産後鬱からお母さんを守る! コミュニティーとしてのベイビーシアター

韓国観劇ツアーノート4 ※Facebookから再掲載

前回は赤ちゃんにとってのベイビーシアターの必要性について考えました。思ったより多くの反響を得て驚いています。
その中で「子育てはお母さんだけでなくお父さんも行うものですよね」というコメントをいただきました。全くその通りだと思います。加えてボクは、たとえ子どもがいない人でも子育てに参加できるのが人間の特徴であり、喜びだと考えています。

「世界一貧しい大統領」として日本でも有名になったウルグアイのムヒカ元大統領が日本の大学生の質問に答える動画をYouTubeで見た事がありますが、ムヒカさんはその中で「私たち夫婦は子どもを授かりませんでしたが、子育てに参加しています。」と言っていました。ハッとしましたね。ボクも同じ気持ちです。
それでもボクは赤ちゃんについて記述する時、つい「赤ちゃんとお母さんは……」という書き方になります。そこに「お父さん」という言葉を含めたり、「両親は」「親は」という言葉を使うことに何か違和感を覚えてしまうのです。
その事が誤解を招く、という事は分かってはいました。ですので時々()の中にお父さんを含めたりと中途半端なことをしていました。でもそれは良くないことですね。
ですので、今回は「ベイビーシアターがお母さんにとってなぜ必要か」ということを主軸に置きつつ、ボクがここに「お父さん」という言葉を入れられなかった違和感についても考察してみたいと思います。
違和感は気づきのきっかけ。掘れば大体何か出てきますからね。

では本題。ベイビーシアターはお母さんにとってなぜ必要か。
ボクは二つあると思います。

【忙しすぎるお母さんを赤ちゃんの周波数にチューニング】

まずは何よりこれです。お母さんは忙しすぎる!
ベイビーシアターの会場係をやればすぐに分かることですが、ベイビーシアターにとって大切な事はパフォーマンスの内容だけではありません。パフォーマンスまでの環境づくりがとても大切です。
考えてもみてください。家から遠く離れた時間の決められたイベントに赤ちゃんを連れてくる事がどれだけ大変なことか。
おそらく家を出るまでにお母さんはいくつものタスクをこなしています。しかしそれはほんのプロローグに過ぎない。そこから会場までの道のり。交通網との戦い。容赦無く迫ってくる時間。やっと駅についても出口が分からない。または駐車場が遠いのに雨が降っている! 会場に着いたら着いたでエレベーターが来ない。来たと思ったら人でいっぱい。恐縮しながら乗り込むか一本遅らせるか瞬時に判断が求められる。結局一本遅らせる。ギリギリ会場に着いてベビーカーを止めて、会場に持ち込むアイテムを選別してやっと座れたと思ったら赤ちゃんがぐずり出す……
ボクは実際に経験した事がないので具体性に欠けた描写しかできません。でも2018年にベイビーシアター作品の演出助手について、本番当日はベビーカーの移動やドアの開け閉めを担当しながら「お母さんはここに来るまでに二、三戦終えてきてるんだな」ということを思い知りました。
これはどういうことか。

お母さんは、赤ちゃんのリズムと現代社会のリズムの板挟みにあっている

ということです。
前回ボクは、ベイビーシアターが赤ちゃんに及ぼす作用の中で、人間が進化の過程の中で獲得してきた体の機能を使い育むことに意味がある、と言いました。
我々ホモ・サピエンスの歴史は20万年程度だそうですが、我々の体の機能の中には前回紹介した「白目の獲得」を含めもっと古くから獲得されている機能がたくさんあります。例えば、「年子を産む事ができる」というのも類人猿の中では人間だけの特徴です。
ゴリラ学者の山極寿一さんと、アマゾンの先住民と何年間も生活を共にしてきた探検家の関野吉晴さんは、『人類は何を失いつつあるのか ゴリラ社会と先住民社会から見えてきたもの 』と題した共著の中で、年子を産む事ができるのは、初期人類がジャングルを出て大型肉食獣からの危機を乗り越え子孫をつないでいくため必要な対抗手段だった、と述べています。
年子を産むという事は、お母さんが一人の赤ちゃんを抱き続ける事ができない事を意味します。だから人間の赤ちゃんは泣くのだそうです。反対にゴリラやチンパンジーの赤ちゃんはお母さんがつきっきりなので泣く必要がありません。
赤ちゃんに泣かれてもお母さんは手を離せません。するとどうなるか。他の者が赤ちゃんを抱くんですね。それがお父さんなのか、おじいちゃんおばあちゃんなのか、大きくなったお兄ちゃんお姉ちゃんなのか、多様なパターンがあったと思いますが、とにかく母親以外が子をあやす。
山極さんと関野さんは人類の発明の中で一番偉大な発明は、「共同保育」だと言っています。文字の発明も月への到達も共同保育に比べたら大した事はないと言うんですね。もう涙が出そうでしたよ。その言葉を聞いたときには。
そしてもう一つボクが大好きなのは、山極さんが「どうしても赤ちゃんを抱いてあげられないときに初期人類は赤ちゃんをあやすために声を使ったはずだ。そしてその声は抑揚を伴っていた。つまり子守唄こそが歌の起源ではないか」と言っている事です。これについても考えたい事がたくさんありますが、ちょっと本題から離れつつあるので軌道修正しましょう。

