生(なま)の魅力・音編 ー日本屈指のライブバンド、バンバンバザールが教えてくれた事ー

舞台芸術はパフォーマーと観衆が「時」と「場」と「体」を共有する事で成立します。ひと言で言ってしまえばいわゆる「生」なのですが、その生(なま)の魅力とは具体的には何の事を指すのか。今回は「音」に注目して考えてみます。

なぜこんなことを突然書き出したかというと、先日こういうイベントに参加したからです。

いろりばた会議

いろりを囲むように少人数でのんびりと、音楽や地域や文化に携わる様々なゲストをお呼びして、語り合う会「X-jamのいろりばた会議」 ゲスト 福島康之(バンバンバザール)

もともとボクはバンバンバザール(通称バンバン)のファンです。お話を伺っている内に10年前バンバンのライブで受けたある感動について記憶がみるみる蘇ってきました。それは、自分にとって演劇の本質ともいえる「生(なま)であることの意味」を考える最初のきっかけになった出来事でした。今日はその時の事を振り返ります。

バンバンのこと

バンバンバザールは日本屈指のライブバンドです。1990年結成。戦前のジャズソングからポップスまでオリジナル・カバーを織り交ぜながらとにかく楽しいライブを演出することで有名です。

バンバンバザールの公式サイト

 

その頃のボク

その頃のボクは、人形劇団ひとみ座に入って三年目。オペレーター(音響操作)として現場につき、全国の小学校を年100~150ステージ位トラックで巡回するという、半分旅暮らしみたいな生活をしていました。仕事は楽しくやりがいを感じていましたが、「生(なま)である事の意味」については、正直よく分かっていませんでした。

東京メトロ銀座駅でのライブ

忘れられないバンバンのライブは2007年、東京メトロ銀座駅構内の「銀座オアシス」で行われました。こんな場所です。

このステンドグラス(?)の前に椅子が並べられて即席のライブ会場が作られました。椅子席が30~40後はスタンディングで100人くらいが聴いていたでしょうか。

場所が場所なので、柱の外側では絶えず人が行き来しています。音楽を楽しむには劣悪な環境でしょう。しかしバンバンのリーダー福島康之さんは意に介しません。いつもと違う状況を楽しむように普段はやらないような曲をどんどん入れて会場を盛り上げます。そして最後にこんなことを言い出しました。

こういう人の行きかう場所は実は音がよく通るんです。ですから最後の曲はマイクOFFで完全アコースティックでやらせてください。

あろうことかマイクのスイッチを切ってしまったんです。ギター一本での弾き語り。曲は坂本九の『見上げてごらん夜の星を』。ここは銀座駅のど真ん中です。ただでさえ雑踏に音がかき消されるような場所で、肝心かなめのマイクはオフ。福島さんは、マイクを使わないからといって殊更声を張り上げるつもりもないようです。むしろ歌詞を噛みしめるように小さい声で歌いはじめました。するとどうでしょう。小さい声でもはっきりと耳に届くのです。届くどころか歌詞がダイレクトに体の中に入って来ます。

小さな星の 小さな光が
ささやかな しあわせをうたってる

どちらかというと20代前半だったボクにとって、この歌詞は恥ずかしい部類に属します。ただこの時の印象は全く違いました。

銀座駅の雑踏の中でボクは今、知らない人達と一緒になって耳を澄ましています。バンバンはそれを感じ取った上で必要最小限の音を紡ぎ出します。少し離れた所を足早に行きかう人々の足音。エスカレータの音。雑音のはずのそれらの音も今は通奏低音のように優しく響くのです。ここにあるすべての音が一期一会の儚さを持ってきらめいているようで、そのきらめきが歌の中の星のまたたきと重なり合い、空からも陸からもお互いの存在を認め合う。そんな奇跡のような雰囲気が会場に広がりました。まさに生でしかできない演奏が成立したのです。

逆転の発想

これは音響オペレーターをしていたボクとしては目から鱗が落ちる体験でした。ボクはそれまで音響操作とは音量・音質などの「出力」を決定する仕事だと思っていたんです。しかしバンバンはマイクを切る事で聴衆の耳の感度を上げました。出力ではなく、「入力信号」の方を操作したのです。人間の耳とは不思議なものですね。「聴こう」という気になっていたら、小さい音も豊かに聞こえてくる。みんなで耳を澄ませたことが何とも言えない優しさを生み出す。

