いきなりインタビュー:クラウンYAMAさん②帰国後のスタイル迷走期から、セリフ劇への挑戦、今のYAMAさんまで(3点理論解説付)

子どもは何を求めているか

YAMA ジャグリング用のクラブっていう道具は、すごいけどみんな持ってないじゃないですか。だったら傘とかを面白おかしく使った方が、子どもが後で試せる。それでやってみて面白いとか、難しいとかあると思いますけど、誰でも試せることで面白いことを見つけることがクラウンに必要だとボクは思ってるんです。だからマジックのイリュージョンってあんまり好きじゃないのは、道具じゃん!って思うんですよね。

西上 分かる! シルク・ドゥ・ソレイユの『キュリオス』を姪っ子たちと観に行ったんですけど、

YAMA どうでした?

西上 すんげえつまんない。

YAMA ボクも面白くなかった。雰囲気的にはちょっと昔のシルクに戻ったんですけど、

西上 雰囲気はいい感じで始まるんですよ。でも一番顕著に現れたのは姪っ子(当時小1)の反応。休憩に入ったら「もう帰りたい」って。

YAMA 子どもが楽しめないですよね。

西上 そう。楽しめない。

YAMA それはなんでだと思います?

西上 ボクが明確だと思ったのは、ジャグリングで何個やってたかなあ。相当な数のジャグリングをやってたんですよ。今世界レベルって何個くらいなんですか?

YAMA さあ……

西上 7個とか8個?

YAMA いや、11個くらいだと思いますよ。

西上 とにかく、あの団体に所属してるわけですからすごいレベルのことをやってるわけですよね。でもボクはその時に「ああ、子どものこと分かってないんだなあ」と思って。というのは、ボクの姪っ子からしたら、9個でも10個でも11個でも全部同じなんですよ。まずは姪っ子にさせないと。例えば開場中に姪っ子がお手玉とかを出来る時間を作って一緒に遊ぶんです。その時お手玉を教える人は、姪っ子にとって友達になれるような人。「この人好き!」「この人がやってること私もやってみたい!」これが大事。それでちょっと仲良くなった。開演時間がきて一回バイバイする。「またあとでね〜」って。そしたらその人がパフォーマンスの中で今度はちゃんとしたジャグラーとして出てくる。「あの人だ!」。そしたらその人が姪っ子がさっき挑戦していた2個、3個、そこから4、5、6、7と増やしていって、それで初めて姪っ子は、「うわ~!」っていう体験になるはずなんです。でもそういうことを抜きにしてやるから。

YAMA 凄さが分からないですよね。

西上 分かんない。姪っ子からしたら人ごとなんですよね。

YAMA これは劇団に近いと思うんですけど、シルク・ドゥ・ソレイユも20年30年ってなるとやっぱり違うことをやろうとするんです。最初は動物が出てこないニューウェーブサーカスって言われて、確かに面白くて、何年かまではサーカスだったんですよね。でもそのうち、演劇の演出家を入れるんですよ。そしたら急にお芝居っぽくなって、そりゃあその人たちからしたら新しいけど、サーカス好きのボクから見たら、サーカスじゃないじゃんって思って。いろんな演出家を入れて毎回趣向を凝らして変えるけど、ボクから見たらサーカスから離れていったなっていう思いがあって、やっぱり変化をしていかなきゃいけないっていうのがあるんだと思います。劇団でも劇団の色があったとして、新しいものやろうとすると元々の人って「〇〇っぽくないね」ってなるじゃないですか。そこがすごく難しいところだと思う。ボクがありがたかったのは、初めておやこ劇場で企画会議に行く時に、7分間話すじゃないですか。で、太田さんに「何を話したらいいですか?」って相談したら「お芝居じゃないから、YAMAを好きになってもらわないとダメだよ」って言われたんです。お話がいい話とか好きとかじゃなくてクラウンYAMAが好かれないといけないって言われてから、「そうだな。ボク自身が好きになってもらわないとな」って思ったのがベースかなと思うんですよね。そうなってからは楽になりましたよね。ボクも毎回作品って変えないといけないと思ってたんです。営業でも同じ児童館とか幼稚園に呼ばれたら内容を変えなきゃって。

