はれぶたが教えてくれたこと4 「村山籌子さんの詩」

はれぶたのメインテーマ曲「もしも、あめのかわりに」は、村山籌子さんの詩を歌ったものです。この詩は何と今から94年前の大正13年に発表されたものでした。

目次

村山籌子さんのこと

村山籌子(むらやまかずこ)さんは、1903年生まれの児童文学作家で、夫は東京芸術座を作った村山知義さん。没年が1946年なので、若くして亡くなられているのですが、動物や野菜を主人公にした童話や詩をたくさん残されています。ボクは、はれぶたを脚色するにあたって、村山籌子さんの詩から相当大きな影響を受けました。当時ボクは、はれぶたというナンセンスコメディーをどう捉えるべきか考えていました。原作はぶっ飛んで面白い。それは誰もが認めるところです。トイレにヘビが出て、お母さんが鉛筆を天ぷらにして、金魚があっかんべーをして、おまけに天気予報は「はれときどきぶた」です。面白くならないわけがありません。でも、
「これを演劇作品として上演する意味は?」
という問いかけに対しての答えは見つかっていなかったのです。それはそうです。この問いかけをメンバーと共有したのは2016年12月、最初の顔合わせの日だったのですから。というわけで、ボク達はこの問いに向かって行くところから企画をスタートさせました。そしてその過程で出会ったのが村山籌子さんだったのです。

1988年のアニメ評論

 気をつけていたのは、「なぜ今この作品をやるのか」とこういう事を会議室で話し合わないことでした。言葉に出来るようなことは、つまりすでに知っている価値観ですから、それではわざわざ人形劇にして考える必要がないですからね。問いかけは発見へのプロセスであって、言葉をこねくり回して作品を理論武装させるためのものではありません。プラス、こういうことも遊びながら考えた方が盛り上がります。デバイジングは散らかすこと。こうしてボク達は、はれぶたを調査するところからスタートしました。その調査内容は…
  • 38年前の書評
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これをボクと3人の演者とプロデューサーの田坂さんで振り分けてそれぞれ調べてきて発表する、という遊びをしました。ボクの担当は当時の書評を集めることです。これは国立国会図書館に行けば割と簡単に手に入ります。そこでボクは、1984年の書評と1988年のアニメの批評を手に入れました。このアニメの評論は、菊永謙という詩人の書いたものだったのですが、その中でボクは村山籌子さんの詩を知ります。それが「もしも、あめのかわりに」でした。

もしも、あめのかわりに

もしも、あめのかわりに 村山籌子 作

もしも、あめのかわりに

ねこだの いぬだの ねずみだのが ふってきたら

まあ、どんなにおかしいでしょうね

そしてそれが

いくにちも いくにちも

ふりつづけたら

まあ、せかいじゅうは

ねこだらけ いぬだらけ ねずみだらけに

なるでしょうね

 これが、その詩です。これは、ボクにとって衝撃でした。だってはれぶたの世界をそのままじゃないですか。そしてですよ。この詩のすごいのは、何にも批評してないところです。「もしも」の世界をそのまま受け入れている。子どもが、
「ねえお母さん。もしね、空からね、雨の代わりにね、猫とか犬とかネズミとかが降ってきたらね、どうなると思う?」
って聞いてきたのに対して、
「そうねえ、そしたらみんな猫だらけ、犬だらけ、ネズミだらけになっちゃうねえ」
って一緒になって空想してるだけなんです。これを読んだ時もう嬉しくて、ああ、そうだなあって。ネズミだらけになっちゃうなあって。ボクも一緒になって考えちゃったんです。つまり、村山さんは子どもの世界に入って物事を見て、その事をそのままうたってるんです。すると、読んだこっちも子どもの世界にそのまま連れて行かれて世界を覗くことができる。そこには「これがなんのためになるのか」なんて、セコセコした考えはないんです。だから幸せになっちゃう。いやあ、驚きましたね。しかもこの詩が書かれたのが、大正13年なんですよ。で、もっと調べていくと村山籌子さんの夫である村山知義さんは、バリバリの社会主義演劇人で、太平洋戦争の時には、特高警察に引っ張られてるんです。籌子さんも私生活では戦ってたんですね。家を荒らして帰って行く特高警察に「片付けて行きなさい」と一括したというエピソードが載っていました。でもそんな事を作品の中ではおくびも出さず、子どもの世界をありのまま見つめている。その太さ。これが、はれぶたの持っている作品の太さとリンクして見えてきて、「ああ、はれぶたはそのままでいいんだ。変にドラマチックにしたり、教訓を語っちゃいけないんだ。そんなことより、子どもたちがどういう世界に生きているのかということをボク達大人が覗かせてもらえばいいんだ。その中にきっとすごい発見があるぞ」って、そう思うことができたんです。

