子どもに伝えられることは何か2「森は生きている」における女王の存在を、類人猿学者山極寿一と探検家関野吉晴の言葉から考える

「森は生きている」の女王について、類人猿学者山極寿一と探検家関野吉晴の言葉を通して考えてみたい。

物語の終盤、女王がみなしごに対して頼みごとをする場面がある。私は、その場面が大好きで、稽古でも本番でも必ず見るようにしていた。そして何度見ても深い感動を受けるので、なぜここまで感動するのかということを考えるようになった。そして、ある時、「ああ、これは子どもに対して『人に頼りなさい』と教えているだけなのだ!」という最もシンプルな答えに行き着き、その答えがゴリラ研究者の山極寿一や、グレートジャーニーの探検家、関野吉晴の言葉と深いところで重なることに気がついた。作家マルシャークの人間に対する洞察力の鋭さ、深い人間愛にはため息が出る。そして私は、人間を人間たらしめている揺るぎないルールをまた一つ発見し、「大人が子どもに伝えられることはあるのだ」と知った。前回は、農耕以来数千年間培われてきたであろう価値観について触れたが、今回はもっと大昔の、文字はおろか言葉もなかった頃の価値観について考えることになりそうだ。しかし、それは大げさなことでもなんでもない。「森…」にはそれだけ大きな感動がある。

では、まず女王がみなしごに頼みごとをする場面を見てみよう。以下、劇団仲間「森…」の上演台本(2018年度版)から引用する。この記事を執筆するにあたっての私の考え方、「森…」のあらすじなどは、前回の記事をご覧いただきたい。

目次

女王が頼みごとをする場面

一月              さて、お客さん達、わしはそろそろ自分の仕事にかからねばなりません…ほら、月が高く昇った…あれがお前さん達の行く手を照らしてくれる。

老兵士          わしらも喜んでそうしたいんですがね、何しろこの毛むくじゃらの馬(犬に変えられた母子のこと)が、ソリを引くより吠える方が多いもんでね…そこで一つ、この白い馬でわしらを運んでいただけねえもんかと…

一月              持ち主に頼んでごらん。

老兵士          頼めとお命じになりますか、陛下?

女王              …要りません!

老兵士          陛下…

犬達              ワン!

女王  でもなんてあの子に頼んだらいいの? あたしは一度も人にものを頼んだことがないし…ひょっとするとあの子は言うかもしれないでしょう…いけないって…

一月  何故いけないと言うのかね? あの子のソリは広々として、みんなの席も十分にある。

女王  そんなことじゃないわ。

一月  じゃどんなことだね?

女王  だってあたしは、あの子をひどい目に合わせたし…それにあたしは、人に頼むことを教わらなかったんですもの…あたしは命令することだけ出来るの…だってあたしは…女王よ!

一月  ほう、そうか…わしは知らなかったよ。

二月  お前はその目でわしらを見たことがなかったし、わしらもお前を見たことがないからな。

十二月        それは誰だ? お前の先生かな?

女王  ええ、先生よ。

十二月        どうして君はこの子に、そんな簡単なことを教えなかったのかね…命令はできるが頼むことはできないなんて、そんなバカな話は聞いたことがない。

博士  …陛下は、陛下の御心にかなうことだけを学ばれました。

女王  でもそのことだったら今日一日で、三年あなたに習ったよりもっとたくさんのことを学んだわ。(みなしごに)ねえ、お前、あたし達をお前のソリに乗せてくれれば、王としてご褒美をあげるよ?

みなしご     有り難うございます陛下、あたしにはなんでもありますの。

女王  ほうらごらんなさい、いやだって…だからあたしは言ったでしょう!

二月  そりゃあきっとお前さんがちゃんと頼まないからさ。

女王  私はちゃんと言わなかったかしら…?

博士  いいえ陛下、文法の観点からは、全く正しく言われました。

老兵士        ちょっくらご免なすって陛下…私は学のない人間、兵隊で、文法のことはさっぱり分からねえのであります。でありますが、この度は陛下にお教えすることをお許しください。

女王  言ってごらん。

老兵士        貴女様は、あの子にもうどんな褒美も約束なさらなければよろしいので…約束はもう沢山であります。ただ簡単に「乗せて行っておくれ、どうぞ」とおっしゃればよろしいので…

女王  どうやら分かったような気がするわ…(みなしごに)あたし達を乗せて行って頂戴、どうぞ。あたし達すっかり凍えてしまったの。

みなしご     お乗せします。今すぐシューバも差し上げます、先生にも、兵隊さんにも。

女王  まあ有り難う! そのシューバの代わりにあたしはお前に…

博士  陛下! 貴女はまた…

女王  言いません! 言いません!

