練馬留学2、「日舞の稽古はスマホ撮影OK?」NGです。でももっと合理的な学びのシステムがありました!その名も舞踊譜

現代児童演劇の作家が日舞の稽古場に「留学」してハッとしたことを綴っています。

水曜日(17日)、2回目の稽古を終えてきました。今回は私、三脚を抱えて行ったんですよ。先生のフリをスマホで撮影させていただとうと思いまして。今、『松の緑』という曲を習っているのですが、フリを家でおさらいしていると「あれ?」となってしまいます。細かいところが思い出せない。

座る時は、右足を引いてから座るんだっけ? 立った時には膝は伸びてるんだっけ? 一周回るところは7歩だっけ8歩だっけ? 

分からないのでYouTubeで検索すると動画がいくつか出てきます。でもなんか違う。知らない動きが入ってくるんです。

あ! 流派が違うからだ。

日舞の世界では、同じ曲でも流派が違えばフリが変わってくるんですね。「へ〜」なんですが、これでは参考になりません。もう今度からは動画で撮らせていただくしかない。そう思いました。でも皆さん、日舞の世界で先生の踊りをスマホで撮影させていただくことが出来ると思いますか? なんだか御法度のような気がしませんか?

日舞の稽古はスマホ撮影OK?

結論から申し上げますと、ボクが入門したふきの会では出来ます。坂東冨起子先生は、大学でも日舞を教えていらっしゃいます。で、新型コロナウィルスの影響で今はオンライン授業をしなければなりません。前回の稽古終わりでは、そのための動画を先生自ら撮影されていたんですね。それを見て「スマホOKなんだ」と見てとったワタクシは、今がチャンス! と先生に撮影許可をいただいておりました。動画さえ撮れれば今後「あれ? どうだっけ?」となることもないでしょう。

追記(2020/06/19):本記事をアップしたところ、先生より「お弟子さんが稽古場で師匠のビデオを撮るのは、どこでも御法度です。うちでも、ビデオをOKしているのは自撮り(自分が踊っている稽古動画)です。」とご指摘を受けました。オンライン授業での動画につきましても「学生がみんな机の前の超狭いスペースで稽古していたので、実際にはどのくらいの広さで動くのか伝えたかったから。」というコロナ禍における特例であったとのこと。したがって動画は(自分の踊りをのぞいて)基本NGです。謹んで訂正いたします。

しかし、ボクはこの日の稽古でスマホも三脚も出すことはありませんでした。先生がこんな本を見せてくださったからです。

『おどりの譜』丸茂祐桂 著

なんですかこの秘伝の書満載感は。もしや日舞界の『風姿花伝』? 開くとそこには記号のような絵が書き込まれていました。

これは「舞踊譜」という日舞の振り付けを記録したもので、本書は、嘉永7年(1854年)に名古屋西川流の祖初代西川鯉三郎によってまとめられた『妓楽踏舞譜』を丸茂祐桂さんが昭和59年(1984年)に解読したものとのこと。

次に先生は、ご自身の舞踊譜を見せてくださいました。A4のレポート用紙に簡略化された人の形がびっしりと書き込まれています。どうやらこの舞踊譜が日舞の世界のオフィシャルな記録方法のようです。坂東先生のお話をまとめるとこんな感じ。

舞踊譜について

  • レイアウトは割と自由(先生のものは横書きだった)
  • 稽古場では書かず、帰りの電車などで思い出しながら書くもの
  • 自分の分かるように書けば良い
  • みんなものすごいスピードで書く
  • 舞踊譜が一般的になったのは、昭和初期から
  • 大正以前の舞踊家は「記憶」していた
  • 舞踊譜は人に見せるものではないし、見るものでもない
  • 鏡写しではなく、前から見た視点で書く

「なるほど〜」と思いながら、ボクはもう一つのことを考えます。

先生はなぜこんなことを今ボクに話してるんだろう

先ほどの書物なんですが先生は「ハイ」と貸してくださいました。でもこれ裏を見ると「限定150部」と書かれてるんですよ。再出版もされているそうですが、これは初版。超貴重な本なんです。なぜそれをこんなに気軽に貸してくださったのか。舞踊譜が何かということは分かりました。でも先生がなぜ今、稽古を始める前にこんなお話を始めたのか。その意味を考えなくてはいけません。

先生、分かりました。私映像は撮りません。

先生は映像記録を「ダメ」と言ったわけではないんです。無言の圧をかけられたわけでもありません。他のお弟子さんの中には動画撮影をされている方もいらっしゃるでしょう。先生は現代演劇の世界から「留学」してきたボクに対して、「どうせ日舞を学ぶなら、日舞の学びのシステムごと学んでみませんか?」と提案してくださったのです。これはやるしかないでしょう。

※先述の追記の通り師匠の動画を撮影することはできません。

というわけで、今回のブログにもボクの動画はありません!

残念でした。ボクがオロオロ踊っている様子は、ボクのことを知っている方、特に普段ボクが演出や脚本という立場で関わっている俳優さんたちとっては、絶好の憂さ晴らしになると思ったんですけどね。(笑)
また、ボクのことを知らない方々にとっても日舞を習って2日目の人間の踊りなんて、なかなかネットにアップされないでしょうから、かえって日本舞踊に親しみを持っていただけるんじゃないかとも思っていました。でも今回はこういう理由でカメラを回していません。その代わり、ボクも舞踊譜を書いてみました。

舞踊譜を書いてみて分かったこと

  • めっちゃ時間がかかる
  • 電車じゃ書けません!
  • 歌を書けない
  • 超思い出す
  • 間違っててもいい
  • とにかく楽しい!

