「体を使わないとこれからの児童演劇の脚本は書けん!」 と完全に方向転換した劇作家が、カクカク踊ってあれこれ考えます。
目次
動画公開
先週は、鹿児島県に出張していた関係で稽古を休んでいました。辛い稽古にくじけたわけでも、ブログに書くことがなくなったわけでもありません。むしろ稽古は楽しく、書きたいことは山ほどあって何から手をつけていいか分からないというような状況です。
そしてこの度、坂東冨起子先生から動画撮影の許可をいただきましたので水曜日の稽古の最後に今まで習った部分を録画してみました。これから皆さんにご覧いただく映像は見るに堪えないものですが、日舞の稽古での発見をお伝えするためには文章だけでは難しいのでどうかお付き合いください。
ご覧いただきありがとうございます! これでやっと皆さんに、素人が日舞を習っていて「何に困っているか」をお伝えすることが出来そうです。
三味線の音が取れない!
まずこれです。途中で「!」マークが出たところがあったと思います。あれは三味線の音を待っていて、全然来なくて「?」となっているところに突然入ってきたので「ビクッ」となった瞬間なのですが、とにかく音がまーーーったく取れません!
これ、致命的ですよ。だってボクは今踊りを習ってるんです。踊りはリズムが命ですよね。そのリズムの見当がつかないのですから。日舞が「1、2、3、4!」の世界じゃないのは知っていました。でも1ヶ月経ってもこの曲の音楽がどんな規則で構成されているのか全く分かりません。先生は、「三味線を聞いて足を合わせて」とおっしゃいます。するとボクの場合こうなります。
はい。めっちゃ恐る恐る歩くので、カクカクです。これは大問題。だってこの時の振りは「扇の先で宇宙のかなたを指し、世界を切り開いた」という意味なのです。それくらい大きな踊りなのですが、ボクの動きといったらどうでしょう? 目の焦点は「扇を見なきゃ」と、宇宙のかなたどころか、目の先50㎝でオドオドと浮遊し、三味線の頭に踏み出す一歩目が遅れないために頭は「来るぞ来るぞ」と雑念の塊。いざ三味線が鳴って踏み出した足は、音を探りながら一歩二歩と出していますのでゼンマイ仕掛けのオモチャのような歩みです。
ボクだってリズム感がゼロではないんですよ。ダンスだって褒められた経験もあります。まあ、それは小3の運動会の時のことですけど。体育の大塚先生は確かにこうおっしゃいました。「男子は、がみの動きを参考にするように」。ボクは「まずい!」と思って、そこからは、わざといい加減に踊りました。当時の愛媛県では、男子が張り切ってダンスを踊ることは、江戸初期に阿国(おくに)が男装して踊ったのに匹敵するくらいアブノーマルなことだったのです。とにかく、
三味線のリズムはどこに規則があるのか分からん!
これは、自分の体験をありのまま申し上げているだけで「だからイヤだ」と言っているのではありませんのであしからず。むしろ早くこのリズムをものにして自分からどんどん乗っていきたいと前のめりになっています。だってそしたら「世界を切り開くこと」が出来るんですよ。すごくないですかこのスケール。ボクはそういうことがやりたくて日舞を習いにきてるんです。俳優が椅子に座ってずっとくっちゃべってるような小さな演劇はもう要らないんです。くるっと一回りしたらカマキリになったり、呼吸一つで蟹の木になったり、帰り道が分からなくなったら「蛇になっておうちに帰ろう!」って突然みんなで連結して蛇の道行きになるような、そんな大きな演劇が作りたいんです。
いきなりぶっ飛んだ例を持ち出しましたが、これは先週小学生の子ども達と一緒に行った劇づくりワークショップで子ども達が作った一場面です。子ども達の演劇はスケールが大きいですよ〜。専門的な言葉で言えばリアリズムに全く縛られていません。子どもたちが遊びの延長線上にそういうことをいとも簡単に思いつくということは、これこそが演劇本来の形なのではないかと思わないではいられません。ここに「型」を持ち込んで、遊びを物語に昇華させるのがボクの仕事。そのためにも早く三味線の音をとって伸び伸び踊れるようになりたい!
しかし、三味線の音に「1、2、3、4!」の規則性は見出せません。では一体どうすればいいのでしょうか?
もしかして息?
もちろん先生は平気で音を取っています。先ほどの動画には、先生の声は入っていませんでしたが、足で床を「ダン!」と踏む前に先生は必ず「ンヤアッ!」と合いの手を入れてくれます。それに合わせて踏むと「ンヤアッ! ダン!」となり、ばっちり揃って気持ちいいんです。ということは、あの「ンヤアッ!」の中に三味線の音を取る秘密があるのかもしれません。
「ンヤアッ!」と言っているということは、きっかけは誰かの息にあるのではないかという予測が成り立ちます。歌舞伎や人形浄瑠璃を観に行って、太夫さん(語り手)が掛け声を出しているところを聞いたことがないので、あの「ンヤアッ!」はおそらく三味線奏者の掛け声なんでしょう。ということは、三味線の音を取るためには、三味線奏者の息を取ればいいということ?