 

ここまでである。

この場面を喜劇にありがちなエピーローグにおける敵対者の改心などと捉えてはいけない。女王は、みなしごと並んでこの物語の主人公である。よってこの場面は、主人公の劇的葛藤が最高潮に達した瞬間なのである。まずは主人公が二人いる、という「森…」の特徴から考えてみよう。

女王も主人公

「森…」の登場人物表には、女王の説明に「十四、五才の少女、継むすめ(みなしご)と同じ年ごろ」と書かれている。※昭和28年発行岩波少年文庫版より

このことからも分かるように、みなしごと女王は、コインの裏表のように二人で相対することによって主人公としての機能を果たしている。みなしごは境遇こそ恵まれないが、成熟した人間として。女王は、国一番の地位でありながら、知識と経験の浅い人物として。女王の気まぐれが巡り巡ってみなしごを冬の森に放り出すことになったのがこの物語の発端であり、みなしごがマツユキ草を摘んできたことによって女王が森へ向かう、というのが展開部である。離れたところで響き合っていた二人の因果関係は、物語の進行に伴って少しずつ距離を縮め熱を持ち、やがて両者が出会うことによって爆発する。そしてその後の両者の静かな対峙が上記の場面である。この構造を「主人公が二人がいる」と捉えることもできるし、少し専門的な用語を使って、みなしごをプロタゴニスト(主人公)、女王をアンタゴニスト(敵対者)として捉え、アンタゴニストとして登場してきた女王を途中からプロタゴニストにポジションチェンジさせている、と捉えることもできるが、それは劇作家が気にしていれば良いことで、読者(観客)としては、やはり「二人が主人公」という単純な捉え方で問題ないだろう。

ここで大切なのは、もう一人の主人公である女王の劇的緊張が最も高まるのがこの場面であり、それが2時間50分にも渡る長編ドラマの最後のクライマックスを飾っているという事実である。それが「人にものを頼む」という、人であれば誰でもできそうな些細なこととして提示される。このすごさが分かるだろうか?
もう一度言うが、「森…」は壮大な物語だが、そのクライマックスは驚くほど静的であり、そこで示される最終試練は、肩透かしを食らってもおかしくないほど他愛もない事なのだ。しかし、だからこそ深いのである。

観客の了解

まず注目すべきは、そんな当たり前のことを物語のクライマックスで語りながら、客席の誰もそのことを鼻で笑ったりはしないことである。それどころか、固唾をのんで見守っている。その証拠にみなしごに自分の願いを受け入れてもらった女王が、つい今までの癖で褒美を取らせようとして博士から注意を受け、「言いません言いません!」と言葉を引っ込める場面では、毎回客席から笑いが起こる。これはそれまでの緊張が緩和されたことによる笑いであり、それはつまり、観客が女王とともに緊張していたことを意味する。マルシャークの用意した静的なクライマックスを観客は、はっきりと了解しているのである。これは一体どういうことか… それは、一見他愛もないように見える答えの中に、我々が人間の普遍性を再発見したことに他ならない。それも幼児から大人までがいっぺんに再発見したのである。何を? 「人間は人にものを頼む生き物だ」ということをである。そしてこの事を類人猿の研究から科学的に言及しているのが山極寿一であり、アマゾン奥地で狩猟採集生活を送る人々との出会いから体感を持って伝えているのが関野吉晴だ。というわけで、ここで一度話を21世紀の大学教授たちの知見に移し、物語の世界の外側から「森…」を見つめ直してみたい。

