関東大震災から96年の今日考えたこと

おとつい、韓国の大切な人から電話に着信があった。
なんだろうと思って「どうしましたか?」とメッセージを送った。10月中旬に韓国へ遊び(勉強)に行く予定だが、ここ最近の日韓関係を受けて何か気になっていることがあるのかも知れない。飛行機もいくつか飛ばなくなってるみたいだし……すると翌日その人からメッセージが届いた。

「I just called you to say hello〜^^」

ものすごく嬉しかった。これがボクの「日韓関係」である。国家は背景であり前提ではない。それは両国間の歴史を軽視することとも違う。国家という組織と自分という個人の感情をいたずらに同期させる必要はないということである。騒ぎ立てるメディアからも一歩、いや二、三歩引いている。彼らはニュースを作るのが仕事じゃないか。政治的立場がどうであれ、彼らは出来事をニュースにして、耳目を集めなくては食っていけない。
こんなことを考えるようになったのもボクが物心ついた時から天邪鬼だったからだが、『トッケビ』という話を書いたことも関係する。
去年、人形劇団むすび座×鹿児島こども劇場のコラボ企画で韓国を訪ねた。その体験の中から生まれたのが『トッケビー鬼ヶ島と呼ばれた島ー』という人形劇だ。ボクは脚本を担当した。
そのまとめ会で寄稿した文章(2019年1月執筆)をここに貼る。自分の醜態を晒す文章だが本当のことだから仕方ない。
ちなみに今日は2019年9月1日。関東大震災から96年。関東大震災について考える時いつも思う。
「ボクもその時に生きていたら暴徒と化していたかも知れない。」と。

「自戒も含めて」西上寛樹
この物語を書くにあたっては、日本が朝鮮を植民地支配していた時代に使われていた学校の教科書や、1923年(大正12年)の関東大震災の時に、朝鮮人虐殺事件の発端となった「朝鮮人が井戸に毒を投げた」に代表される流言(りゅうげん/デマ)について調べた。韓国体験ツアーの中でいやがおうにも目にせざるを得なかった加害者としての日本と、今の我々がどうつながるのか、物語の核を探してのことである。教科書を探ったのは、ツアーの中で「教科書に載っていない」という言葉が気になったからであり、デマについて調べたのは2016年の熊本地震の時に全く同じ内容のがデマがツイッターで拡散されていたからである。
結果的に最も身近な【桃太郎の歌】をモチーフに使ったが、ボクがこの場を借りてみなさんに告白しておきたいのは、このモチーフ探しの時に、ボクは「もっと刺激的で分かりやすい出来事はないか? と血眼になって探していた時期があった」ということだ。例えば、当時の朝鮮総督府に勤めていた役人の手記を読み進める時、ボクは無意識にその人の差別的発言を探し求めていた……
「そうじゃないだろ」と引き戻してくれたのは演出の大野さんである。その都度ボク達は、作品の向かう先が、韓国ツアーの中で日韓の中・高・青年達が見せてくれた溶け合うような交流会にあることを確認し、軌道修正を図った。その事については別の場所で何度か書いた。しかし、ある時期においてボクのような名のない作家でも、物語にうねりを与えるため「歴史的真実」を資料の中から作為的に絞り出そうとしていた事については、やっぱり伝えておきたい。ボクのような個人でもそうなのだから、様々な利権がからむ団体、報道機関、国家となったらどうだろう。
歴史とは何か、ニュースとは何か、真実とは何か。教科書に載っていないとはどういうことか。自分の節度のなさからも見えてきたものはあったので、恥を忍んで報告した。
最後にその事とは別にこの一年の間でメールやSNSでやりとりする韓国の友人が三人も出来たことも付け加えておきたい。これを書いている2019年1月末現在、ニュースでは毎日韓国軍のレーダー照射問題が取り沙汰されている。ボクはそのニュースを国家(政権?)の都合として読み流し、「みんな元気かなあ」と、友人達の事を思い描いている。その国の事を考える時、まず友達の顔が浮かぶって幸せなことだ。
国家や組織に負けない個人でありたい。

 

※以上の文章をフェイスブックに投稿した。以下の注意書きを添えて
ーこの投稿についてはコメントもシェアも要りません。こういう話題でみんなで「えいえいおー」ってするの好きじゃないので。

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