西上 分かる~

YAMA でもボクはお芝居じゃないからそんなに変わらないじゃないですか。でもボクが来たからみんなが喜んでくれたらいいなあって。自分が好かれればいいんだってなったら、怖がらなくなったし、7年連続で呼んでくれたところの園長先生にそのことを話したことがあるんですよ。「来年はボクじゃなくてもいいですよ~ もうあんまりやることが変えられない。実は苦しいんだ」って。そしたら先生が、「子どもたちの方が1年ずつ成長するから、同じ内容でもいいんです」って言われたんです。それですごく楽になりました。

YAMAさんが好かれるワケ

西上 YAMAさんは、パフォーマーとしてとっても好かれていると思います。これはボクの主観が多分に入っていますが、YAMAさんは他のアクター・パフォーマーより「多く」好かれている。なんで好かれたと思いますか?

YAMA え?……ボクが、自分で考えるとしたら……裏表はまずないと思うんですよ。あと、この人とこの人に違うことを言ってるってこともない。ボクは自分を知ってもらうために自分のことを全部喋っているってことはあると思うんですよね。

西上 それは人間としてのYAMAさんの魅力ですよね。でも観客の多く、特に子どもたちはパフォーマンス中のYAMAさんにしか出会ってないんです。その人たちがYAMAさんを好きなんですよ。ということはパフォーマンス中のYAMAさんが好かれてる。なんで好かれたんでしょう?

YAMA 何かなあ…‥。でも共感ってボクは大きいと思いますけどね。「観せてる」ではなく、「一緒に」っていうのが大きいと思うんですよね。

西上 ボクもそう思います。さっきそのことについてもっと具体的な話が出ました。枝分かれするまでの時間は観ている人の時間、ということですが、この時間が他のパフォーマーに比べてYAMAさんの場合、長かったんじゃないか。それはつまり、観ていて考える時間、想像する時間をYAMAさんはしっかりこちらに渡してくれた。そうするとこっちは、その間ワクワクしていられる。脳も超動いてる。だからあの人といると私はワクワク出来る。ワクワクした自分になれる。これがパフォーマー、クラウンYAMAさんの具体的な魅力の一つなんじゃないか。それはキュリオスがボクの姪っ子には渡してくれなかった時間。だから姪っ子は「つまんない」「帰りたい」「私はここにいてもいなくても同じ」。まあ、彼女はそこまでは言わないですけど。

YAMA でもそういうことですよね。テレビと同じですもんね。

西上 YAMAさんはそれをちゃんと渡してくれる。渡してくれた上にこっちの反応に答えてくれる。だから一緒に作って行くことができる。これが、YAMAさん旋風の秘密だったんじゃないか。

YAMA おもしろい。今自分が作品を作っても、新しいもの作るとパフォーマンスに一生懸命だからそっち(観客の方)にいけないんですよ。だから新作ってすごく難しい。すでにある作品はやってて子どもが「あっ」ってなるとこっちも「ほっ」ってなって、「ここが面白い?」ってまた戻れるじゃないですか。新作だとこれができないからすごい難しい。

求められる即興力

西上 新作を作るのってすごく大変ですよね。でもさっき幼稚園の先生が言ったように、「観る側が変わっていくから大丈夫だよ」っていうのがありますよね。じゃあ、やる場所も変わるから、YAMAさんのように「そこにいられる人」なら、場所に反応する要素をいっぱい作っておけば、いくらでも新作は出来るんじゃないですか。

YAMA ショッピングセンターに行った時に、クラウンの格好をしてるのにトイレの場所とか聞いて来る人がいるんです。オレは従業員か!ってなって最初は「なんでだよ!」思ってたけど、今はショッピングセンターとか行くとまず地図をもらってトイレの位置とか把握するところから始めるんです。ショッピングセンターの住人になって聞かれても「あそこだよ~」とか。おやこ劇場に呼んでもらって地域センターとかでやる時には、まず窓の位置とかを確認します。全部使ってやろうと思って。今まではパフォーマンスの中で「いえ~い!」だけだったのが、カーテン開けて「いえ~い!」。全部この空間を使ってやろうって思うようになりましたよね。

西上 オリジナリティーってなんなんだろうって考えるんです。今まで多くの人は、舞台の上にオリジナリティーを作ろうとしてきたけど、これからは観客や場所まで含めて考えなきゃって。それはすでにYAMAさんがやられていることなんですが、そこまで広げて考えられるようになったら、舞台芸術の可能性は無限に広がっていくなって。