【赤ちゃんのリズムとは?】

赤ちゃんのリズムとは何か。それは、数百万年(もっと?)という時間をかけて育まれた人間本来のリズムのことを指すのではないでしょうか。
反対に現代社会のリズムは、文明社会のリズムです。それはおそらく文字、数字、農耕の発明に支えられたシステム社会の上に構築されています。お母さんはこの二つの板挟みになっている。

なんだか大袈裟に聞こえるかもしれませんが、簡単にいうとなんで朝起きるのに目覚まし時計をかけるの? ということです。それはお母さんが約束に対して逆算して動くからですね。でも赤ちゃんは「今」を生きています。体が目を覚ましたら起きるんであって、約束のために体を起こしたりしない。

では、ここで質問。どっちにハッピーがあるでしょう?

この間YouTubeでマツコデラックスさんの番組を観ていたのですが、その中で養老孟司さんに芸能人が色々と相談するコーナーがありました。坂上忍さんがやってきて「自分は常に三つくらいのことを並行して行わないと時間を無駄にしているような気がします。洗濯機を回しながらお湯を沸かしてトイレに入って……と無駄なく生活するために頭を動かしてしまう。そのことに疲れてしまいました」と相談しました。
養老孟司さんの回答は一言。「子どもと関わりなさい。そこに『自然』があるから」でした。すごいっ!

これはつまり、現代社会のリズムに疲れた人に対して、人間本来のリズムを取り戻しなさいと言っているのだと思います。
そしてこれこそベイビーシアターがお母さんにとってなぜ必要か、ということの一つの答えだと思います。
赤ちゃんの周波数、つまり人間本来の周波数にお母さんをチューニングし直してあげる必要があるのです。

これ、一見変ですよね。だってさっきの養老さんの話だと「子どもと関わりなさい」って、お母さんはどっぷり関わってるわけですから。お母さんは、赤ちゃんの周波数を持てていないとおかしいということになる。
でもこれはおそらく現代社会の周波数がお母さんの周りを覆い尽くしているのが原因だと思います。だからさすがのお母さんでも赤ちゃんの周波数に合わせるのが難しい。

スマホに疲れる感覚は現代人なら誰でも持つ感覚だと思います。
でも実は、スマホ以前に時間や文字や予定といった現代社会を構成する一つ一つの要素が、実は自分にストレスをかけていたとしたらどうしますか?
文字も予定も自然の世界にはありません。時間も太陽と共に流れていますが、本来昼間の30分と夕暮れの30分は同列ではないはずです。それは「黄昏」という言葉一つを取っても分かると思います。我々は昼間の数十分間にそんな特別な言葉を用意していません。昔の人は体で生きていたから知っていたのです。その時間帯に我々の体が変化していることを。体の変化は環境の変化に呼応します。この感覚。現代人は常に自分が一定だと思っている。脳が体を司っていると思っている。逆じゃないですか? 脳は体から取り込まれるあらゆる情報を取り込んで判断をしているにすぎないんじゃないですか?

【赤ちゃんの夢が分かるお母さん】

話が抽象的になってきましたので話題を変えます。
十年くらい前、ボクがまだひとみ座で働いていた頃、子育て真っ最中だった先輩がふと「ちょっと前まで息子と一緒に寝ていて彼の見ている夢がわかった」と言いました。普段こういう話をする人じゃなかったのでボクは驚きました。それも3時のおやつの時間に世間話をする延長で普通に話し始めたから余計に説得力がありました。面白かったのは、その感覚は息子さんが言葉を使うようになって次第に薄れてきた、と言っていたことです。これ、本当に息子の夢を一緒に見ているかどうかという事はボクにとってはそんなに問題ではありません。それより「息子の夢が分かるような感覚を先輩が持っていた」ということが大切です。そして、それを先輩が大切な思い出としてしまってあったということも。

