったんです。その柔らかい僕の記憶はおばあちゃんが持っていたんです。そのおばあちゃんが、今、目の前で焼かれて亡くなっていく、その人の肌を触ることで、記憶が一気に溢れた。体が持っていたんです、記憶を。そして僕の体だけが持っていたんじゃなくて、おばあちゃんと僕との関係の中にあった。人が死ぬって言うことは、それが一個なくなっていく、だから人が死ぬと悲しいんだと思ったんです。だから、記憶すらも流動的なんです。だから、姪っ子も忘れるんですよ。でもどっかで思い出すかもしれない。それは、もしかしたら、姪っ子に子どもができて、おばあちゃんになったりして、自分の子どもか孫と、夜一緒になって布団に入って、話をする瞬間に、やまねが出てくるか、豚が出てくるか、トンネルが出てくるかはわからない。でも思い出すかもしれない。それで良いじゃないかと思うんですよ。

僕は元々映画だったんです。映画の専門学校に行きました。映画が大好きでした。時間は過ぎていき、なくなっていく。みんな死んでいくということに気づいて、じゃあ何事かをとどめておける、それが映画だと思って映画に行って、自分の考えはとどめておきたい。だから日記も付けていました。高校1年から12年間。でも、今は付けない。だって、僕の記憶は僕が持ってなくてもいいから。みんなが持っていればいいし、仕事で関わっている人が持っていればいいし、僕が書いた作品で上演された作品は演劇だから残らないけれども、それを観た人たちが、何となくこうあって、それが時々きらめくようにあったりなかったりする・・。僕はそういう世界に所属しているし、そのことが分かってきたし、それがどれだけ柔らかくてみずみずしくて、楽しいことか、だんだん分かってきた。だから、脚本を書くということや演出をするということはすごく難しい。みなさんの場合は、「生の舞台の良さを伝えることって難しい」ですよね。よく、「見ればわかる、体験すれば分かる」と言うじゃないですか。今、ベイビーの世界もそうなんです。ベイビーシアターもすごく盛り上がってきて、でも言葉で説明するのが難しくて結局「観ればわかる」って。これはどういうことかというと、固定化された文字の情報や何かの情報だけでは伝わらない、人のリンクのすごさっていうことだと思うんです。僕たちはそういう人間本来の力にもう一回気づき始めているんですよね。それを昔に戻るんじゃなくて、21世紀バージョンで、いかにやるかってことが、僕たち児童演劇に携わる人たちがこれからやらなくてはいけないこと。なんでここで児童演劇かっていうと、それは子ども達が一番人と繋がれる存在だから。客席にいてあんなに反応を返してくれる存在は他にいません。それは人間の喜びですよね。これを大人の世界にも還元してみんなで元気になろうっていうところまでやれれば、児童演劇ってすごい仕事だなって心の底から思います。

2018220

愛知県一宮市スポーツ文化センターにて
主催…子ども・おやこ劇場東海連絡会
例会づくり交流会2018「舞台芸術とは? ~気持ちや考えは流動的だからこそ面白い、だから合評~」」より

最後になりますが、未熟なボクに貴重な経験を与えてくださった主催者である子ども・おやこ劇場東海連絡会さんと、あっちに行ったりこっちに行ったりする口述を丹念に文字起こししてくださった藤原まゆめさんにこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

姪っ子甥っ子・ギリシャ悲劇の詳しい記事、『ちゃんぷるー』の戯曲などは、こちらからもご覧になれます。

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『はれときどきぶた』近々の上演です。
東京…2018年8月1日「子どもと舞台芸術大博覧会in Tokyo」
大阪…2018年8月25日「子どもえんげき祭 in きしわだ」
北名古屋…2018年8月26日「人形のまち北なごやパペットフェスタ2018」

2018年12月には、人形劇団ひとみ座(神奈川県川崎市)のクリスマス公演に『はれときどきぶた』もエントリーする予定です。

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