持って生まれた機能を育むパフォーマンス〜なぜ今赤ちゃんにとってベイビーシアターが必要かを考える〜

韓国観劇ツアーノート3より ※Facebookから再掲載

一昨日、敦化門国楽院に農楽を観に行ったら人形劇団プーク の川尻真美夏さんとばったり。家族旅行中とのこと。「西上さんは何をしにソウルへ?」と聞かれ、ベイビーシアターフェスの話をすると、ご家族の方は「え? 赤ちゃんも劇観るの?」と驚きの様子。口にこそ出されませんでしたが「なんのために?」「赤ちゃんには早くない?」という感じ。気がつけばこの世界に魅了されてしまった身としては逆に新鮮なリアクションでした。というより、ベイビーシアターを観たことがない方にはこれが一般的なリアクションだよなあと再認識。

というわけで 今回は、ベイビーシアターの必要性について、改めて考えてみようと思います。この作業の中にボクたちが普段「ドラマチック」と言っていることとはまた違う、もう一つのドラマツルギーが隠れているような気がするのですが、そこまで掘り起こせますかどうか……

【三つの必要性】

ベイビーシアターの必要性について考える時に三つの視点を持つことが出来ると思います。
一つ目は赤ちゃんにとって。当たり前ですよね。
二つ目はお母さん(お父さん)にとって。これもわかりますよね。
最後は社会にとって。これは「?」となる方も多いと思います。ここでいう社会とは「子育てに直接関係していない大人たち」のことです。ちなみにボクはここに属しています。
ベイビーシアターに触れたことは、ボクの人生にとってとても重要な経験となりました。それは職業演劇人だからというだけでなく、もっと大きな枠、人間としての大きな経験になっています。
もう一つ白状しておくと、ボクはつい2年前まではベイビーシアターの必要性を全く感じておりませんでした。児童演劇界の一部の人たちが盛り上がってるのは知っていましたが、天邪鬼(あまのじゃく)のボクはそれを横目に「ふん、自分たちの仕事を作るために対象年齢を下げて下げてついに赤ちゃんまでいっちゃったか。赤ちゃんはお母さんと遊んでるのが一番だろ」と思っていたんです。でも2017年に南アフリカでダリアの作品を観て、そして2018年からジャッキーの演出助手についてその考えは木っ端微塵に砕け散りました。
その後は、ベイビーシアターこそ児童演劇界の最前線であると吹聴して回っています。ボクをベイビーの世界に引き込んだ太田昭さんは、ベイビーへの傾倒を「宗旨替え」と言いましたが、まさに言い得て妙で、その意味ではボクもベイビーシアターの門徒になったわけです。
というように、子育て経験があるわけでなく、ましてベイビーシアターを作っているわけでもなく、むしろ最初は「要らなくね?」と思っていたボクがベイビーシアターの必要性について語るのですから皆さん是非まゆに唾して読んでください! 笑

では長い前置きはこれくらいにして、三つの必要性について一つずつ見ていきましょう。

【赤ちゃんへの作用】

なぜ15組か?

まず一つ目は、赤ちゃんへの作用です。「ぶっちゃけ赤ちゃんにとって何がいいの?」ということですね。子育て世代の方々にとって一番気になるところです。と同時に言葉で説明する事がとても難しい部分でもあります。
例えば、ベイビーシアター作品のほとんどは観客数を大体親子15組くらいに限って行われます。ですから基本的に助成金を受けなければ採算が合わない。
じゃあなんでそんなに少ない人数でやっているかというと、これはベイビーシアターにおいて、演者と赤ちゃんが目を合わせるということはとても大切なことで、それを丁寧に実現するための観客数がこれくらい、という理由です。
じゃあなんで目を合わせる必要があるの? というと、それが赤ちゃんにとっての大切なコミュニケーションだからです。我々はコミュニケーションに言語を用いますが、赤ちゃんは使いません。じゃあ赤ちゃんの「目を合わせる」というコミュニケーションが言語より劣っているかというと、決してそんなことはありません。それは赤ちゃんと目を合わせてみれば一瞬で分かります。赤ちゃんの瞳は深いですよね。じっとこちらを見つめてきます。ちょっとやそっとのことでは目を背けません。なんだかこちらの存在そのものを見通しているようなそんな透明な視線を向けてきます。
この「目を合わせる」という行為は、ボク達が思っているよりずっとずっと深いコミュニケーションなのです。
もう少し考えてみましょう。