ベイビーシアターの中で赤ちゃんと目が合うという事はとても不思議な体験を及ぼすという事は前回も書きましたし、2017年にダリアの作品を見た時にも書きました。https://amano-jaku.com/library/report4/7th/

先輩にとってはそれが生活の中にあった。
でもこういう赤ちゃんとの一体感、赤ちゃんと周波数を合わせて交流する幸福感の経験は全てのお母さんに保証されるべきだと思うんです。だって人間はこの一体感を得て人間になったんだから。幸福感の経験は、何もお母さんのためだけじゃないんです。そういう体験をしているお母さんが一人でも多い方が人間社会を太く豊かなものにする。めぐりめぐって自分のためになる。
でも残念ながら先に述べたように、現代社会は基本的にもっとせわしない周波数の情報で溢れています。
そんな中、お母さんと赤ちゃんが日常生活の中でゆっくり身体感覚を同期させる事はなかなか難しい。だからこそのベイビーシアター!
これが、ボクがベイビーシアターがお母さんにとっても必要だと考える一つ目の理由です。
もう一つはもっと深刻な問題です。そしてこれはジャッキーがとりわけ問題意識を持って取り組んでいる事でもあります。

【産後鬱からお母さんを守る! コミュニティーとしてのベイビーシアター】

まずはジャッキーが語った産後鬱になってしまったあるお母さんの事例についてご覧ください。

・あるお母さんは出産前まで自分自身の感覚で思い通り行動してきた
・それが出産後、全く自分の思い通りにならない「赤ちゃん」と行動を共にすることになった
・すると脳に誤作動が起きた
・自分が何かを飲もうとしたときに赤ちゃんの泣き声がする。必然的にお母さんはコップを持つ手を止め、赤ちゃんの様子を確認する
・自分のしようとする行為(水分を取るという行為)が、他者によって制御されて脳が戸惑った
・そしてこれが繰り返されてしまった事で、脳内にバイアス(偏り)が生まれた
・その後お母さんの脳は、喉が乾いたにもかかわらず「今はダメですよ」という指令も同時に出してしまうようになる
・すると喉が乾くという正常な感覚に必要なホルモン、唾液、腸のハーモニーが崩れてしまった

鬱という病気の症例を体の機能の一つ一つの変化に注目して具体的に解析した形です。
こういうことって、誰にだって起こりうる問題ですよね。
前回も紹介したフランスの外科医ミシェル・オダンは、こういった問題について「なぜ病気になるのか」と捉えるのではなく、「なぜ他の多くのお母さんは病気にならないか」と考えることで問題の本質について考察しました。(『プライマル・ヘルス健康の起源―お産にかかわるすべての人へ』)
その活動の中に「音楽の導入」があります。妊婦のお母さん達に歌を通じたコミュニティーを病院内に作ったんですね。そしてアートの持つ治癒力を現代医学に用いた。

ジャッキーはこのミシェル・オダンの方法をさらに発展させます。神経心理学者として活動するかたわら韓国の芸術大学の演劇コースに入り、演劇を専門的に勉強します。そして科学と芸術を融合させたベイビーシアターを作ったのです。私は今回訪れたわけではありませんが、ジャッキーの勤務する釜山(プサン)の産婦人科病院では、ベイビーシアターが病院内で見られるようになっているようです。それだけでなく、妊婦の時からお母さんたちのコミュニティーがあり、そこにもアートが取り入れられている。このあたりのことを詳しく聞いたわけではないのですが、ボクはこれが日本でひと頃よく耳にした「胎教」とは訳が違うと思います。

【「こうあらねばならない」じゃない子育ての創出】

ここからは再びボクの私見です。
お腹の赤ちゃんにいいからと聞いて突然お母さんがモーツァルトを聞き出してもボクは何の意味もないと思います。それより多分下手でもいいからお母さんが歌った方がいい。それも赤ちゃんのためにというわけでなく、赤ちゃんのことを思いながら自分自身も幸せいっぱいに歌った方がいい。お腹の中の赤ちゃんも多分嘘の音を見抜きますからね。笑

おそらく子育てにおいて一番やってはいけないのは、「こうすればこうなる」という考え方をしてしまうことではないでしょうか。「こうすればこうなる」はやがて「だからこうあらねばならない」に変化します。そんなストレス満載のセコセコした考え方で子どもがハッピーになるはずがありません。そしてそのストレスは回り回ってお母さん自身にも跳ね返ってきます。

