浴衣を「折り紙を折るように」たたみながら、考えたことあれこれ。
目次
浴衣は毎回は洗わない
ふきの会では、稽古が終わったら浴衣をハンガーにかけてクローゼットにしまいます。毎回持って返って洗ったりしません。浴衣の下に肌襦袢とステテコを身につけていますし、そもそも浴衣は洋服のように毎回洗ったりするものではないようです。先生の話では、狂言などの衣装には、江戸時代から洗っていないものもあるとのこと。「え? 洗わないでどうするんですか?」と聞くと「風に当てておく」のだそうです。
洋服でもスーツは着るたびに毎回洗わないですよね。一度着るたびにクリーニングしていたら、生地も傷むし、クリーニング代もかさみます。
浴衣は家の洗濯機で洗えますが、シワを伸ばして干し、アイロンをかける手間もいるので、Tシャツやトレーナーの洗濯と同じわけにはいきません。
だから、1~2時間稽古に着ただけの浴衣は洗わないのが通常なのです。
でも、汗だくになった時は、1度着ただけでも洗いますよ。
「江戸時代から洗ってない着物」というのは、美術品として価値のある文化財的な着物。そもそも衣裳は洗濯する事を考えて作っていません。
なるほど!
それでは浴衣のたたみ方。
皆さんは浴衣をたたんだことはありますか? ボクは旅館の浴衣しか着たことがなかったのでもちろんたたみ方も知りません。で、これがやってみるととても面白かったので早速家に持って帰って練習も兼ねて写真を撮って解説しようと思いましたが……
途中で諦めました。だって先生が撮って下さった解説動画の方が遥かに分かりやすかったから! というわけで先生の動画解説をどうぞご覧くださいませ。
浴衣のたたみ方(坂東冨起子先生の解説動画)
ボクが面白いなあ、と思ったのは動画1分36秒付近で先生が「浴衣をずらす前に裾を軽く折り返された」ことと、襟を合わせる時の折り方が「折り紙みたいだった」ことです。
限られたスペースで畳む工夫
なぜ裾を折り返すのか?
それは限られたスペースの中で着物をたたむための工夫だそうです。稽古場や楽屋は人がごった返していて浴衣をたためる十分な場所がない。そんな中で、他の人の迷惑にならないようにこういう気遣いがごく自然な形で行われているのです。この動画では、先生は裾部分を一度軽く折っただけでしたが、実際にボクに教えてくださった時は二回折り込まれていました。さらに先生は、立ったまま浴衣を簡易的にささっとたたむ方法も教えてくださいました。この方法だと場所を取らないだけでなく、時間もかかりません。先生のお知り合いの落語家さんもこのたたみ方を使っているそうですから日舞だけの慣習ではないようです。浴衣のたたみ方一つにも日本人の気質が表れているようで面白いですよね。
日本人は「折る」のが得意?
次に面白かったのは、動画2分あたりで襟を半分に返して、折って合わせるところです。折り紙みたいですよね。感心していると先生は「日本人はなんでも折っちゃう」とおっしゃいました。中国から入ってきた団扇(うちわ)を折りたたんで扇子を発明したのも日本人。宇宙で使う太陽光電池パネルを折りたたんで収納し、一方向に引くだけで開閉できるようにしたのも日本人なんだとか。これ、なんでしょうね?
