「勝手に対談! 松本美里×西上寛樹1」 ~福岡子ども劇場50周年記念誌の西郷竹彦先生へのインタビューを読んで~

誰に頼まれたわけでもないのに勝手に対談してブログで発表するという無謀な企画「勝手に対談!」を始めました。第一回目のお相手は人形劇団ひとみ座の女優、松本美里さん。はい。公私に渡るワタクシのパートナーです。

目次

なぜ対談?

きっかけはこちら。

 

 

 

 

 

子ども劇場福岡県センターが昨年発行した福岡子ども劇場50周年記念誌に出ていたこちらの特集。

 

 

文芸学者・児童文学研究者である西郷竹彦さんへのロングインタビューです。(聞き手 子ども劇場福岡県センター 井上美奈子さん、矢野里美さん、河本恵介さん)
井上さんから「芝居は舞台と観客がともに作るという事は、西郷竹彦さんがおっしゃられていること。是非この記事を読んでみて。」とプレゼントしていただきました。これがメチャクチャ面白かったのです。今自分たちが気になっている事がもう全部詰まっているようでした。西郷さんのドラマ論に共鳴したボク達は、記事の感想文を井上さんに送ろうとしたのですが、どうせなら感想文という形ではなく、この記事を元に二人で対談をしてみよう、西郷さんがおっしゃられている事を自分達が今、現場でどう実践しているかという事を言葉にしてみよう! となったのです。ちなみにそれは2016年12月30日のこと。残念ながらその後今年6月に西郷竹彦先生は、97歳でその生涯を閉じられました。直接お話を伺うことはできませんでしたが、西郷さんのお言葉は、21世紀に演劇を志す私たちにとって新しい響きをもって届く言葉だと思います。今日から4回に分けて、西郷さんのお言葉を元に行われた僕たちの対談を連載いたします。途中インタビュー記事は太字で抜き出しながら進めます。約一年前の対談ですので、変更点などは随時補足します。まずは松本美里さんの紹介から。

松本美里さん


松本美里…人形劇団ひとみ座の女優。『ズッコケ時間漂流記』(ハチベエ)、『ゲゲゲの鬼太郎 決戦竜宮城』(鬼太郎)、『リア王』(コーディリア)、日生ファミリーミュージカル『小さなスズナ姫』(スズナ)、『とびだせ孫悟空!』(孫悟空)、『ムーミン谷の夏まつり』(ミィ)など
「妖怪から可愛いお姫さままで、なんでも演じるぞ~! 」(ひとみ座HPより)

対談スタート

西上     今日は、井上さんからいただいたこの本「福岡で生まれて 子ども劇場50年」の西郷竹彦さんのインタビューを読んで思ったこと、感じたことなどを松本美里さんと語り合ってみたいと思います。松本さん、よろしくお願いします。

松本     よろしくお願いします。(笑い)

西上     長いインタビューなので、少しずつ読みながら進めていきましょう。

ドラマは舞台と観客との関係の中にある

西郷「ドラマっていうのは、舞台の中にあるんじゃなくって舞台と観客席との関係の中にあるという事です。ドラマとは、矛盾葛藤です。では、どこにドラマが成立するかという事です。皆さん、ドラマっていうのは舞台の中の例えば男と女の関係、その中に矛盾葛藤、つまりドラマがあるのだと、ずっと考えておられると思うのです。そうじゃないんですよ。(中略)ドラマっていうのは、客席にいる客と舞台との関係の中にドラマが生まれるのです。(中略)ドラマを舞台の中に限って、その中でドラマが演じられている。その密室をのぞき見しているというような考え方。これがヨーロッパの演劇理論です。これを第四の壁理論というのです。(中略)これは間違いなんですよ。

西上   ではまず「ドラマは舞台と観客との関係の中にある」この言葉を聞いてどう思う?

松本     そうだなと思います。

西上     (笑い)そうですか。人形劇だと人形の顔を客席の方に見せるよね。ハチベエとハカセが話してて、ハチベエが何かふと思った時、ハチベエの顔を客席の方に向ける時があるでしょ。それは、何でそうするのかな?

松本     お客さんに見せてるから。人形は表情が変わんないから。表情を作るのはお客さんだから。だから基本的には前を向いてないと。

※ひとみ座の人形劇『ズッコケ時間漂流記』。左からモーちゃん、ハチベエ、ハカセ。

西上     でもハカセと話す時には横を向くんだよね。

松本     向く時もあるね。

西上     その線引きはどうやって決めるの?

松本     (間)歌舞伎の見得を切るような感覚・・・

西上     歌舞伎?