ぶたとは何か

で、そういうことを次の集まりで報告すると、メンバーから「じゃあ、この作品は子どもが子どもらしくいるってことがテーマだね」という声が上がってくる。いや、それは確かにそうかもしれないんですが、テーマというのは疑問形で捉えた方がいいのでボクはこうしました。

〜子どもに明日の天気は「はれときどきぶたです」っていうとみんな笑います。それはどうしてでしょうね〜

これ、相手が大人だったら「は?」ですよね。空からぶたなんて降るわけないんですから。でも子どもは「え?」ってなる。ぶたじゃなくてもいいんです。身近な体験を思い出してみてください。ボクの場合は、3歳か4歳の頃、家の洋間に犬の形をしたゴミ箱があったんです。首が開いてそこにゴミを捨てるんですが、ある日兄がその犬のゴミ箱からアイスを取り出して食べたんです。でボクに「こいつ時々アイス出すよ」と言った。ボクは「え?」ですよ。「こいつアイス出すの?」って。それからは毎日チェックです。でもいっこうにアイスは出てきません。当然です。兄のイタズラなんですから。でもボクはそんなこと知る由もなく、「こいつなかなか出さないなあ」ってずっと不思議に思ってました。
誰でもこういう「え?」を持ってると思うんです。「は?」じゃダメなんです。「は?」じゃ、記憶に残らない。

空からぶたが降ってくる。もちろん降ってくるわけはないんで、ぶたは「ムダ」なんです。大人だったら「は?」と切り捨てるムダ。でも子どもはそうじゃない。「えーーー?」って食べて栄養にしちゃう。一生の記憶にだって残しちゃう。それって一体なに? ってことなんです。ですから、ボク達のはれぶたは子ども達の「え?」に人形劇で迫っていくことをテーマとしました。

そして、もう一つ考えたのはボク達の社会は子ども達の「え?」を保障しているか、ということです。子ども時代を大人の準備期間と捉えて最初から「は?」を教えてないか。そういうことも一緒に考えながら、はれぶたの中では思いっきり「えーーー?」となれる作品を目指すことにしました。もしそうなれば、大人も絶対に影響されますからね。

大人が本当に面白いものは子どもにとっても面白い。

これは、児童演劇の世界でよく聞く言葉ですが、ボクはそれは児童演劇の本来の姿ではないと思っています。この言葉の底には、大人から子どもに作品を下ろしていく、という考え方がある。多分本当の児童演劇は逆です。

子どもにとって本当に面白いものは大人にとっても面白い。

はれぶたは、子ども達の世界を覗くことで世界はどのように出来ているかということを考える物語です。その最初のきっかけを与えてくれたのが村山籌子さんでした。そしてさらに矢玉さんの著書「心のきれはし」からの影響を受けながら、原作ではあまり登場しないたまちゃんが大きく脚色されていくことになります。それはまた次の機会に書きたいと思います。
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はれぶた2018年夏の上演はこちら。

子どもと舞台芸術 大博覧会 in Tokyo 2018(はれぶたは8月1日参加)

子どもえんげきさい in きしわだ(はれぶたは8月25日参加)

人形のまち北なごやパペットフェスタ(はれぶたは8月26日参加)

2018年冬には、人形劇団ひとみ座(川崎市)クリスマス公演に登場予定。

「もしも、あめのかわりに」詩 村山籌子 曲 庄子智一

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