YAMA 『雪の日』は新作だけど人前でまだやったことがないんですが、作る時にお客さんとのやりとりをたくさん入れたいと思うんですよね。一応こっちで物語は作るけど、例えば「志村後ろ〜」っていうのが好きだから帽子を落としたら子どもは言うじゃないですか。でもあえて違うことをする。ただ、これって練習でできないんですよね。言ってくれる人がいないから。だからそのためには即興力をつけるっていうことで今ワークショップがすっごい必要だと思うんです。だって本番でしかそれできないことじゃないですか。

西上 そっかあ。

YAMA だって声かからないこともあるから、ここで帽子を落として声がかかる想定で動くのに、「静かに観なさい」って言われてるところだったりすると、何にも言われない。じゃあ自分で気づいてっていうこともあるから。だからちゃんと作っておく必要もあるんですよね。声が掛からなくても進めるってきっちりしたものがあって、それで「戻れる」ってしておかないと、全部戸惑いが出るんですよ。「あれ? ここで声がかかるはずなんだが……」って。で、そういうのが出ちゃうんだったら逆に「出せ」って思うんですよね。最近のワークショップで言ってることは、ミスをして隠そうと思っても伝わる。本人は誤魔化したつもりでも全部伝わっちゃう。だったらお客さんにうっすら伝わっちゃう前に「全部出せ」って。「どうしよう」じゃなくて「ミスっちゃった」ってやりなさいって。まず「動け」って言うんですけどね。

西上 今YAMAさんが言ってることってボク、すごくよく分かります。でもいざやってみるとボクの場合すぐ固まってしまうと思うんです。頭では分かってるのに実際にやると固まってしまう。YAMAさんはボクみたいに固まる人をいっぱい目撃してきたと思うんですけど、固まる人の特徴ってあるんですか?

YAMA まずは慣れはすごくあると思います。ボクは即興をやってきたから慣れがあるけど、初めてのお題ってやっぱり動けなかったりするじゃないですか。でも、映像を思い浮かべて動こうとする人は思い浮かべてる間は動けないっていうのはありますね。
例えば「寒い」だったら、演劇的な人は寒い状況を考えるじゃないですか。ここは雪山だ、なんとかだ、考えてやってそこから「寒い」になるんですけど、ボクは最初から「寒い!」(身を縮める動き)。まず、この形を行けと。そっから寒いっていう気持ちを作る。ボクは逆の行き方をしますね。これが慣れてないとやっぱり体は先行しないから、お題をもらった時に「え? どういうこと?」ってなっちゃう。人は元々考えちゃうんだと思うんですよね。

まず動こう!

西上 これって、体と頭どっちが偉い?ってことだと思うんです。YAMAさんは体の方が偉いって言ってるのではないか。だから体が動けば頭はついて来る。で演劇畑の人、特に新劇の系譜にいる人はまず役作りを頭で作る。それを体にやらせる。この二つの登り口があって、でもボクは今、体の方が偉いなって思ってます。最近どんどんそう思うようになってます。そして、子どもたちを見てると完全に体の方にいます。ということは、頭の方が偉くなったのは人類史の中で見るとここ最近の話なんじゃないか、そしてそれは不自然なことなんじゃないか。

YAMA 演劇でいうとシェイクスピアとかって頭を使う演劇になりましたよね。

西上 でも、シェイクスピアまではセット転換も何もないじゃないですか。そして観客の方を向いて喋ってたはずなんですよね。なので言葉はいろんなことを言ってるけど、今よりもっと観客にちゃんと渡してたし……シェイクスピアの作品も本当はもっと簡単に考えていい気がするんです。俳優が何を言ってるかより、どういう音で言ってるか、セリフのうねりに身を任せていればなんとなく自分で見えて来るみたいな。言葉が今よりも身体感覚を持っていた気がするんですよね。ボクは産業革命以降の社会に求められた人間の新たな指針としてのヒューマニズムも、それに支えられた演劇のリアリズムもどんどん頭でっかちになっていったと思うんです。でもそれは本来人間にとって不自然なことだらけで、「ストレス」という新しい症状もその中で出てきた。
子どもたちは本来、体を先行させて生きてるのに、大人がどんどん頭を先行させる社会を作っちゃったから子ども達が苦しんでいる、というのが今なんじゃないか。だからボクは児童演劇の活動の中でよく「子どものために」と言いますが、それは実は、自分のためでもあるんです。子どもたちにとって自然なことを追求していけば、それはそのまま全部自分のハッピーにつながってくる。最近その思いが日に日に強くなっているんですが、そんな時に「あ!」と気づきました。「YAMAさんはこれをやってるんだ!」。