きっかけが「1、2、3、4!」ではなく相手の息にあるってなんだか伝統芸能っぽくてカッコいいぞ
そう言えば、一度能楽師の安田登さんのワークショップに参加したことがあるのですが、能のお囃子(大鼓・小鼓・太鼓・笛)も、奏者同士の息が連動してうねりを作っていました。決まったリズムに奏者が息を揃えていくのではなく、奏者の息の連帯の中にリズムを見出していくという感じ。
先生の「ンヤアッ!」の掛け声に合わせて「ダン!」と踏めた時の気持ちよさは、人と息が揃った時の気持ちよさなんでしょう。ということは、ボクは三味線の音を探すのではなく、三味線奏者の息を探す必要があるということになります。あれ? ということは……
無理じゃん!
そうです。だって、ここには三味線奏者はいないんですから。この場にいない人の息を取ることはそうとう難易度が高いです。テープの音の中にかろうじて「ッハ」という声を聞くことは出来ますが、先生がいつも入れてくださっている「ンヤアッ!」のところは何も聞こえなかったりします。三味線奏者の方がここにいらっしゃれば、目も合わせられるかも知れませんし、断然息を揃え易いと思うのですが、そんな贅沢な稽古は出来るはずもありません。
歌に注目してみる
ここでボクはもう一つの予測を立てました。
三味線奏者は誰と息を合わせているのだろう?
ということです。この曲は『松の緑』という歌で、どうやら「長唄」というものらしいのですが、ボクは今のところ長唄がなんなのか全く分かっておりません。歌詞も実は何を歌っているのか理解しておらず、聞き取れているのは「ちたび〜」と「はるわか〜」くらいで、あとは言葉として何を言っているのかも分かっていません。
実は先生からは、歌詞の意味を分析した東京大学日本舞踊研究会のサイトをご紹介していただいてはいるのですが、「いや、ボクのような人間は頭から入ってはダメだ」と最もらしい言い訳を自分にしながら、内実はなんだか難しそうなのでサボっていました。でもどうやら世界を切り開くためには、三味線の音を取る必要があり、そのためには三味線奏者の息をつかむ必要があり、そのためには歌い手(太夫さん)の呼吸をつかむ必要があり、そのためには歌詞の意味を知っておく必要がありそうです。
いや、歌を踊るんだから歌詞の意味を知るのは当然だろ!
と、言われればそれまでなんですが、自分なりの必要性がないと人は動き出さないものです。(キッパリ)
で、その意味でいうと、まだ歌詞の意味はいいかなあ、と思う自分もいます。それよりこれからは歌い手がどこで息を継いでいるかに注目してみようと思っています。その理由は繰り返しになりますが、ボクは日舞の世界の中に理屈を飛び越えた人間の想像力を発見しにきているからです。歌や踊りは、文字の発明より遥か以前から存在していたことは間違いありません。その意味からすると、息の切れ目という身体的な情報から秘密に迫った方が、理にかなっているような気がするのです。文字情報を先行させて理屈が先走れば、頭の変なところばかりピカピカ光ってきっと行き詰まる気がするのです。まさに「息が詰まる」。
息の中に踊りのリズムを見出す。とにかくこの方向でやってみます。これが掴めれば子ども達に、息の繋がりという、生でしか出来ないダイナミックな体験をワクワク感と共に提供できるようになるかも知れません! ボクが先生の所作一つに毎回ワクワクしているように。
最後に今回も記事の発信に間違いがないか坂東冨起子先生にチェックしていただきました。
長唄では太夫とは言いません。「○○太夫」と呼ばれるのは、語り物系の義太夫、常磐津、清元などの浄瑠璃の方々だけです。長唄は語り物ではなく、唄い物系の代表です。
なるほど。なんとなく雰囲気で「太夫さん」などと言ってしまっていました。いつかこの「太夫」というものがなんなのかを考察してみたいと思います。
そして今回はこんなお言葉もいただきました!
呼吸‼️
そこに気づいたのはすごい!
日本の古典芸能は、すべて『息と間』です。拍ではない。
『息と間』! 現代演劇のボク達もよく「息が合わない」とか「間が悪い」とか稽古場で言いますけどそれも雰囲気だったのかも。さあ、これから「息と間」を体の実感として掴みに行きますよ〜
練馬留学シリーズ、これからもお楽しみに!
今日のまとめ
- 三味線の音が取れない
- 日舞の踊りはスケールがとてつもなくデカイ
- そのスケールの大きさは子ども達の遊び心そのもの
- 三味線の音を取る秘訣は呼吸にあるのではないか
では、今日も最後にふきの会から「日本舞踊Q&A」をどうぞ。
Q、日本舞踊で演じる役ってどんな役?
A日本舞踊の基本である歌舞伎舞踊は歌舞伎の一部が独立したものなので、もともと芝居的な要素が濃いのですが、歌舞伎や日本舞踊では、1人で様々な役柄を演じます。幼子、少女、少年、成人したさまざまな職業の男女、老人、美男、美女、三枚目や滑稽な役、粋(いき)な役、狂乱の役、力強い役、亡霊の役…といろいろあって、なかには動物の役もあります。古典の演目の時代背景はほとんど江戸時代ですが、そこには時空を越えて流れる日本人の心があり、その根っこの部分は現代の日本人と変わりません。