人は弱いからこそ生き残った

2018年に東海教育研究所から出版された山極寿一と関野吉晴の対論「人類は何を失いつつあるのか」には、人間を知るための人類の進化の過程が簡潔に述べられている。人間がサルから分かれ、二足歩行を始めたのは広く知られた事だが、手が自由になったことでヒトにどのような変化が起こったかということについては我々の中で共通認識が薄い。児童演劇の世界では、今ベイビーシアターというジャンルが最も熱を帯びているが、2018年に開かれたあるシンポジウムの中で「二足歩行を始めたことで人類は空いた両手で何をしたか、武器を取ったのか、赤ちゃんを抱いたのか」という問いかけがなされた。これに各アーティストが自分の活動を元に意見を述べたが、この問いは、山極・関野からすると疑問の余地もないほどはっきりとした答えがすでに出ていることなのである。

人類は、二足歩行によって空いた手によって、食べ物を子どものために運んだ。もちろん赤ちゃんも抱いたが、人間の特徴は母親が赤ちゃんを体から離して置いておく、ということである。だから人間の赤ちゃんはサルやチンパンジーやゴリラの赤ちゃんと違って泣く。これは、人類が樹上生活をやめ生活の場をサバンナに移したことによるためで、危険なサバンナで種を保存するためにはヒトは多産にならなければならなかった。類人猿の中で年子が産めるのは人間だけである。赤ん坊の数が増えるということは、母親が一人の赤ん坊を抱き続けられないことを意味する。母親から離された赤ん坊は命の危険を訴えるために泣くのである。そして、母親は抱っこできない代わりに「大丈夫だよ。ここにいるよ」といって歌を歌う。これが子守唄であり、人間の歌の始まりであるというのが山極の説だ。そして、歌は母親だけでなく、父親も歌った。周りにいる大人たちも歌った。こうして共同保育を始めた事がヒトを生き延びさせ、その過程で他の種とは違う複雑なコミュニケーションや共同体(家族)を形成していくきっかけとなったのだそうだ。サルは食べ物を分配しない。チンパンジーやゴリラは分配はするが、その場にいないもののために持ち帰ったりはしない。「食物の共有」と「共同保育」こそ、人間の最も根源的な特徴で、それは東アフリカのラエトリ(タンザニア)に残された家族と思われる人間の足跡から推測するに、少なくとも360万年以上昔から行われてきたことらしい。関野は、人類拡散の足跡(グレートジャーニー)を終点の南アメリカから、ラエトリに向かって10年かけて旅をする事で、家族の起源・人間の特性について山極と近い答えを導き出している。

話を戻して、「人類は空いた両手で何をしたか?」という問いの答えを考えてみよう。人間が武器を取って争うようになったのは、農耕を前提とする土地所有の問題以降の話だからせいぜいここ一万年くらいの話である。(一部後期狩猟採集生活の中にあったという説もあるがそれでも大きくは変わらないだろう)

360万年と1万年。「空いた両手で何を持したか」という問いは、このように比べるまでもない比較であった事が分かる。

そしてヒトは、「食物の共有」と「共同保育」を実現する事で「共感力」を育んでいった。山極や関野に言わせれば、人類の歴史で一見輝かしい功績とされる「言葉の使用」「文字の発明」「火の利用」「大航海時代の航海」「月への到達」などは、すべて「食物の共有」と「共同保育」を出発点としており、この二つこそが本当の意味での「人類の最も大きな業績」なのだそうだ。そして、そのことが必要にかられて生じたものだということに注目して考えてみると、人間の本来の姿について新たな発見をもたらしてくれる。

進化は弱いものの生き残る知恵

種の争いは、食料・生活空間(ニッチ)の確保の争いである。恐竜がいる時代では、弱い初期哺乳類は夜行性にならざるを得なかった。昼間活動できるように進化したのは、恐竜がいなくなったからである。そして初期人類は、700万年前にチンパンジーと分かれた。樹上生活を捨て地上に降り、草原を目指した。このことを、これまでの「人類は万物の霊長」という捉え方で見ると、まだ見ぬ新天地を求めてフロンティア精神で向かっていったように思えるが、おそらくジャングルの生活空間から出て行くより他ならない事情があったのだろう。草原はジャングルに比べて肉食獣から身を守る術が少ない。初期人類はそうした命の危険に対して、多産を実現して絶滅の危険を回避し、二足歩行をはじめ、「食物の共有」と「共同保育」を獲得するに至った。人間は、弱いがゆえに発展したのである。ここで、私の大好きな関野の言葉を引用したい。

 

