コロナウィルスが新作を生み出す?

人形劇団ひとみ座との新作準備は着々と進んでいます。その中で調べ物と並行して行っているのが「コロナで気づいたこと」のシェアです。新作の題材は「鬼」なのですが、コロナウィルスに対して考える事は欠かせないプロセスであると考えています。

5月29日(金))朝6時半。
蜜です蜜です。
人に会いたいって思ってたけど、これじゃない。
あれ? でも3ヶ月前まではこれくらい「すいてる」って思ってたぞ。それが今日は人酔い。コロナ以前の「フツー」は、一体どれだけ心のバリアーに支えられていたんだろう……。


初めてのLINE音声会議。20人を超える人を相手に話した。途中隣で聞いていたメンバーが「これ聞こえてんのかな?」と自分のLINEを開いた。たちまちハウリング。
この気持ちよく分かる。話してるボク自身、みんなのリアクションがゼロなので、めちゃくちゃ話づらかった。つまり、話し手を支えているのは聞き手ということ。両者の関係は単純な発信と受信ではない。受信者も発信してるし、発信者も受信している。

これを為政者に当てはめたらどうだろう?

王様はマイクを相手に発信したけど国民の反応が掴めない。そこで奸臣がおだて、褒めそやしたら……たちまち裸の王様の一丁出来上がり。独裁者への見方が変わった。


雨上がるだけで嬉しいゴールデンウィーク。
単調な毎日なんてない。
どこかに出かけなきゃいけないなんてこともない。

※ボクは4月1日から5月10日までを福岡県糟屋郡須恵町の築60年の家で過ごしました。


50枚3,000円。
5月6日、イオンモール福岡の向かいの駐車場で売られていたマスクの値段。
この時点でアベノマスクはこの地域に届いていなかったが、すでに「マスクは家で作るもの」という認識がみんなの中に広がっていたので、矢印に沿って駐車場に入る客はいなかった。
人の弱みにつけ込んだ商売も商機を逃して在庫を抱えれば滑稽味を醸し出す。やけに日焼けした小悪党たちは、遠目に見れば哀れで可愛く、天候も手伝ってカラッと明るかった。
これくらい気軽に商売が出来る世の中なら、自殺者もずいぶん減るんじゃないかと思ったりした。


2作品の上演を断念した。
1本は10年走った作品のラスト公演であり、1本は途中まで生み出した新作だった。中止を決断した制作責任者の、苦しみを通り越したような表情が忘れられない。一瞬で同意した。新型ウィルスに対しての考えは人によって違う。違いすぎる。ボクのすべきは意見を述べることではなく、その人になってしまうことだった。それが意見を越えて目の前の問題を一緒に乗り越えていく唯一の手段だった。だからか、後悔は全くない。
その人になって考える。
演劇の起源は一つここにあるのかも知れないな。議論は大切だけど、それも人間の知性を発揮する一つの方法に過ぎないんだ。
ただ、これを安易に霊的体験や神秘主義に転用されても困るので具体的な写真を一枚添える。その人になるためには、日常の信頼関係が大前提だ。子どもの場合は一緒に遊んだこと!


東京都知事が毎日メディアに出ていた。
天気予報で言えば、日本中の人々が毎日東京の天気を見ていたようなものだ。
コロナは感染症だから、東京の感染者数や都政の対応をチェックするのは全く無意味なことではない。やがて進路をこちらに向ける台風の動向をチェックするのと同じことだ。

でも、度がすぎた。

絶えず流される東京の情報は、人々の不安を煽り、本来地域の実情に合わせて独自性を保つべき地域行政は責任を恐れて画一化した。
メディアは「正しく恐れろ」と言いながら、画面下のテロップでは東京の感染者数をカウントし続けた。

なぜ?

その方が売れるからだ。数千人の社員を食わすためには、分かりやすいニュースを絶えず作り出す必要がある。
新型ウィルスの広がりはグローバル経済に起因すると山極寿一は指摘したが、我々の恐れの多くも不必要に巨大化したメディアの経済活動と無縁ではない事が実感としてよく分かった。
だとしたら、ウィズコロナの羅針盤をマスメディアに委ねるわけにはいかないな。これからは「顔の見える情報源」「話しかけられる行政」を求めて歩き出そう。

どこに?

まだ分かんない。


先日、あるダンサーとミュージシャンのお喋りに聞き耳を立てていると、ピアノが上手くなる秘訣はメソッドではなく、ピアノを家のみんなが集まる場所に置くことにあるらしい。音楽は本来技術ではなくコミュニケーションツールだから、人がいる場所で練習する事でその子は音楽を通して人と繋がる力を育み、その結果技術も向上するとのこと。
なるほど。早速試してみた。ピアノではなく調べ物で。
いつもは図書館に篭って調べ物をするが、今回は鷲尾文庫で調べ物をしている。窓からはひとみ座のメンバーがチラチラ見え、稽古する声も聞こえてくる。すると、調べ物をしながらアイデアが出てくる出てくる。調べ物は本来知識の裏づけでなく、創造活動を飛躍させるために行う作業なので、パートナーの存在を肌で感じながら行う方が、軽やかな発想を可能にするらしい。
人は人といるだけで、実はものすごい情報をやりとりしている。
この目に見えない力、皆さんはどう応用しますか?
そしてもう一つ。 ボク達が「ウィズコロナ」で大切にしたい事ってこの中にありませんか?


以上は、5月29日から6月6日の間にボクがメンバーとのグループLINEに投稿した内容。メンバーの投稿を合わせると全部で30コの「気づき」が集まりました。

こんな事をして意味があるのか、とお思いの方もいらっしゃると思います。メンバーの中にもいるでしょう。でも、鬼について調べている内にひとみ座の創立者宇野小四郎さんのこんな言葉に出会いましたよ。

ばらばらな感性や意図を持った観客を一か所に集めて、演じる者と見る者が、社会的な共通の基盤も希薄な中で行われる現代の演劇

宇野小四郎『虚と実と憑依 演技する人形』銀の鈴舎1999年

これは宇野さんが青森のイタコの神おろしが依頼者の想いに支えられていることに気がつき、翻って現代演劇を見つめ直した時の言葉です。

ボクは今回の新型コロナウィルスが「社会的な共通の基盤」になると考えています。演劇は本来フィクションを通して共同体に風を送り込み、困難に立ち向かう新たな知見を導き出したり、繋がりを強化&リフレッシュするための営みでした。その演劇の根源的な力を使いこなすには、ここからスタートするしかないと思うのです。

もちろん気づきをそのままセリフに乗せるなんて野暮はしませんよ。

気づきをシェアしている内に大きな化学変化が起き、そこから新作の内容はおろか、スタイルそのものも生まれると信じて、この作業を続けています。

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