YAMA ボクは震災の後に仙台の児童館に行った時に、両手のどちらかにアメを入れて「どっちだ?」ってやった時に、指をさせない子がいるって聞いたことがあるんです。正解を求められてるから外れるのが怖いって。でも「させよ~」って思うじゃないですか。間違えたら「もー1回!」でいいのに、それは大人が子どもが指す前に「うん?」「本当にそっち?」ってやるから子どもは怖くなって指せなくなるっていうのを聞いた時に、いやあ……と思って。
クラウンは失敗の肯定じゃないですか。葛藤の部分がクラウン。だからボクはそれがうまく出せればいいなあと思うんです。失敗してもいいんだよ~とか。だからまず動いてみればいいのになと思いますけどね。結局動かないから怖いじゃないですか。A・Bどっち?って。でもAに行って、違ったらBにいきゃいいんじゃね?っていうくらいの感覚です。でもそれはまあ歳をとってくると怖くなるじゃないですか。やっぱボク40過ぎてから、ベテランって言われるんですよね。クラウンの中で。そうすると、怖さが出てきちゃうんです。変なショー出来ないって。若手から見られたらちゃんとしたショーやんなきゃいけないって。だから新しいことになかなか挑戦できなかったんですよ。それがだんだん苦しくなってきて、いや、いいよ。オレのやりたいことだけをやろう。「あの人変わったね」「色々やってるね」って思われてもいいや、と思ってから楽になったんですよ。

西上 YAMAさんが今言った「とにかく動いてみればいい」「どっちが正解じゃなくて間違えたらそれでまた動けばいい」っていうことをクラウンで表現していることがボクは思想だと思うんです。だから「この作品で何を伝えたいのか」って言葉でウダウダ喋るのは、やっぱり全部嘘で、なんというかその朗らかさみたいなものが、長い目で見れば、本当に朗らかな人を育てるんだと思うんです。というよりも本来子どもは朗らかなんだから、朗らかなまま育っていってくれると思うんです。そうやって育っていく子どもたちが少しでも多くなっていけば、世の中そんなに簡単に間違わない。

動くパワースポットになりたい!

YAMA 自分に素直ってすごく難しいことだと思うんです。今こうやって病気になった時に、一度食べられなくなっちゃって、今また食べられるようになったじゃないですか。だからお店とかに行っても奥さんが「何食べたいの?」「食べたいもの取りな」って。でも昔だと安いものを選ぶんです。1000円以下の定食だったらどれ? みたいな。

西上 分かる分かるボクもそれ。

YAMA ボクなんかコロナの影響もあって免疫がなかったらほぼ移動タクシーなんですよ。どこにいくのもタクシー。でもお金もすごいかかるじゃないですか。食べ物もハンバーグ食べたいなって思ったら、いつもはこれくらいなのに、「この肉美味しそうだなあって」思ったら「いいよ。買いな」って買って食べる。お金はかかるけど気持ちの豊かさはあるんですよね。いつの間にかお金=豊かさだと思ってたけど、いや、豊かさって心だよってすごく思うんです。自分に従って、食べたいと思うものを食べる。値段じゃないって言われて。安いものでも食べたければ食べる。別に高いものを食べろってことじゃない。今食べたければ食べるけど「このお金だからこれだなっていうのはもう素直じゃないよ」って言われて。

西上 それは奥さんが?

YAMA はい。

西上 すごいですね。

YAMA お金はいくらかかってもいいと。お金は自分が稼ぐし、自分の親でもYAMAちゃんの親でも貸してもらうよって。心の豊かさでいようよって。だから引越しとかだって、その前からちょっと話はあったんですよね。病気になる前。「でも家賃が上がるから」ってなってたのに、今回病気になってからすぐ連絡して、まだ空いてるって言うので「もう行く!」ってなって、この間3泊4日で体験させてもらったんですよ。「この家に住めるんだね~」ってワクワクしたし、今度は今の家に帰ってきた時に狭いから嫌かなあと思ったら、そこに20年も住んでるから、「20年ありがとね~」って、またワクワクして、「あと一ヶ月だけどよろしくね~」。なんか感謝しかないし、豊かさってお金じゃないよってことを今ボクは出していけるといいなってなりましたよね。だからボクという存在でパワースポットになりたい。

西上 すごい!