ボクは小さい時から不器用で鋏も上手く使えずその度に母親から「馬鹿と鋏は使いよう」と言われて癇癪を起こしたりしていましたが、そんなボクでも折り紙で鶴くらいは折れます。そのことを留学経験のある先輩に話すと「ガミ、それだけでもアメリカ人はビビるからね」と言われました。日本人は総じて器用なのか。そのことと「折る」という行為は関係があるのか……
誤解を招きたくないので断っておきますが、ボクは「だから日本人が優れている」と言いたいのではありません。「優劣」の話ではなく、文化が育んだ「個性」として楽しんでいるだけです。特に伝統芸能の世界について考えるときには「日本」という言葉を何度も使いますが、それは国家としての「日本」ではなく、地域としての「日本」という程度に軽く捉えていただけますと幸いです。先生は、日舞をはじめとして、能楽、歌舞伎、文楽などを日本独自の文化としてとても大切にされていますが、それは大陸や半島から伝わってきた踊りや仮面などの文化が日本という島国で独自の発展を遂げていたり、発祥の地では失われて久しい原初の姿が色濃く残っていることにオリジナリティーや文化的価値を見出されているのであって、断じて国粋主義的な見地から日本人の優越性を語っているわけではありません。
そんなこと言わなくたって分かってるよ。と言われそうですが、これは伝統芸能について考える上で大切な前提だと思いますのでおそらくこれからも度々お断りを入れさせていただくと思います。その時は「また始まった」と笑って読み飛ばしてくださいね。
その上で……
改めて衣服を折り紙のようにたたむ日本人は面白いなあと思いました。ボクはこの時「折り紙」から「あやとり」を連想し、これは数万年単位の理由があるのではないだろうか……とすら考えていました。ちょうど今進めている新作の準備でこんな言葉と出会っていたからです。
あやとりと日本人の関係
アメリカ先住民からアラスカのイヌイット、そして日本にも残る綾取りとは、おそらく三万年以上の昔に、これらの地域で共通して行われていた、紐を扱う女性の管理する呪術の遊戯化であろう。
『虚と実と憑依 演技する人形』宇野小四郎著
これは、ひとみ座の創立者である宇野小四郎氏が日本の人形劇の起源に迫る中で発した推論です。あやとりも折り紙と同じように私たちの中に当たり前にある遊びですが、氏に言わせればその起源は後期旧石器時代まで遡ることができるとのこと。その頃の「縄」は、握り斧と木の枝を合わせて槍が生まれる、というように縄の存在そのものが発明であり信仰の対象にさえなっていたそうです。縄文土器に縄の文様を施すのはこの縄の力を持って邪なものの侵入を防ぐためであったとか。これがやがて遊びに変化したんですね。アメリカ先住民からアラスカのイヌイットまでその文化が広がっているのは、当時は氷期で大陸と日本列島が歩いて行き来できたから。宇野氏は考古学出身という経歴を生かして時間軸をここまで引き伸ばして日本の人形劇のルーツをシャーマニズムという土俗的祭祀の中に探っていきます。
それなら「折る」行為にも深い伝統があるのかも……
考えすぎだ! と言われればそうなんですが、折り紙嫌いのボクでも浴衣の襟を折り返してピタッと合った時にはやっぱり気持ちがいいんですよ。この気持ち良さの中に何かとてつもない不思議を一瞬感じた、というのが半分。あとの半分は浴衣を折りたたむのが難しくて思考が「逃げ」に回っていた、というのも正直言えばあります。
逃げると言えば稽古。
今回は「摺(す)り足」でした。これがまーーーったく出来ません。摺り足で歩くことができない。足の親指と人差し指をピタッと合わせて置くこともできない。出した方の足に体重をかけていくこともできない。ナンバに歩くこともできない。本当はこれがどれだけ「出来ないか」ということをお伝えしたいのですが、何が出来ていないかも分かっていないのでもちろん文章でも伝えられません。次回からはやっぱり動画を撮影して、自分が「今何が出来ないか」をレポートしようかなあと思っています。「留学」なんだから出来なくて当たり前。恥ずかしくない。むしろ「出来ない」中に何があるのかを書きながら考えていけたらなあと思っています。先生の許可がいただければ次回からトライしますね。
今日のまとめ
- 浴衣は大汗をかかなければ毎回洗う必要はない
- 浴衣のたたみ方一つに周囲への配慮がある
- 日本人は折りたたむことが得意?
- 摺り足全く出来ません!
では今日も最後にふきの会の「日本舞踊Q&A」をご紹介して終わりにします。
Q、日本舞踊をすると、自分で着物が着られるようになるの?
A1人で着物が着られない方でも大丈夫。最初はお手伝いしますが、稽古のたびに毎回、着る(着なくてはならない)ので、だんだん1人で手際よく着られるようになります。昔の日本人は、現代人が洋服を着るのと同じように毎日、着物を着ていたのですから、”習うより慣れろ”です。また日本舞踊の稽古では、着物を着て激しい動きもしなくてはならないので、動きやすさは第一。激しく踊れば、着くずれもしますが、着物は着くずれを直しながら着るものなので、自分で着くずれをさっと直すコツも身につきます。
また着物を着たときの動作や身のこなし、和室での作法やマナーも自然と身についてきます。
↑本当です。不器用なボクでも3回目にして(形は悪いですが)着られるようになってます。