こんな感じ。
まずですね、先生は「もうね、帰りの電車とかでぱーっと書いちゃうの」っておっしゃってましたけど、無理ですよ。だって実際に動きながらじゃないと書けないもん。頭の中で体を動かせるほど器用じゃない。

あ、ということは、先生はそれが出来るんだ!

しかもそれを「踊り手の視点」でなく、「前から見ている人の視点」でやってのけるということは客観視する力を同時に養うことになるのでしょう。先生は、「舞踊譜を書けるようになると振り付けや演出で役立ちますよ」とおっしゃいましたが、それは現場で使える速記術という面だけでなく、「脳の使い方」そのものが鍛えられるということなのでしょう。

次に、本当は歌詞と踊りをリンクさせるように書かなければならないのですが、ボクの場合歌詞を全く書けませんでした。歌の意味を全く分かっていないということです。

でも多分今はそれでいいと思います。せっかく踊るんですから、歌の意味なんて後で多分入ってきます。それよりも歌詞の意味が分からない分、今は動きの事を色々考えますし、それを細かく記録して行く過程で、ボクの場合勝手に仮説を立ていました。「世界を開く。したがって膝が伸びる」とメモに書いています。すると「あ、じゃあこの動きも扇子を開いたから世界を開いてたんだ。じゃあここも多分膝が伸びてるな。きっとおめでたい何かをこっちのお客さんにも振りまいたんだな」と思えてきて、気がついたらちょっと遠い目をしていました。(笑)

この解釈は間違ってるかもしれないんです。でもそれも現段階ではおそらく問題ない。動いてメモして「こうかな?」とか「これだな」と思ったんだから、それで書いてそう覚える。もし、違ってたら先生が次の稽古で正してくれるんです。その繰り返し。あれ? これってボクの一番好きな「トライ&エラー」システムじゃないですか。

日舞という伝統芸能の世界は、師匠の完全コピーで学ぶシステムですから、「仮説」とか「予測」とかが介入する隙間はないと思っていました。でも舞踊譜を書いて分かりました。色々考える隙間めっちゃあります。反対に映像の場合を考えてみるとどうでしょう? そんな隙間はあっただろうか? こんなにワクワクしただろうか?

今の時代、学びの場でスマホは頻繁に登場します。それが時代に即した方法で、一番合理的だと我々は思い込んでいます。でも何を持って合理的とするか、もっとよく考えてみた方が良さそうです。学びは、その人の力や元気となって初めて意味があるわけでしょう。だとすると、日舞の世界でスマホと舞踊譜のどちらが合理的か、これは一目瞭然ではないでしょうか。

これを皆さんの場合に置き換えるとどうなりますか?
皆さんにとっての「舞踊譜」は何でしょうか?

今日のまとめ

  • 日舞の振り付けは流派によって違う
  • 日舞の先生もスマホを使っている
  • 踊りは舞踊譜で記録する
  • 舞踊譜はスマホよりも合理的な記録手段

最後に今回もふきの会のホームページからQ&Aを一つご紹介させていただきます。

Q、坂東流はどんな流派?

A現在、日本舞踊には200を越える流派があるといわれますが、そのなかで「五大流派」とされるのが花柳流、藤間流、若柳流、西川流、坂東流です。
坂東流の祖は三代目坂東三津五郎(安政4年〜天保2年・1775〜1831)ですが、流派になったのは七代目三津五郎(明治15年〜昭和36年・1882〜1961)の時代からで、坂東流十一代目家元は、坂東巳之助師です。代々の家元が歌舞伎俳優である坂東流は、ひとつの曲目を単に踊るだけでなく、演劇的に、いかに演じるかを大切に扱うところに特徴があります。

坂東冨起子先生とふきの会についてはこちら


追記(2020/06/19)

ここからは追記です。先述の通り本記事をアップしたところ先生からご指摘を受け、「師匠の踊りを撮影することは御法度」であることを知りました。先生の言動をことごとく自分の都合の良いように解釈してしまい、皆様に間違った情報を提供してしまいました。読者の皆様、先生はじめ日本舞踊の伝統を大切にされてきた方々にもご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ございませんでした。

本記事は、「現代人と伝統芸能の世界に生きる人々の学びに対する意識の違い」がテーマです。私の勘違いは、「相手の言動を自分に引き付けて都合よく解釈してしまう」という私個人の性格に起因するところがほとんどでしたが、テーマとも無縁ではないと考え、原文はそのまま残し、赤字で訂正を加えました。ただ、タイトルにつきましては多くの方に間違った情報を提供してしまってはいけませんので修正しました。

以降は、配信する記事につきましては、まず先生に確認を取り、間違った情報をお届けしないよう注意して参ります。しかし同時に、トライ&エラーの精神は失わないように無知や間違いを恐れず学びの活動を続けて参ります。これは日舞の稽古だけでなく、私の全ての活動の基本方針です。引き続きよろしくお願いいたします!

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