※この記事は、
Podcast「アマノジャクな劇作家の『げき×子ども』の発見ラジオ」
第2回の内容を書き起こし・再構成したものです。
音声ではなく、文章として読んでみたい方へ向けて公開します。
目次
「寝ちゃダメ、寝ちゃダメ〜」
劇の途中、客席からそんな小さな声が聞こえてきました。
上演していたのは、矢玉四郎さん原作・人形劇団ひとみ座の『はれときどきぶた』。
主人公の男の子が、「明日の日記」を書き終えて眠りにつこうとする場面です。劇はここから非日常の場面に入ります。
きっと、その子なりに嫌な予感がしたのでしょう。
だから精一杯止めようとした。
その言葉に客席から笑いが起こりました。
でも、その笑いは劇を邪魔するものではありませんでした。
むしろ、笑ってみんなの呼吸が揃うことで客席に一体感が生まれました。
そして、舞台上で起こる次の出来事にさらなる緊張感を生んでくれたのです。
禁止されているはずの「おしゃべり」が、劇を盛り上げた。
そんな瞬間でした。
子どものおしゃべりに、親はヒヤッとする
劇を観ていると、子どもがおしゃべりを始めることがあります。
感じたことを、隣の大人や友だちと共有しようとするおしゃべり。
あるいは、登場人物への掛け声。
劇場では「おしゃべりしません」という観劇マナーがありますから、
親としてヒヤッとした経験をお持ちの方もいらっしゃると思います。
でも、作り手の立場からすると、劇中のおしゃべりは決して邪魔なものではありません。
むしろ、どんな一言が飛んでくるのか、こちらとしては楽しみにしているところがあります。
それなのに、おしゃべりはマナー違反ということになっています。
どうしてそんな勿体無いルールがあるんだろう……。
ボクはいつしかそんな疑問を持つようになりました。
おしゃべりを練習する大人たち
そんな時、ボクは劇を盛り上げるために大声を張り上げる大人たちに出会いました。
歌舞伎の「大向こう」の方々です。
「たっぷりと!」や「なっかむら屋!」と声をかける方達ですね。
面白いのは、大向こうの方達は、あの掛け声を練習されているそうですね。
タイミング、トーン、間。それらを練習して声をかけているそうです。
『お祭り』という演目では、
「待ってました!」という掛け声に対して、
演者が「待っていたとはありがてえ」と返す返すセリフまで用意されています。
ここから分かるのは、江戸時代まではおしゃべりが禁止されていなかった、ということですね。
では、一体いつからおしゃべりが禁止されてしまったのでしょうか。
「おしゃべり禁止」の歴史
それは明治時代だそうですね。
おしゃべり禁止も、飲食禁止も、静かに座って観ましょうというルールも、
西洋から輸入された比較的新しいルールのようなのです。
それ以降観客は「劇を一緒に作る存在」から
「静かに見守る存在」へと変わっていきました。
でも子どもは違います。
子どもは劇を観ていたら自然とおしゃべりを始めてしまいます。
最初に話した子は、歌舞伎の大向こうの方々のように掛け声の練習をしていたわけではないんです。
でも完璧な間、トーン、そして瞬時に言葉を選んで掛け声をかけてくれました。
あの子だけではありません。子ども達の掛け声は不思議なことに誰だって、いつだって完璧なんです。
だから自然と受け入れられる。
どうしてそんなことができるのでしょうか。
ボクはそんなことを考えるようになりました。
子どもは劇を体で見ている
それはおそらく、自然体だからでしょうね。
声をかける方が自然で作為性がないから聞く方も自然に聞くことができる。
だから劇の邪魔にならない。
こういった劇における演者と観客の相互作用というものは、我々の遺伝子の中に組み込まれているのではないでしょうか。
劇の歴史は古く、文字の記録を辿れば数千年、遺跡を辿れば数万年さかのぼることができます。
最近の人類史の研究から考えますと、
人類が劇を始めた、と考えるよりも、
劇(歌や踊りや物語)を通して育まれた共感力が人類を作った、と考えた方が正確かもしれません。
子どもの体にはこの劇の遺伝子が残っているのだと思います。だから体が動くし掛け声がうまい。
子ども達はまるでこんな事を言っているようです。
劇をただ黙って観るなんて、もったいない!
ボクも(私も)一緒に作りたい!
それが「寝ちゃダメ寝ちゃダメ〜」だったのだと思うのです。
大人は「板挟み」になろう
ですから、劇を観ていて子どもがおしゃべりを始めた時、付き添いの方には、「行儀の悪い子」と決めつけたり、「シーッ」と押さえつける前にまず、「お、体が反応してるな〜」と一旦受け止めてあげてほしいなと思います。
もちろん、劇場によってはルールが厳しい場所もあります。
もしかしたら叱られてしまうかもしれません。
その時が大人の役目です。
その子の素直な反応と、その場のルールの間に立ってしっかり板挟みになってあげる。
「シー」と押さえつける前のワンクッション。
実は、劇を作ってる我々としては、子どものおしゃべりより、
大人の「シー」の方が気になることが多いんですけどね。
それはおそらくその行為に不自然な何かがあるからでしょう。
劇を観ている「子どもの姿」を楽しむ
ボク自身は作り手として、
子どもの素直な反応を思う存分発揮してもらえるような劇づくりを心がけていますし、観劇マナーそのものを捉え直す活動も、始めています。
ですが、それは時間をかけて皆さんとの了解を取り合いながら進めていくことだと思っています。
先ほど明治から続くルールを「新しいルール」と言ってのけてしまいましたが、それは人類史という広い視野に立って考えてみたから新しいだけであって、実際は、100年以上かけてゆっくり浸透したルールですから、いっぺんに変えるのではなく、本当に大切なことをみんなで見直していくことが大切だと考えています。
ですからまずは、
「劇を観ている子どもたちの自然な反応」を楽しめる大人が、
一人でも増えてくれたらいいなあ、と思っています。
劇を観ている時の子ども達は本当に面白くて可愛いいですからね。
「忘れられない子どもの一言」があったら、ぜひコメント欄で教えてください。
この記事は、Podcast「アマノジャクな劇作家の『げき×子ども』の発見ラジオ」Ep2の内容を書き起こし・再構成したものです。音声で楽しみたい方は、こちらをどうぞ。(毎週金曜朝7時配信)
※本記事はnoteにも掲載しています