松本     前向く時は・・・主人公の心がすごい動いてる時。誰かにかけてる時じゃなくて、思いが爆発した時とか。ガブを使う時は、絶対前向く。精神の振り幅が大きくなった時。
※ガブとは人形のからくりの一つ。糸を引くことで人形の表情が一変する

西上     この辺が「演劇は密室をのぞき見しているのではない」というところと関係があると思う。何の映画かは忘れたけど、映画の中で「舞台の役者はなぜ突然前を向いて喋り出すんだ?」って茶化すシーンがあったんだけど。相手役だけを見て台詞を発する芝居と時々客席の方を見ながら台詞を発する芝居とどっちが先なんだろうね。

松本     歌舞伎は前を向いてる。

西上     狂言は?

松本     狂言も。能も。

西上     これが新劇。たとえば文学座の芝居だったら?

松本     文学座は前を向かなさそう。シェイクスピアの芝居だったら前向くよね。独白とか。

西上     読み合わせをする時に、相手役を見る人と見ない人がいるよね。美里さんはどうしてる?

松本     恥ずかしいから向かないかな・・・

西上     (笑い)

松本     読み合わせでこっちをぐいぐい見て台詞をかけてこられるとそっちを向けなくなる時がある。「なんか私今芝居やってます」みたいな感じで来られると。でも自然に向かれたら自然に返せるけど。

西上     それは自意識の問題だね。その話は置いといて、僕は読み合わせの時には、「相手役にかけないでください」って言ってます。だから西郷さんの「芝居は、舞台と観客との関係の中にある」っていうのは、実は僕たちも今ずっと言っていることなんだよね。

松本     そうだね。

西上     いつから言い始めたんだろうね。俺らは。いつ知ったそのことを?

松本     言葉としては認識されていなかったとしても、そのことは割とすぐ気づいてるはずなんだよね。何でかっていうと子ども向けの芝居してたら、そのことが顕著に現れるから。たとえば稽古してて、笑われるようなシーンがあるじゃん。そういうときに笑いが来ないわけでしょ。お客さんいないと。それで稽古は進んでいくでしょ。で、本番になった時は、そこで笑いがおこるわけじゃん。そしたらこっちはノって来るっていうか。笑われたことによってこっちの出方が変わるっていうか。

西上     観客の反応によって、美里さん自身が動いてくるって事だね。

松本     そうそうそう。返ってくるから、こっちも返す。

西上     返すっていうのはどんな感じなの?

松本     打ち返す。

西上     テニス?(笑い)

松本     わかんない。(笑い)前は信号みたいなのがあるみたいな気がして。なんか・・・「今!」っていう。

西上     じゃあ、笑いじゃないシーンだとどうですか? 例えば悲しい場面。

松本     それも変わるよね。空気が全然違うもん。子どもだから大人よりもいい意味で空っぽなんだと思う。最初の時点が。だからたぶん同化しやすい。役の気持ちにね。その入り込んでる感じが伝わってくる。だから声をかけちゃうわけでしょ。

西上     人形にヤジが飛ぶ。(笑い)

松本     そう。絶妙のタイミングで。ハチベエが劇中で「俺いいこと思いついた」って言ったら「なにっ?」って。思わず言っちゃうみたいな。

西上     そういう声に出てくる場面や笑いは反応がわかりやすいでしょ。でも悲しい場面は音としての反応は少ないでしょ。それはどうやって分かるの?

松本     波が来る。

西上     波?

松本     わかんない。

西上     美里さんが最近言ってる言葉で面白いのは「ガブの使うタイミングは、お客さんが教えてくれる」って。あ、違う。ガブだけじゃないな。何だっけ?

松本     台詞。台詞を言うタイミング。間。大きさ。全部お客さんが握ってるような気がする時がある。

西上     面白い。さっきの「打ち合い」の話でいくと、美里さんがまず「打つ」わけでしょ? 打ったら返ってくる。それに対して打ち返すって。でも今の話だと打ち方も実は観客に指定されてる。

松本     そうそうそう。「今日いいな」っていうときはそう。こっちが用意したものを提示して、それに反応が返ってきてそれに返していくっていうのが普通の上演。でもいい時は、お客さんが先に打ってくる。緞帳が開いた瞬間に想像の準備が出来てる。笑ってる。

西上     うんうんうん。

松本     空想の方の「想像」で、今度は作る方の「創造」をしてる。一瞬で。そうすると、もう「お客さんが思ってる通りにやるしかない」っていう。「裏切れない!」って。

西上     乗っていくみたいな感じ?

松本     そういう時はすごい楽しいよね。

西上     緊張感?

