はれぶたのメインテーマ曲「もしも、あめのかわりに」は、村山籌子さんの詩を歌ったものです。この詩は何と今から94年前の大正13年に発表されたものでした。
目次
村山籌子さんのこと
1988年のアニメ評論
- 38年前の書評
- 現在のレビュー
- 海外版について(アメリカ・オランダ・韓国・中国・タイバージョンの情報を仕入れる)
- 舞台化されたはれぶたについて
- アニメ・映画版はれぶたについて
これをボクと3人の演者とプロデューサーの田坂さんで振り分けてそれぞれ調べてきて発表する、という遊びをしました。ボクの担当は当時の書評を集めることです。これは国立国会図書館に行けば割と簡単に手に入ります。そこでボクは、1984年の書評と1988年のアニメの批評を手に入れました。このアニメの評論は、菊永謙という詩人の書いたものだったのですが、その中でボクは村山籌子さんの詩を知ります。それが「もしも、あめのかわりに」でした。
もしも、あめのかわりに
もしも、あめのかわりに 村山籌子 作
もしも、あめのかわりに
ねこだの いぬだの ねずみだのが ふってきたら
まあ、どんなにおかしいでしょうね
そしてそれが
いくにちも いくにちも
ふりつづけたら
まあ、せかいじゅうは
ねこだらけ いぬだらけ ねずみだらけに
なるでしょうね
ぶたとは何か
で、そういうことを次の集まりで報告すると、メンバーから「じゃあ、この作品は子どもが子どもらしくいるってことがテーマだね」という声が上がってくる。いや、それは確かにそうかもしれないんですが、テーマというのは疑問形で捉えた方がいいのでボクはこうしました。
〜子どもに明日の天気は「はれときどきぶたです」っていうとみんな笑います。それはどうしてでしょうね〜
これ、相手が大人だったら「は?」ですよね。空からぶたなんて降るわけないんですから。でも子どもは「え?」ってなる。ぶたじゃなくてもいいんです。身近な体験を思い出してみてください。ボクの場合は、3歳か4歳の頃、家の洋間に犬の形をしたゴミ箱があったんです。首が開いてそこにゴミを捨てるんですが、ある日兄がその犬のゴミ箱からアイスを取り出して食べたんです。でボクに「こいつ時々アイス出すよ」と言った。ボクは「え?」ですよ。「こいつアイス出すの?」って。それからは毎日チェックです。でもいっこうにアイスは出てきません。当然です。兄のイタズラなんですから。でもボクはそんなこと知る由もなく、「こいつなかなか出さないなあ」ってずっと不思議に思ってました。
誰でもこういう「え?」を持ってると思うんです。「は?」じゃダメなんです。「は?」じゃ、記憶に残らない。
空からぶたが降ってくる。もちろん降ってくるわけはないんで、ぶたは「ムダ」なんです。大人だったら「は?」と切り捨てるムダ。でも子どもはそうじゃない。「えーーー?」って食べて栄養にしちゃう。一生の記憶にだって残しちゃう。それって一体なに? ってことなんです。ですから、ボク達のはれぶたは子ども達の「え?」に人形劇で迫っていくことをテーマとしました。
そして、もう一つ考えたのはボク達の社会は子ども達の「え?」を保障しているか、ということです。子ども時代を大人の準備期間と捉えて最初から「は?」を教えてないか。そういうことも一緒に考えながら、はれぶたの中では思いっきり「えーーー?」となれる作品を目指すことにしました。もしそうなれば、大人も絶対に影響されますからね。
大人が本当に面白いものは子どもにとっても面白い。
これは、児童演劇の世界でよく聞く言葉ですが、ボクはそれは児童演劇の本来の姿ではないと思っています。この言葉の底には、大人から子どもに作品を下ろしていく、という考え方がある。多分本当の児童演劇は逆です。
子どもにとって本当に面白いものは大人にとっても面白い。
はれぶたは、子ども達の世界を覗くことで世界はどのように出来ているかということを考える物語です。その最初のきっかけを与えてくれたのが村山籌子さんでした。そしてさらに矢玉さんの著書「心のきれはし」からの影響を受けながら、原作ではあまり登場しないたまちゃんが大きく脚色されていくことになります。それはまた次の機会に書きたいと思います。
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はれぶた2018年夏の上演はこちら。
子どもと舞台芸術 大博覧会 in Tokyo 2018(はれぶたは8月1日参加)
子どもえんげきさい in きしわだ(はれぶたは8月25日参加)
人形のまち北なごやパペットフェスタ(はれぶたは8月26日参加)
2018年冬には、人形劇団ひとみ座(川崎市)クリスマス公演に登場予定。
「もしも、あめのかわりに」詩 村山籌子 曲 庄子智一