YAMA だから二人で「病気になったから知ったよね」「愛を知ったよね」「これがなければ気づかなかったもんね」って今話してます。

西上 いやあ面白い! 今度はYAMAさんが見るウィズコロナの世界についてもお話を伺いたいです。

YAMA 引っ越したら家も広くなるのでワークショップなんかもしたいですね。

西上 そうですね。まず動いてみる。やりましょう!

話し手:クラウンYAMA
聞き手:西上寛樹
時:2020年7月20日
場所:芸能花伝舎

おねがい

最後までご覧いただきましてありがとうございます。前編・後編合わせてで35,000字を超えるロングインタビューとなりましたがいかがでしたでしょうか? おかげさまで前編の記事はすでに数百人の方々にご覧いただき、たくさんのシェアもしていただいているようです。
このインタビューは、YAMAさんの胃がん公表があってすぐに申し込みをしました。YAMAさんがいつも聞かせてくれる面白い話をきちんとした形にまとめられないか、同時にYAMAさんの面白さの秘密に迫ることはできないか、自分にしかできない方法でYAMAさんをサポートできないかと考えての提案でした。「まとめておく」なんて、縁起が悪いと気が引けましたが、YAMAさん自身も自分の考えや学んできたことを発信したいと思われていたようで、二つ返事でOKしてくださいました。どうやらボク自身もYAMAさんの「望めば叶う」という流れの中にいたようです。
実際にお会いしてみるとYAMAさんは元気いっぱいでした。4時間休みなく喋ってそのまま歩いて新宿のレッスンに出かけて行きました。ボクはYAMAさんの元気な姿と、がんと向き合うことでさらに凄みの増したYAMAさんのクラウン哲学も一緒に発信したいと思いました。
ボクからのお願いは一つです。
もし、この記事が皆様にとっての「気づき」や、「元気」のもとになりましたら、是非下記サポートボタンより投げ銭をお願いいたします。すでに「YAMAちゃん基金」にご寄付をされている方も多いと思います。YAMAさん自身も、この記事については「多くの人に読んでもらえたらそれでいい」とおっしゃっています。それでもボクはやはり、プロのクラウンの人生をかけたお話に投げ銭をお願いしたいと思います。いただいたお金は、「codoc」のシステム使用料15%を差し引いて、全額YAMAさんにお渡しさせていただきます。投げ銭はそのままYAMAさんの次の面白いことにつながるはずです。「面白かった!」という方は、YAMAさんの帽子の中にお金を入れるように、是非投げ銭をお願いします。

2020年7月27日 西上寛樹

追記

2020年11月6日、クラウンYAMAさんは永眠されました。
最後にお会いしたのは11月1日、YAMAさんのご自宅でした。インタビューの続きができるかもとお邪魔したのですが、針治療の後でYAMAさんは少し疲れていたので1時間ほどおしゃべりをして帰りました。食欲は戻っていたようで「一口チャレンジ」と称して何でも一口トライしてみることに挑戦されていました。目下のお気に入りは成城石井のジンジャエールやカルピスだったようです。
また、上記インタビューの中には技術に対するYAMAさんの考えが収められていますが、この時も「やっぱり技術だね」とおっしゃられていました。と同時に「生き方がクラウンであればパフォーマンスがどうこうということでもないのかもしれない」ともおっしゃいました。一見矛盾する技術論と精神論がYAMAさんの体の中では一つの調和をなし、本当にコインの裏表のように同居していたのだと思います。ベッドの横には憧れのチャップリンの写真が飾られていましたが、YAMAさん自身が本物のクラウンでした。
奥様の由衣さんのお話では、YAMAさんは最後の最後まで本当に笑顔で、YAMAさんが出演されていたお芝居『死に顔ピース』を地で行く最後だったそうです。
YAMAさんの魂が安らかであることを願います。そして、YAMAさんが大切にされていたパフォーマーとしての真心、技術への求道心、どこまでも素直だった生き様について想いを巡らせたいと思います。

2020年11月13日 西上寛樹

 

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