赤ちゃんは目を合わせる名人

京都大学の総長でありゴリラ研究者の山極寿一さんによれば、ゴリラもコミュニケーションにこの「目をじっと合わせる」という行為を使うようですね。加えて山極さんは、類人猿の中で人間だけが「白目を持っている」と述べています。白目を持つとはどういうことかというと、黒目(瞳孔)の位置を相手に知らせることで「自分が何を見ているか」を相手に開示する、という意味があるようです。
自分が今何を見ているかということを相手に知らせてしまうということは、生物個体としてはとても危険なことらしいのですが、山極さんは、「人間はあえて弱点を露出させることで反対に共感力を育んだ」と言っています。つまり、目を合わせるという行為は、人間が人間になる過程の中で(おそらく数百万年前に)身につけた原初的なコミュニケーションツールなのです。我々は生まれつき白目を持って生まれてきます。進化の過程で手に入れた体の機能ですね。
でも、この目を合わせる、という機能を使わずにコミュニケーション能力を育む事ができると思いますか? 目を合わせると言ったって、形だけパパッと目を合わしても多分意味はないんですよ。赤ちゃんがするように相手の全存在を受け止めるような視線を返さないと。そうして両者の目が合ってここで初めて「出会い」となります。いきなり「ばあ!」とあやしても多分ダメです。赤ちゃんからしたらまだ出会ってないんだから。
15組程度の観客数だとここでいう「出会い」が全てのベイビーに保証されます。その出会いは、演者と赤ちゃんの間に始まって、赤ちゃんとお母さん、赤ちゃん同士というようにどんどん展開していきます。それも誰にうながされるわけでもなく赤ちゃん自身が能動的にそうするんです。きっと持って生まれた体の機能を目一杯使うことは嬉しいことなんですね。

持って生まれた機能を育むパフォーマンス

一口にベイビーシアターと言ってもパフォーマンスの内容は音楽中心だったり、ダンスパフォーマンスであったりと千差万別です。でも共通しているのは、言葉によるお話の提示ではなく、赤ちゃんの身体感覚に訴えかけているということ。

ジャッキーはアクターが赤ちゃんと距離を変えつつパフォーマンスをすることを大切にしていました。これはどういうことか。まずはアクターが動くことによって赤ちゃんは目でピントを合わせなければなりません。これは「毛様体筋」を使った運動です。この筋肉も使わないと育まれない。ジャッキーが最も危惧していたのは、スマホの爆発的な普及です。スマホは画面の中では色々動いていますが、肝心の赤ちゃんとスマホの距離はほとんど変わりません。よって赤ちゃんは「毛様体筋」を使う機会を失うのです。音も同じく。スマホから流れてくる音は周波数に乏しく、音源の場所も一定です。ジャッキーの作ったベイビーミニシアター作品が全て生演奏で、ともすると楽器だけでなく自分の体や床も叩いたりするのは、音質、音源を変化させる事で赤ちゃんの感覚を刺激するためです。もちろんそれは無機質に行われるわけでなく、全て「感情」を伴って行われる。
ジャッキーは感情を伴わない音を出すことを許しませんでした。それは歌でも楽器の演奏でも言葉でもそう。形で出した音は全て「それは嘘の音です」と却下されました。赤ちゃんは嘘の音を見抜くのです。そしてジャッキーは私たちのことを「アナログ戦士」と呼びました。

共感力を育むパフォーマンス

ボクは最初に「ベイビーシアターが赤ちゃんにとって必要であることを言葉で語るのは難しい」と言いました。
それはベイビーシアターが育もうとしているのが、言語獲得以前の人間の能力の中にあるからだと思います。人間は言語を獲得しその後文字を発明することで「思考力」を鍛えましたが、それは人間の進化の過程からすると後期の発明であって、それよりもまず「共感力」を育んだことの方が人間の特徴としては大きいのではないでしょうか。
思考力に代表する個の能力の前に、体を基盤とする共感力がある。共感力、つまり我々が一般的に「心」と呼ぶものは、体の機能に細かく紐づけられている。ベイビーシアターはその体の機能に訴えるパフォーマンスなのだと思います。

発想の転換

ジャッキーが大きな影響を受けたというフランスの外科医ミシェル・オダンは『プライマル・ヘルス 健康の起源―お産にかかわるすべての人へ』の中で、出産後の赤ちゃんの成長について「なぜ病気になるのか」と考えるのではなく「なぜその他の多くの子が病気にならないのか」に注目し、昔ながらの生活の中で育まれてきた知恵や生命の神秘について言及しました。

ボクには、ジャッキーがそのことをベイビーシアターの中で挑戦しているように感じられます。
人は生まれながらに共感するための機能をたくさん持って生まれてくる。昔ならこれらの機能は、共同体の中で生活していく中で自然と育まれてきた。
しかし核家族化が進み、街は機械音に溢れ、生後数ヶ月でスマホを渡される……そんな中では、自然に育てていくことは難しくなってきた。赤ちゃんの体の機能を育む機会を別に作らなければならない。それには音楽、ダンス、演劇という古来から人間が共感力の発露の場として大切にしてきた営みを応用するのが一番。そこに科学の裏付けを持ちつつ赤ちゃん向けに特化させた形、それがジャッキーの考えるベイビーシアター。だから現代社会で生きていく赤ちゃんには必要な要素が満載!
いや、ジャッキーがどういうかは分からないんですが……

次回は、「お母さんにとってのベイビーシアター」「社会にとってのベイビーシアター」を考えます。
ボクの仕事は脚本を書くことなので、最終的には、ドラマ=葛藤というドラマツルギーの基本をベイビーシアターの見地から疑ってみたいと思ってますがそこまで掘れますかどうか……(2回目 笑)

写真は、プチョンフェスで赤ちゃんと「出会う」ジャッキー

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