私は、もともと人間はとてもひ弱だったと思うんです。だから身体を大きく見せなければ生きていられなかった。他の類人猿と比べても、チンパンジーの握力は300キロで、ゴリラが500キロ。人間なら相撲取りでも100キロぐらい。握力世界一の記録でも200キロ弱なんです。プロレスラーも相撲取りも、ゴリラやチンパンジーには敵わない。

人間は二本足で立つことで機敏性や俊敏性を犠牲にしました。鋭い牙も爪もない。走るのも遅い。動物としての個の能力はとても弱いわけで、そんな人間が、どうして生き残れたのか、正直わからない。

しかし二本足で立つことで身体を大きく見せ、家族を作り、集団で生活することで外敵を防御する力を高めてきた。それが、今われわれがここにいる大きな要因なのではないかと思います。

人間は長い間、言葉なしでも生きてきた。火がなくてもなんとかなる。新大陸の先住民から見れば、大航海時代なんてなかった方が良かった。月に行ったかいかないかも、今は大した問題とは言えない。

人類が二本足で立ったこと、そしてそれが家族や集団を守り、あるいは作り上げてきたこと。私はそこが人類史のエポックメーキングだったと思うんです。

―「人類は何を失いつつあるか」第二章〜類人猿から人類へ〜よりー

助け合うことは、人間の美徳でもなんでもない。人間の前提なのである。

マルシャークが女王に込めた思い

「森…」において、マルシャークが「人に頼みごとをする」ということを主人公の最大の課題に持ってきたことは、大変興味深い。女王は、この劇の中で様々なことを自ら学んできた。それは、運動すれば汗をかくということであり、マツユキ草を自分自身で摘む喜びであり、冬の森の中の寒さと帰るあてがない心細さに身を震わせるということだった。これらはすべて女王は自らの体験を通して学んだのである。原作の中にはこんなセリフがある。

 

女王              わたくしはもう四月がきて欲しいの。わたくしはマツユキ草が大好き。わたくし、マツユキ草をほんとに見たことは、一度もないのよ。

 

女王は、博士という知識においてはその国最高峰の家庭教師から教育を受けている。しかし、黒板で行われる机上の授業は彼女を満足させない。女王は自分自身の体を使って学びたいのである。マルシャークは、子どもなら誰しもが持っている体験への欲求を女王に当てはめて縦横無尽に立ち振舞わせた。「森…」はスラブの民話を下地にしているが、女王はじめ宮廷のエピソードは、マルシャークの創作であるという。(北畑静子 日本児童文学 1979年日本児童文学者協会出版より)

このことからも分かるように、女王の抱える一連のドラマの中にマルシャークの万感の思いが込められている。そして、その女王に対して老兵士という人物の口から語られる唯一の教えが「人に頼りなさい」ということなのである。こんなに深い物語があるだろうか。この場面がもたらす感動・安らぎ・背筋の伸びるような感覚の正体は、人間の存在そのものに起因していたのだ。

「森…」の新たな意味

そのことに気が付いた時に、私は、自分が老兵士と同じように子ども達に対してこの大切な一言を、実感を込めて届けることができるだろうかと自問した。そして答えられなかった。今の社会が、いかに人に迷惑をかけないで生きていくかということを念頭に置いた社会だからである。昔なら家族・親戚・友人・ご近所という共同体の中で当たり前に行われてきたことが、今では業者の仕事となり、サービスには金銭が、約束には契約が伴うようになってきている。そこには失敗に対しての過剰なアレルギー反応があり、大人達は、自分が責任を取らないで済むための予防策を至る所に張り巡らせることに必死になっている。人は人に頼ることで命を繋いできたのかもしれないが、今の世の中ではそれは反対に命取りになり兼ねないことなのだ。

どうして我々は、そんなおかしな社会を作ってしまったのか。

そういうことを改めて考えるためにも「森…」は今なお新たな意味を持つ。

問題は、大人がしっかりと大人でいられているか、ということであり、子ども達の問題ではない。最後にこう締めくくると、「大人がしっかりしよう!」という精神論に陥りやすいが、私はそれも世の中を窮屈にさせてしまっている原因であるとも思っているので、無理に張り切るのはやめておく。
女王が森に出ることでひとつひとつのことを直に学んだように、私も、自分の体験を通して学んでいくしかないのだ。では自分はまず何をするかということだが…まだよく分からない。児童演劇の超大作は、出す宿題もまた途方もなく大きいのである。

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