松本     すごい緊張感。積み上げてく緊張感。

西上     あるね。(笑い)

松本     それはね。一人だけ感じてるわけじゃないの。そう思った時は、だいたいメンバー全員感じてる。敏感な人と敏感じゃない人いるけど、だいたいみんな分かってるよね。そういう時は、休憩に入ったら裏で「来てる来てる来てる!」(笑い)。

観客にも責任がある!?

西郷「要するに、観客は傍観者ではなく参加者だという事なのです。(中略)観客が一枚かんだかたちでそこにドラマが生まれる、観客にも責任があるという考えなんです。私は。ドラマになるかならないかは、演技者だけ、演出家だけの問題じゃない。観客がどう主体的に関わるかで、そこにドラマが生まれるか生まれないかに関係するのです。(中略)
井上「よく子ども劇場でお芝居観るときに、劇団の方が、子ども劇場のこどもたちは観続けているからか、すごく反応が返って来て、客席に持って行かれそうになるって言われます。」
西郷「わかります。(中略)第一、花道っていうものが、なぜ日本に存在したかですよね。花道っていうのは、まさにその客席と舞台との構造を一つのドラマの世界として作り上げる非常に巧妙なシステムですよね。いったいあの花道は何だと考えてみれば、分かる事です。(中略)
矢野「そういう感覚は、ぼやっと私たちも持っていた気がします。」

西上     では、次に行ってみましょうかね。「観客にも責任がある」ということばが出てきました。そう考えたことある?

松本     それは前に、ひとみさん(※)に「お客さんを育てないといけない」って言われて、「(ひとみ座の)幼児劇場はずっとそうしてきてる」って言ってた。その意味がよくわかんなかった。育てるって意味が。今そのことを思い出した。あともう一つ思い出したのは子ども劇場。
※石原ひとみ ひとみ座の大先輩。現在退団してぴょんぴょんぐみを主催

西上     川島さん?
※川島美穂さん。ふくおか・糸島子ども劇場事務局

松本     そう。自分たちはそれまで子ども劇場はお客さんだと思ってた。でも向こうは違った。一緒に作ってると思ってた。その感覚が全くなかったから。ズッコケを上演した時に「会場の配列、もぎりから入場、果てはズッコケをやるって決まってから上演の日までの歩みが間違ってなかったから成功した」って聞いて。それが目から鱗で。あっ、一緒に作ってるんだって。それまでは、観客に責任があるなんて思った時はなかった。そのことを思い出した。

西上     今の川島さんの話にしてもひとみ座の幼児劇場の話にしても、演劇教室とはちょっと違うよね。演劇教室は一発勝負じゃない? 上演までのプロセスは無いわけだから。でも、これは批評対話を学んで考え方が変わったんだけど、批評対話のデンマークの講師が言ってたことは、演劇体験はレストランに行くのと同じだと。レストランに行くのは、行く前の「服は何を着ていこっか」と言うところから始まってるって。だから、批評対話で作品のことを思い出す時は、作品の冒頭から思い出すのではなくて、家を出てくるところかは思い出すの。その時は、夜の観劇で場所は学校の体育館だったから。夜、真っ暗な校庭に車が一台ずつ入っていく怪しい雰囲気から思いだす。それで体育館には明かりが灯ってるみたいな。夜の体育館っていうのはアブノーマルな空間だから、俺は、なんかワクワクしてたわけ。だったら子どもたちはもっとワクワクしてるよね。作品を作るっていうのはそういう風に観客が客席につくまでどういう時間を過ごしてきたかを目算しなくちゃって、俺も目から鱗の体験だった。だから、たとえ一発勝負の演劇教室にしても、観客の状態は目算するように心がけるし、幼児劇場、子ども劇場の場合はプロセスがもっともっと長いわけだけど・・・でも「観客にも責任がある」というとらえ方はボクの方ではちょっと出来ないな。

松本     学校でやる場合は、先生が事前に図書館にズッコケのコーナーを作ったりして盛り上げてた場合はやっぱり反応が全然違う。演劇教室でやることが決まってて「立たない。喋らない」って注意だけして始めるのとは。観客の責任って言葉が出てきたけど、お客さんには「楽しむ権利」もあるわけだよね。その権利をフルに使うには、ある程度知識が必要っていうか。例えば歌舞伎でも自分が勉強した「勧進帳」だったら知ってる台詞が出てくるから楽しめる。

西上     そ~れつらつらおもんみれば。

松本     (笑い)一緒にいいたくなる。自分が少しでも触れたものは、興味が沸くから。そういう意味に置いては、「お客さんの責任」っていうのは、「楽しむための万全の準備」って考えたらあるのかもしれないよね。

西上     なるほどね。

 

今日はここまで。このあと話は「客席参加型」「舞台に求められていること」と続きますが、長くなりましたので続きはまた明日。最後までご覧いただきありがとうございました。

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