狩猟とリズム感の関係  〜音楽学者 小泉文夫さんのフィールドワークより〜

2017年に世界の児童演劇が集うアシテジ世界大会で南アフリカを訪れた時、現地の人たちが踊る様子を何度も見ました。劇場が開場するまでのわずかな時間でも、アフリカの人達は歌い踊ります。単なる時間つぶしとも言えますが、それはまさに音楽そのものといった感じの、躍動感に満ちたものでした。面白いのは彼らが「必ずハモっていた」事です。日本で、もしこういう即興的な音楽が始まった場合、多分歌うのは、のど自慢の一人か二人で、後の人間は手拍子を取るだけの聞き役に回るでしょう。しかしここでは、「一人で歌うなんて音楽じゃない!」と言わんばかりに、全員で歌い踊る。ボクは民族としての音楽性の違いを、圧倒的エネルギーと共に見せつけられた思いがしました。歌っていたのは演劇人ではありません。近所のおばさんや子供達です。アマチュアの人々に音楽の本質をガツンと教えられたわけです。この事をいくらミュージシャンではないと言っても、劇中に「音楽」を用いている我々プロはどう捉えるべきでしょう。南アフリカではいくつも人生の角度を変えられる体験をしましたが、音楽的インパクトは、この時の体験が心に大きく残っています。

音楽の三要素は、メロディ、ハーモニー、リズムですが、我々日本人は特に後者二つが苦手ですね。それはどうしてか… そのことについて元東京芸大音楽学部教授の小泉文夫氏(1927〜1983)が、鹿を狩るエスキモー(カリブー・エスキモー)とクジラを狩るエスキモー(クジラ・エスキモー)を比較して面白い発表(1980年)をしているのを見つけました。

まず、小泉氏は鹿を狩るカリブー・エスキモーについてこう述べています。

このグループは、だいたいだめですね。二人でも拍子がそろいません。もちろん、一緒に歌えません。必ず一人でソロしかできない。(中略)伴奏の方も全く機械的に叩いています。エスキモーは太鼓を叩くことになっている、だから自分も叩くんだという、全くお義理で叩いているみたいな叩き方ですから、自分の歌と自分の手の動きが全く合っていません。こういうケープ・ドーセット文化(カナダの地名を含んだ学術的な呼び名)を持った人たちは、何人集まっても、一緒に歌うことはできないんです。

…まるで、自分の事を言われているような気分になりました。ボクは趣味でウクレレを弾くんです。けれどもちっともリズム感がよくならない!(笑)基礎練習などは好きな性格なのでメトロノームを使った練習など一時熱心に打ち込んでいたのですが結局駄目でした。今ではあきらめて一人勝手なリズムで弾いています。
それはともかく、小泉氏は、今度クジラ・エスキモーについてこうおっしゃっています。

この人たちは非常にリズム感がいいんです。これからお聴かせするのはアラスカのポイント・バローのエスキモーの歌なんですが、非常にリズム感が良くて、夫婦でもって歌っています。(テープ/夫婦の歌)
このように、二人でもピッタリ合いますけど、これが十人、十五人でやってもピタッと合います。どうしてクジラ・エスキモーはこのようにリズムが合うのか。

ここで、小泉氏はカリブー(鹿)とクジラの捕り方の違いに言及します。一番の違いはカリブーは一人でつかまえられる。しかしクジラは大人数を必要とする。全員が一致団結して取り掛からなければ、クジラは獲れない。

クジラが入ってきますと皮で作ったボートでもって、みんなで湾を塞いでしまい、残った人たちがその割れ目のところに集まっていて、クジラが息を吸うために氷の割れ目に現れた瞬間に、みんなで一斉に襲ってクジラをやっつける。(中略)獲りそこなえば、みんなが飢えなくてはならない。だから、クジラがいない時には、ただ遊んでいるわけではなくて、その運命共同体の人たちは声を合わせ、リズムを合わせる練習をしていたんですね。その練習が歌なんです。

最後に小泉氏は両者の比較をこう結びます。

つまり、人間は生きるために拍子を揃えて歌うのです。拍子を揃えなくても生きていかれるんだったら、そんな余計なことはやらないんです。

「人はなぜ歌をうたうか(小泉文夫フィールドワーク)」
小泉文夫著作全集1より 学習研究社2003年

我々日本人がリズム感を備えていないのは、狩猟採集民族だった時にあまり大きな動物を獲っていなかったという事なのでしょう。しかし、最後の言葉は、現在では当てはまらないと思います。必要なければやらない、という事でしたらアフリカの人たちは、開場前の時間潰しで踊ったりしません。集団の音楽の中には明らかに高揚感が伴います。その感覚に陶酔したくて人は歌をうたい、踊り、奏でるのです。昨日、人類学者の山極寿一さんの言葉から「歌の起源は子守唄」という事について書きましたが、音楽には情動を整える穏やかな要素もあれば、グループの連帯を呼び起こす激しい一面も持っています。どちらも含めて音楽です。今回は、「息を揃えるための音楽」について、その一例を見ました。次回はハーモニーについて小泉氏の別の研究を見ていきます。ちょっと恐ろしい「首狩り族」についてのお話です。

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