とにかく観客を観る

それからというもの、ボクのオペレート席の場所が変わりました。まず、客席にどんどん近づいていきました。そして、子ども達の顔を観られるように、隠し幕を少しずつずらしていきました。ボクが次に出す音の音量は、ボクが勝手に決めていいものではなく、子どもたちのその瞬間の耳の状態によって決定されなければならないからです。その判断をするために目線も変わりました。舞台ではなく客席を見るようになったのです。もちろん、役者の芝居も観ていますよ。でも、その芝居に対して子どもたちがどういうリアクションをするのか、もう食い入るように観るようになりました。そしてそれを受けて自分の出す音の量・タイミングを決定する。音を出すと今度は子どもたちの状態が変わる。役者の芝居も変わる。それを受けてまたボクも変化をしてさらに次の音を出していく…
変化の有機的な連続性が「舞台は生ものである」ことの正体なんだ。その事に敏感でいるためには、自分自身のプランにとらわれてはいけない。プランを捨てる勇気。相手をよく見ること。観客を感じること。

感動とは

僕は先ほど、

「聴こう」という気になっていたら、小さい音も豊かに聞こえてくる。みんなで耳を澄ませたことが優しさを生み出す。

と書きました。これは、「時」と「場」と「体」を共有していないと出来ない事です。そしてこの三つを共有することができるのは舞台芸術のみです。その共有の中で感覚(聴覚)が研ぎ澄まされ、発想が飛躍した時の事を「感動」というのではないだろうか、と思うようになりました。その時の体と心は密接に関係しているようです。いや、むしろ心は体の先にある?

真っ暗闇でのコンサート

というような話を断片的にいろりばた会議でお話したところ、福島さんやX-jamのピアニストシモシュさんが、マイクを使わない時の聞き手と演奏者の繋がりの深さについてお話してくれました。そして福島さんがつながりの深さということで思い出されたのか、木下航志さんという全盲のミュージシャンのお話をされました。木下さんは年に一度「自分の生きている世界と同じ世界で音楽を聴いて欲しい」と、東京の根津教会という場所で、会場を真っ暗闇にしてライブを開いているとのこと。福島さんは、そこで音楽を聴いて「本当に木下くんの魂がそこにあるようだった。」と感じられたそうです。みんなが「面白そう!」と反応すると、福島さんは「じゃあ今からやってみよっか。」と。なんと! 会場を真っ暗にして歌を披露してくれたのです。普段のいろりばた会議は「ミュージシャンも歌なしでおしゃべり」というのがルールらしいのですが、そこはミュージシャン同士のノリの軽やかさで特別扱い。いろりばた会議の会場は、X-jamの録音スタジオ。二十畳ほどの部屋の半分はグランドピアノが占拠していますから、15人程の参加者たちは、残り半分のスペースでちゃぶ台を囲んで輪になって座っています。そんな距離でも電気を消すとお互いの顔が見えない。そんな中福島さんがシンプルなコード進行で歌い始めると、どこからともなくシモシュさんのピアノが入って来る。この世の中に二つとない音楽が今この暗闇の中で紡ぎ出されたのです。こんなに贅沢な時間はありません。では、贅沢とは一体何のことを指すのでしょう? ここには電気もなく、ただ二人のミュージシャンの奏でる音楽とそれを聞く僕たちの息づかいがあるだけです。ボクはこの場合「贅沢」という言葉は耳が使ったと思うんです。

俺をこんなに使うなんて贅沢したな

って。それは何も耳だけに限りません。体が生まれ持った本来の力を発揮した時、人は本当の満足感を持つのではないか。そしてそれは一人じゃなく、みんなと一緒の方が生まれやすい。銀座駅に居合わせた100余名。いろりばた会議に集まった15人。その人たちの体の連帯が、何か儚いものを共有した瞬間に奇跡のような事が起こる。その奇跡こそが生(なま)の本当の魅力ではないでしょうか。

さあ皆さん、ライブに行きましょう。

※木下航志さんの根津教会での暗闇ライブは、12月9日(土曜日)に開かれるそうですよ。ご興味ある方はこちらへ→https://blogs.yahoo.co.jp/kisitakohshi_blog

お知らせ

児演協(日本児童・青少年演劇劇団協同組合)のしばいの大学も後期に差し掛かり、ボクの担当する「戯曲研究講座」がまもなく始まります。名作研究ではなく、プロの舞台人のための実践的な授業を心がけます。ぜひいらしてください!
全4回
11/20 月…18:30〜21:30
12/11 月…18:30〜21:30
12/15 金…18:30〜21:30 
1/10 水…18:30〜21:30
芸能花伝舎(西新宿)にて
授業料は1回¥2000。
お申し込みは児演協まで。
℡03 5909 3064‬
 info@jienkyo.or.jp(件名に「しばいの大学戯曲研究講座申し込み」と入れてください)

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