ジャッキーの話の中に出てきたお母さんにはおそらく「こうあらねばならない」という子育て像があり、その事が彼女自身を苦しめていました。そんなお母さんにできる事は二つ。ジャッキーのような専門家が付き添ってあげる事。もう一つは「こうすればこうなる」でなはく、「こうしてもどうにもならない」ということを痛いほど知っているお母さん達との出会いの場を作ってあげるということではないでしょうか。
前者をすべてのお母さんに約束するのは難しい。でも後者ならコミュニティーさえ創出できたら何とかなりそうじゃないですか。
一からコミュニティーを作り出す事はとても大変な事です。でもそこにベイビーシアターというイベントがあれば作りやすいかもしれない。赤ちゃんと一緒にパフォーマンスを見て、そこで赤ちゃんと一緒にのんびりして、いつもとは違うママ友とお喋りをする。その中にミシェル・オダンの言うように「たくさんの問題を未然に防ぐ知恵」が隠されているとしたらとても素敵なことだと思いませんか?

【子ども劇場・おやこ劇場のこと】

実はそういうコミュニティーは日本全国にすでにあります。それが「子ども劇場・おやこ劇場」というグループです。
「劇場」と言ってもそれは子育ての真ん中に「舞台芸術を置こうよ」という意味でのネーミングであって建築物としての劇場という意味ではありません。
児演協が数年来進めてきたベイビーシアタープロジェクトも子ども劇場・おやこ劇場の人たちと一緒になって育ててきたものです。そしてボク自身の価値観もこの劇場の方々との出会いに大きな影響を受けています。こちらのサイトに各地域の劇場のリンクが掲載されていますので興味のある方はぜひ覗いてみてください。

http://www.sozosha-net.jp/oyako/oyako-list/

【なぜお父さんと書かなかった?】

さて、ここまでベイビーシアターがお母さんにとってなぜ必要かということを二つのポイントに絞って見てきました。
一つは、この忙しい現代社会の中でお母さんにも本当の意味でのんびりしてもらうため。
もう一つは、お母さん同士のおおらかなコミュニティーを作り出すため。

では最後に冒頭で申し上げた「お父さん」という言葉を使うことに対してボクが感じた違和感について考えます。
共同保育こそが人類誕生の起源である、という意見にボクが深く共鳴している事は先に述べました。にもかかわらずボクは「お母さん」と言う言葉を連発し、「お父さん」とは書かなかった。それはなぜか。
それは、ここに「お父さんと書かないのはおかしい」という意見の前提が「お母さんだけに子育てを押し付けるのはおかしい」という前提に立っている気がするからです。
前回コメントをくれた方がそうだとは言うわけではありませんよ。もっと世の中全体のことです。
例えば「育休」と言うじゃないですか。ボクはあれがなぜ「仕事を休む」意味の言葉なのか分からない。子育てよりすごい人間の仕事ってあるんですか? って思うんです。「子育てから仕事に復帰」とも言います。言葉の主軸が仕事の方にあって、子育てという人間にとって最も大切な営みの方にない。だからボクは何となくそちらの前提に立って「お父さん」と言う言葉を付け加えて批判を未然に防ぐ、という行為をとりたくなかったんだと思います。あ、いや時々()書きは使ってましたが……

というわけで、今回のノートはこれで終了。次回は、ベイビーシアターが社会に及ぼす影響について考えます。
前回の記事にこんなコメントを添えてシェアしてくれている方がいました。

あなたはあなたのままでいい。

ベイビーシアターに関わっていると本当にそう思います。
これってものすごく深いことだと思うんですよ。
近年問題になっている「自己肯定感の欠如」とも密接に関わってくることだと思いますのでぜひ考えてみたい。
そして、「ベイビーシアターと遊びの違いはどこにある?」ということにも言及してみたいと思います。

なんてことを考えている内に日本に帰ってきてしまいました!
ジャッキー、ミヒさん、ボギョンさん、そして太田昭さんに連れて行っていただいた日韓演劇交流センターの韓国の方々、みなさんには本当によくしていただきました。おかげさまで本当に素晴らしい体験をさせてもらいました。
ニュースは国家間のきな臭い内容ばかり伝えているようですが、民間交流は別。韓国、超安全。超楽しかった! 大好きっ!

書きたい事はまだまだありますので引き続き書いていきます〜

写真は、プチョンフェスで行われたイ・ミヒさんが所属する韓国の児童劇団ミンドレレの『ジェムジェム』を観た後活発になった赤ちゃん。自分の最も信頼できるセンサーである口を使って、劇中で使われた積木と出会っている

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